存在を多面的に見れるか

 

山内 例えば緊急一時保護施設とかを1回利用して、そこがうまく行かなくて飛び出して。他の団体の所に行ってそこでもまたうまく行かなくて飛び出してしまう。で、ほかの団体にも行くと。だいたい3カ所、4カ所と行く。そうなると行くところが無くなってしまうから、支援団体にも受け入れられなくなった人ってどうなるのかな?とか。僕もちょっと上手く言えないんですけど。まあ「住所がないです」と言ったらそういった中で支援団体のほうで一時的な居場所を作ってそこから申請保護するとか、仕事を探すとかする。でもそれが社会でなかなかうまく行かなかったから支援団体に入るわけだけど、「ここもダメ」になっちゃったらどうなるか。でも「ここもダメ」となる時ってのはどういう時なんだろう?と思うと、やっぱり約束を守れないとか、「最低限やって下さいね」というルールを破っちゃうとか、それでもうウチでは見られませんよと。で、残念ながらどこにも受け入れられない人っているんですよ(苦笑)。その人を社会が受け入れてくれないから「これではダメでしょう」って支援をやってるはずなんだけど、そこでダメとなっちゃうと、もうこの人はどうしたらいいんだろう?という(苦笑)。

 

杉本 でも。居ますよね、そういう人はね。基本、ルール守るのが難しい人とか、おそらく。確かに仕事としてはやっぱり辞めて下さいと言われる可能性はありますね。時間通りに来ないとか、始まる時間に来ないとか。無断欠勤とか。そういうことがあるとそれは厳しいですよね。支援団体でも最低限のルールはあると。それもちょっと守れないと。おそらく僕も昔夜回り体験で会った人にもそういう保護施設の規律があわなくて、また出ちゃったんだろうと思うんですけどね。

 

 でも何だろう?福祉のお世話になっている人の世界では何らかの、今風に言えば発達障害です、何とか障害があります、心の病がありますと言って、就労支援や生活支援する所にいるというか。わかりやすく言えば生活保護を受けてマイペースで生きているというのかな。多いんじゃないかな?と思うんですけどね。

 

山内 う~ん。

 

杉本 どうなんでしょう?先ほどのような事例の人は例えば生活保護を受けている人であればケースワーカーに怒られちゃって飛び出すしかない、みたいになっちゃうんですかね。

 

山内 やっぱりケースワーカーと喧嘩したりとか、ケースワーカーからちゃんとして下さいと言われて、でも言うことを聞かないみたいな感じの人。でもそれは支援をする側としては例えば発達障害とかに関する理解があって、もうちょっとこういう風に対応したらきちんとやってもらえるとか、あるいは1回の約束を守らなかったといって、その人を全否定するというのは違うでしょうと役所の人には言いたいですよね。その人の生活を見ながらその人を多面的に見るというか、ここはちょっと今いちダメだったけど、ここの部分はいいという観点でその人を社会に接合させていく。だから支援団体でも「こりゃダメだ」となる人というのが。

 

杉本 そう多くはない、ということですか?

 

山内 そう多くはないと思うんですね。ただやっぱりあるとは思うんです。残念ながら。

 

杉本 何か理解の糸口はある?

 

山内 う~ん。何というんですかね。何か本当にダメな感じになっちゃう人のモデルがあるとしてそれイコール、ホームレスってこういう人だ、という理解のされ方になってしまっている。で、「そうじゃないんですよ」と言いつつ、支援する側の人がそれをしてしまうというか(苦笑)。

 

 でも目立っちゃうのはあまり実在しないモデルなんですよ。ですから社会の誤解ですよね。だから逆に支援団体のほうでも受け入れられない人はこういう人です、と方針をハッキリさせて。で、そういう人は実際にそうはいないんですれどもね、という見せ方。この人はこういう見えかたとは違ういいところがあるんですよ、みたいな。そういう風にしないと社会のほうもなかなか理解してくれない。「だってホームレスだったんでしょ」のひと言で終わってしまう。

 

杉本 う~ん。社会のほうはより厳しいですもんね。

 

山内 ええ。だからホームレスだったんでしょ、と否定的に言うのはこういう人のことを言ってるんですよね?でもこういう人とはちょっと違うんですよと言えるように。それは支援者側も我々が滅多に支援できないのはこういう人だ、ともっと明確にした方がいいかもしれないと思ったりもします。

 

杉本 現実に例えば生活困窮者支援制度。まあ岩見沢の「りんく」とかね。元労福会だった大瀧さんがやっているように生活保護の人と一緒にやっているところ。まあ釧路もそうでしょうけど、生活保護の人と一緒にやるんだと。そういう自治体ばかりではない。そうなるとちょっと区分けされてくるのかなと思うんですけど。札幌で困窮者自立支援の取り組みのシンポジウムがあったとき、とりあえずベトサダの人もお話しされていました。ベトサダさんはやはり自立支援みたいなことを強調されていて。とりあえず入居してもらうけれども3ヶ月でできるだけ自立してもらいたいと。それ以上のことはやはり自分の努力も必要ではあると。やっぱり真鍋さんのキリスト教的な哲学が反映されているのかもしれませんけど。まあ僕みたいな福祉オンリーな情緒的な発想から行くとなかなか厳しい。でもそこははっきり自分たちはこういう団体ですということを責任者のかたは言ってましたから。そこはクリアなので、ベトサダの哲学は分かる。そうすると他のホームレス支援団体はどうするか?ということになりますけれども。

 

山内 うん、ベトサダは就労に持って行くと。生活保護は利用しないんだ、という明確な方針を掲げています。それに対してほかの支援団体はどちらかというと言われるとおり、例えば「ジョイン」っていう枠組みがあるのですが。

 

杉本 はい。困窮者支援制度に合わせてできた路上生活者支援の横断組織ですね。

 

山内 そうです。その枠組みではベトサダは就労につながる人の受け入れをする。ほかは例えば女性のシェルターがあって。

 

杉本 アジール?

 

山内 アジールとか。障害を持っている人、あるいは障害が疑われる人は「れおん」とか。でまあ、生活保護をちょっと想定した「みんなの広場」。でも、ベトサダが言っている特色と、ほかが特色として出しているものは色が違うというか、ベトサダは就労を目指して支援しますよとなってるんだけど、どんな人が受け入れできるかという面で、ほかの3つはあんまり変わらないんじゃないかと思います。

 

杉本 なるほど。

 

山内 男性、女性というのはあるかもしれないけど。ほかは別にそんなに特色を出してはいない。(ベトサダは)就労自立を軸にしている。じゃあほかは何なのかと言ったら、理念的には生活保護に頼る前に困窮者支援法があって、でも実はそれって、家がない時点で生活保護じゃんということと矛盾してるんですけども(苦笑)。ともかくもじゃあベトサダ以外のほかの3つはどんな方針でやってるかというと、そこは何かボアンとしてますよね。

 

杉本 なるほど。でもいちおう施設的に入居できますよ、という風にはなっているんですよね?

 

山内 はい。ベトサダも受け入れはしてるんですけどね。

 

杉本 3ヶ月くらい。就労できるまではいられるんですよね。ほかの所はどういう風に哲学としてあるのかは、ちょっとぼわ~んとしていると?

 

山内 だから本来、何か「女性を受けつけています」という言い方はちょっと違うじゃないですか?ベトサダが言っているような話と。女性のシェルターなんだけど、例えば就労メインでやるのか、あるいは基本的にまず生活保護を受けるんだとかというあたりはあまり明確ではない。で、明確にすべきものかどうかも分からないですけれども。ベトサダの場合はね。真鍋さんが元々生活保護は受けるべきではないという考えでやっていましたから。

 

杉本 そうですか。あまり生活保護を受けましょうということを強調するというのもどうなんだろうというのも確かにありますね。例えば北九州の奥田知志さんなんかがやってる所のイメージはどうなんでしょうね?

 

山内 あそこは手広くやってますからね。まあ、生活保障ですよね。

 

杉本 昔、テレビで反貧困の運動の余波で紹介されていた時代のものには、もう、飛び出しちゃってもまた戻ってくるのを待っているスタンスだ、みたいなことを仰ってましたけど。

 

山内 伴走型支援。

 

杉本 ええ。

 

山内 ずっと寄り添いますよ、みたいなことですね。

 

杉本 私はいつまでも待つ、というぐらいな。その、奥田さんくらいのクリアな哲学を持っているというのもまたちょっとレアですかね(苦笑)。

 

山内 う~ん。そうですねえ。それこそ、ウチは受け入れできないです、という所が実際札幌ではそういう風に言っていたりもしていたのでね。

 

杉本 あの~。そうするとどうしても行政頼みと言いますかね。生活保護をまずは受けて、あとはケースワーカーさんと当事者さんの話し合いで今後のことを考える。そういう風にしていくのがいいのかなあ?という気もするんですけど。これもちょっと投げ出すような物言いで申し訳ないですが。

 

山内 ケースワーカーさんがうまいことやれればいいけど、まあそうじゃない部分もありますからね。本当であれば生活保護というのは生存権保障ですから。それを利用して人生を上手く過ごして下さいと。まあ仕事に就くなり、ちょっと一休みして生活を落ち着かせる活用もある。その時にケースワーカーさんが何かこう、逆にその人の状況を悪くさせる(苦笑)。追い込んじゃう、みたいなことも。

 

杉本 そうなんだろうなあ。

 

山内 ケースワーカーさんもピンからキリで。「おまえ~!」と思う人もいますからね(笑)。

 

杉本 (笑)それは本当に反貧困運動の頃の『もやい』の人なんかが頑張ってた頃にね。ケースワーカーさんのことをずいぶんきつく言うというのは、本当に事実そういうことが。まあ実際「餓死事件」も何件もあったわけですし。

 

山内 そうです。いま刑務所にいる人の担当ケースワーカーさん。要は、再び捕まっちゃったという話なんですが。就労指導していたのか分からないけれども、何か就職活動も決まらなくて、生活保護を打ち切ってくれと役所に言いに行ったらしい。それまで担当ワーカーはその人にどう対応してたんだろう?と思って電話したんですよ。

 

杉本 はい。

 

山内 「あなたのケースワークが悪いからこうなったんじゃないの?」くらいの勢いで電話したんだけど、そうしたら1回も本人に会いに行ってないっていうんですよ。なんで行かないの?って聞いたら「だって怖いですもん」って。

 

杉本 ははは(笑)。

 

山内 脱力しちゃった。

 

杉本 正直すぎる(笑)。

 

山内 いや、何か行政1年目らしいんですね。なのに配属された、みたいな。

 

杉本 ケースワーカーさんって若い人をまずは行政職の仕事のとっかかりとしてその仕事に就かせるでしょうね?良いケースワーカーさんも配転で一般職に行ったりすると、不幸になる受給者の方もいると思うんです。何か利用者の気力や心境について分からないワーカーさんがその人に向けて「働け」といってもなぁという。もう少し例えば釧路の櫛部さんがやったように、働くという所まで行けなくても、社会参加みたいな位置づけのような所を用意する。怖くない、「ならし」みたいなね。ここまでのことだったらできる、みたいな場所を何とか見極めて。

 

山内 そうですねえ。

 

 

 

中間的な居場所作りのロジックをどう作るか

 

杉本 仮にそういう福祉専門職の、例えば病気や障害の疑いとか、障害年金受給できるような人とかも居るかもしれないから、ケースワーカーで専門職にそういう人がいれば、保護費問題いろいろあるけど、少しは減らすことも出来るんじゃないかみたいなことを岩見沢りんくの大瀧さんは言っていて。それはある種正しいんじゃないかなと思うんです。まあ、知的な障害があったり、発達の障害があったり、精神的な問題があったりということを、ぜんたい障害という形でくくっちゃうことが良いか悪いかは置いておいて。とりあえずは専門機関に見てもらえるような体制を作ったほうがよいのでは。いまの時代はなかなかキツイので、そういう仕組みを作ったほうが本人にとって実は実際は楽だった、みたいな。

 

山内 うん、うん、うん。

 

杉本 展開が開けた、みたいな。もう八方塞がりだったけど、ちょっとこちらの方に道が残っているという風になり得るかもしれないと思うんですけどね。

 

山内 うん。なにかやっぱりすごくいま中間的就労というかな。そういう居場所、とりあえず今日一日何をする?といったときにそこに行くことができるというか。そこから始めないとなかなか結びつかない。ひとっ飛びに就労という風には行かなくてね。ただそういう場を「必要なことなんですよ」といわゆる世間に向けてどう納得させていくか。そういう居場所作りってよくあるけど、やっぱりお金がかかる。そのお金をどこから捻出するのかがだいたい課題になっちゃうけれど、それはやっぱり必要なものなんだということで行政からちゃんとお金が出るような仕組みになればね。だから世間が「これはあったほうがいいよね」となればお金がつくだろうから。「あったほうがいいんだよね」ということをどういうロジックでみんなに納得させるのかというところですね。

 

杉本 湯浅誠さんもいろいろと努力されてきましたけど、最近は子ども支援のほうにシフトしていて、政治のいろいろな問題という所への力が少し弱いですよね。この問題を提起する。

 

山内 そうですねえ。

 

杉本 潮流作りなんでしょうね。

 

 

 

健全さを求めすぎる社会

 

山内 何か前に湯浅誠さんは戦略的にやっているとか言ってましたけどね。まあ子どもが一番こう、ね。

 

杉本 ある面では正しいんですけどね。子ども時代のトラウマというのは尾を引くので。

 

山内 ただ僕も子どもとか若者とかの集まりに呼ばれて何か話するときにつくづく思うのは、何というのかな?そこにいる人たちって子どもや若者が好きな人たちなんですよ。やっぱり。

 

杉本 (笑)。

 

山内 だから不思議だなあと思うのは、そういう人たちがけっこう何ていうんだろう?大人に対しては自己責任論容認にけっこう傾いていたりしていて(笑)。

 

杉本 けっこう厳しい(笑)。

 

山内 でもね。このホームレスのおっちゃん、むかしは子どもだったのにな、って(笑)。

 

杉本 そうそうそう(笑)。そうなんですよね。

 

山内 そこが不思議だなあと。

 

杉本 まあ、素朴にいうと、わかりやすいわけですよね。子どもはリアクションもシンプルですからね。特に女性は子どもが好きだろうし。それは「子ども食堂」とか、子どもの貧困は女性にも非常にわかりやすいと思うんですけど。やっぱり女性が、と言っちゃいけないですけど、「ホームレスの人」とかには…。

 

山内 う~ん。「生活保護の人」。

 

杉本 大人の人で働いてない人、生活保護の人。怖い、というイメージは拭いきれなく出てくるでしょうね。ですからどうしても男性がやる領域になっちゃうんでしょうけどね。一般世間的に言うとなかなか難しくなってしまうことですよね。

 

山内 そうです。

 

杉本 でもねえ。僕、思うんですけど。労働に関していえば、みんなそんなに生真面目に働いているんですか?という気もするんですよ。もちろんそれは厳しく生真面目に働かざるを得ないという職場もあるでしょうけど、手を抜くとこは手を抜いてるとか、まあ残酷な話だけど、部下の悪口を言ってたりとか、「あいつはどうもね」みたいな。まあ愚痴がね。そういうものじゃないですか?人の集まりって。そこで傷ついてしまっている人もいるわけだから。

 

山内 そうですね。何かすごく健全さを求めすぎるというか。

 

杉本 でも、それは健全なのかなあ?

 

山内 僕もそう思います。何か一番そういう所がね。何というのかな……。

 

杉本 いや、不純なところを含めてね。それこそ人間の健全性、というのなら、僕も分かりますけど。

 

山内 いや、さっきのどうやって世間の納得を得られるかという時にどうしてもクリーンさがないとダメで。納得させることができない。でもそれって、本当にリアルにあなたもそんな風に暮らしているんですか?といったらそんなことないでしょう?と。

 

杉本 基盤がある上でみんな生きてますからね。

 

山内 何だろうな。「税金が投入されることが、云々」というのが本当に嫌だなと思うんですよ。

 

杉本 でもおそらくそれは上澄みの観念だと思いますよ。身に染みて、言ってる人はいないんじゃないですかね。

 

山内 そうですよね。何かそろそろ「そういうこと言うの、やめませんか?」みたいに思うんですよね(笑)。

 

杉本 完全にステレオタイプな物言いですよね。

 

 

 

産業構造の変化のあおりとホームレス問題

 

杉本 ところで先生はこの、金子充さんの本(『入門貧困論』)、読まれました?

 

山内 ええ、読みました。

 

杉本 やっぱり「勤労することが正しい」みたいなものって当たり前のようで、実は結構複雑な要素がありますよね。フーコーのね。規律訓練とか。まあ難しい議論も入ってますけど。内面化された労働者倫理みたいなものがあると。昔のように強引に人を働かせて、奴隷的に扱うというのならば、反動的に「革命だ」という議論にもなるんでしょうけど。連帯ができなくなった時代では個々人が自分で自分のことを努力をして始末をつけるべきだという考えが内面化されちゃってるから、「努力できません」となってる人に対する冷たさというか。まして日本人の場合、プラスアルファで同調意識が強いから、その両面がありますよね。同調性の圧力と、勤労の倫理と。後者はこれは世界的に。まあ西洋からの労働倫理なんでしょうけど。

 

山内 貧困対策でいえば、戦後しばらくの間主流だったのは失業対策事業でした。これがいつの間にか「貧困対策として」という言われ方がされなくなってしまった。そこでなされていることというのはいま言ったようなクリーンさというものとは質が違うものだった気がするんですね。「仕事、作ってくれ」という(笑)。そこでなされる仕事っていうのは何というのかな?まあ雑多な。

 

杉本 公共事業ですよね。

 

山内 ですよね。いわゆる。で、そういう生活保障の仕方というのがなくなって来ているところで、それでいながらお金を出す以上はクリーンにやれよ、という(笑)。何かすごく生きづらい方向、生きづらい方向に。保障の仕方がその人にとって生きづらいというか、見張られているというか。フーコーじゃないけど(笑)。何というんですかね。「あるじゃん?こういうこと」というのはあなたたちには無いからね、という。何かそっちの方向に持って行っちゃってるのかなぁ。

 

杉本 そうですね。仕事の中身もサービス産業化というのもありますからね。

 

山内 そう。

 

杉本 コンピューター使う仕事が増えてきたりとか。

 

山内 何かイギリスとかね。郵便局に生活保護申請の申請書が置いてあるとか。

 

杉本 ほう。そうですか。

 

山内 だからその裏返しということですかね。申請は自由にしていいけど、全部自分でやってね、という。

 

杉本 ケン・ローチの『私はダニエル・ブレイク』という映画の主人公は言うわけですよ。「俺は書式派だ」と(笑)。自分はペンで書く主義なんだと。でもコンピューターを扱えないために公的機関にアクセスできなくて、エライ痛い目に遭ってしまう。別に頭が悪い人でも無いし、ちゃんと理路整然とモノもしゃべれる情に厚い人なんですけど。インターネットで受給申請しないといけなくてとんでもない目に遭う。そういう仕掛けの映画なんですけどね(笑)。

 

山内 う~ん。

 

杉本 その状態に関して若い福祉行政の職員とか、ハローワークの職員とかは「知りません」みたいな感じなんですよ。主人公に対して(苦笑)。ちゃんと一回教えたんだからそれで覚えて下さいよ、あとは貴方の責任ですからね、みたいな感じで。ある種、現在の保守党政権に対する批判込みでしょうけどね。

 

山内 ああ~。

 

杉本 ケン・ローチは元々労働党支持の社会主義者ですもんね。だからちょっと強調してるのかもしれませんけど。いずれにしてもスマホ社会でみんなどこへ行っても若い人はみんなスマホを使っているし、電子マネーみたいな感じで、みんなカードを使ってピッピッ、ピッピッやってますけど。やっぱりそこからこぼれ落ちちゃう人はいると思うんですね。

 

山内 いや。ホームレスの問題はけっこう根深い産業構造の変化のあおりを受けたという議論は本当にそうだよなと思います。

 

杉本 現代社会がほっといてしまった部分をそのまま放置しちゃった結果。

 

山内 そうですね。ついていけなくなった人たちはどうなるんだろうなと思いますしね。

 

 

 

「りんく」―岩見沢生活サポートセンターりんくのこと。平成二十七年から施行された生活困窮者自立支援法に基づき岩見沢市が設置した施設。HPhttp://wx01.wadax.ne.jp/~iwa-link-net/cp-bin/wordpress/

 

「ジョイン」―JOIN-ジョイン-は札幌市の委託事業として「ホームレス相談支援」の総合相談窓口としての札幌市ホームレス相談支援センターと、シェルターを有する4つの団体で活動している。現在居場所を失った方、また失うおそれのある方を対象に一定の期間、衣食住を提供し、自立のための支援を行っている。複数の団体が連携しており、支援を必要とする人との状況に応じて、より枠の広い受け皿となり、適切に対応することを可能としている。

 

HPhttp://join-sapporo.net/index.html

 

アジールー女性サポートAsyl(あじーる)。女性の生活困窮者のための総合相談窓口となっており、そのなかで、DV被害や経済的困窮により行き場を失った「ホームレス女性のためのシェルター」を運営している。

 

HPhttp://join-sapporo.net/shelter-01.html

 

れおんーコミュニティハウス「れおん」。生活に困窮している若者を中心に、居宅場所を提供しながら、生活習慣の改善、就労支援、社会参加の機会提供など、個々の課題に応じた自立に向けたサポートを行う。

 

HPhttp://join-sapporo.net/shelter-03.html

 

「みんなの広場」―札幌市北区の路上生活者や住む場所がない人の緊急一時宿泊所(シェルター)。生活相談活動、障害者地域活動支援センター、高齢者・障害者に対する生活支援を行っている。

 

HPhttp://join-sapporo.net/shelter-02.html

 

『入門貧困論』―金子充著。明石書店(2017年)。貧困と公的扶助を大きく二つに分け、制度の解説と、「貧困」の意味を社会福祉の理論のみならず、社会学的角度から論じた社会保障制度及び貧困論の包括的な社会福祉学における良書。今回のインタビューに際し、貴重な参考書とさせていただいた。

 

フーコーーミシェル・フーコー。フランスの哲学者。代表的著作に『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』など。

 

フーコーの考察は近代を問い直す側面でその業績は多岐にわたるが、そのひとつとして「日常的な実践がどのようにして人々のアイデンティティを決定し、認識を体系化しうるのか」を研究し、『監獄の誕生』で近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院などは規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として同一の原理に基づいていることを指摘し、社会が個人の肉体を訓練することによってその個人を規律化していく方法について論じている。晩年は「生権力」と呼ばれる新しい権力、つまり伝統的な権威の概念では理解することも批判することも想像することもできないような新しい現代的な管理システムが発展しつつあることを示そうとした。それはつまり抑圧的であるよりもむしろ、生(生活・生命)を向上させるかたち、たとえば住民の生を公衆衛生によって管理・統制し、福祉国家という形態をとって出現していると分析している。(ウイキぺデア参照)

 

 

 

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                        高齢化による脱路上