それぞれの、「唯一者」的な生き方

 

 (笑)全然いいです。だから何か国の制度使わないとか、かたくなになる必要はなくて。別に使えるものは使ったらいいと思うし、もっと言ったら別に安倍に反対している連中がみんな国家的な機能とか全部使ったらいけないのかとかそんなわけないですよね?

 

杉本 でもね。僕はバカでしたから思ってましたね。共産主義の人たちって一体どうやって生活してるんだろう?って。

 

 ははは(笑)。

 

杉本 昔は思ってましたね。こんな表向きから資本主義批判、国家批判してどうやって金稼ぐんかいなあ?って思ったりしてましたね(笑)。

 

 一時期あったじゃないですか。別に坂本龍一を守る気毛頭ないですけど、坂本龍一が原発反対だ、みたいなことを言ったらバカな連中が原発使わないということはお前は電気を使わないで音楽制作してるのか?みたいな。バカな言いがかりつけてきて。何か本当にバカ同士がいろいろ言ってるな、と(笑)。

 

杉本 そのバカ、あるかもしんない(笑)

 

 いえ、そんな。

 

杉本 いえ、本当そうです。僕、ロック聞いてましたから。これ、いずれ聞くのアコギに変えなくちゃいけないかも?と(笑)。

 

 それはそれで思ってていいと思いますよ。

 

杉本 実際は自然体に年齢として何かアコーステックな音色いいなあと思うように変わってきた面もあるんですけどね。

 

 まあその一方でまったくもって電気を使わない生活も僕自身全然アリだと思っていて。

 

杉本 アリですか?

 

 うん。それこそ最近マーク・ボイルという人が何年も一切お金を使わずに暮らすという本が出てます。最近は『無銭経済宣言』かな。

 

杉本 お金を使わないんですか。一銭も?

 

 一銭も使わない。

 

杉本 ええ~?出来るんですか?

 

 出来ます。やってた人の実践がある。それは田舎に住んでるとなおリアリティがあるというか。でもたぶん東京でも同じやり方で、それこそ東京とか都市部のほうがホームレスが多いというのがあったりして。もちろんそのホームレスの人たちが追いやられてしまった状況とかというのを考えなくちゃいけないし、また逆にその一方でホームレスの人たちは自分たちでホームレスになりたいと思う、ホームレスになる権利だって持っているし、その辺はもう少し複雑に語らなくちゃいけないですけど。それはいちおうカッコにくくって、東京は東京である種ゼロ円で暮らす知恵だってあるわけだし、別に田舎だろうが都会だろうがあり得る気はします。そういう事がちょっと知られていくだけでも勇気が出るというか、元気が出る。いつ仕事を辞めてもいいかなあという。

 

杉本 なるほどなぁ。例えばそこまでのパワーがなくとも親が資産持ちで働かなくて生活できる財産を持っている家の子どもでアナキズムで生きていきますというのもアリですかね?

 

 いや~、アリなんじゃないですかね。そうそう、バクーニンはさんざん「相続税の廃止」とか言っていたけど、人が相続した財産で生きていたわけだし(笑)。

 

杉本 ああ~。そうですか。それは余裕シャクシャクですね。

 

 まあ晩年はちょっと悲しい晩年であったりはしたんですけど、でもそういうこともあるし。別にその人なりに国家というものに全部自分の根まで吸い取られないように生きていくというのを考えたとき、さっきのシュティルナーを例に取れば自分自身の「唯一者」的なところがきちんと確保されている限りは別にどんな仕方でもいいんじゃないかと思います。

 

杉本 まずは国家機関とかそういうものに対しては相対的に対峙して考えて、でまず自分自身というものを大事にするということで。ですからそういう意味ではやっぱり近代人のあり方ですよね。

 

 

 

近代的な主観性はその都度、その都度

 

 ああ~。まあ近代人というか。もちろんアナキズムの出自そのものがある種近代的なものとセットなので。

 

杉本 ですよね。フランス革命で…。

 

森 革命以降なので。ただまあ、プルードンも言ってるし、いろんな人が言っているようにそういうある種の近代的な側面が前景化しただけであって、その根にあるものは実はずっとあったもので、実は近代以前からあったようなものじゃないかなという気はします。確か『図書新聞』の鼎談で言ったか言わないか忘れちゃいましたけど、ブルーノ・ラトゥールの言葉で、「我々はまだ近代ではない」というのがあって、まあ近代というのは500年くらいでやってきたかもしれないけれど、それだけに覆われ切れない「根」や、「土台」みたいなものがある気はしますね。

 

杉本 栗原さんもね。一遍上人の話はけっこう熱く語ってくれまして。やっぱりその、近代以前の、何でしょうね。身体性みたいな。「ああ、そうです、そうです」と言ってましたけど、そういうからだの動きとか、管理されない身体性みたいなものの再評価みたいなことをずいぶん熱く語っていたような気がしました。やっぱり思考は近代人というか、自我を大事に考える。内省的に「自分とは何ぞや?」みたいなことを一回考えて。でもその中で近代的自我を深掘りする中途で、効率主義でお金を儲けて自分で居を構えて自立した人間として生きるのを正しきものとする。そこからズレた人間はおかしいとか、間違っているとか言って排除する。この流れとまた違う方向性を森さんもそうだし、栗原さんも考えてることなんだろうと思うんですよね。また、クロポトキンも自然から人間は倫理を学んだと書いてますよね。元々社会的動物の知と、社会的動物の生き方から学んで人間の倫理が発達したと書いていたと思うんです。つまり倫理はそんな観念とか形而上的なものじゃないと。そういう意味での自由。だから経済的に頑張って仕事もしっかりやって、新しいものを作り、便利にもしてくれてるんですけど、どうも心中苦しいという人も多いですよね。何かちょっとイライラするというか。そこから解放されたいとどこかで思っているけど、どう解放されたらいいか分からない。そこでいまのアナキズムの研究してる文化人類学とか、前近代的なものからもう1回こう、改めて掘り起こしてくることがされてるのかなと思うんですけど。どうでしょうね。

 

 そうですね。さっきの国家とか近代的なものをある種フリーライドしつつ、だからそこら辺も両方必要だというのがあって、もちろんその使い方が問題なんですけどね。デカルトもそうなんですけど、デカルトって近代の主体、主観性みたいなものを確立した、ともすれば権化みたいな語られ方をする人ですけれども、「我思う故に我あり」という定義というか、それを真理として語るんだけれども、そのあとに文言を見ると、それを言うたびごとに「それは真である」という風に言ってるんですよね。

 

杉本 それは真である、と?

 

 うん。それを言うたびごとに「それは真である」と。

 

杉本 ああ、言うたびごとにね。

 

 要するにそれだけが揺るがない前提なんじゃなくて、それをその都度、その定義を毎回毎回やらないと真理じゃないんです。

 

杉本 はは(笑)。大変ですね。

 

 そう。実はそんなに揺らがない近代的主観性というものはデ~ンとあるものではなく、近代そのものも、何か「その都度、その都度」のようなものがあるんじゃないかな。

 

杉本 やっぱり揺らぐんですね(笑)

 

 そう、揺らぐし、デカルト自体はすごい近代主義の権化みたいに言われてるんだけど、デカルト自体は何か「プレ・モダン」の権化みたいな所もあって(笑)。やっぱり両方できるんですよ、彼は。その意味ですごく天才的というか。ただ、その上澄みの部分だけ持って行かれてしまって、そういう風に語られてしまう。ニュートンの物理学もそうだし。だからどの思想家をみても「近代的なことだけ」を書いている思想家なんていないんですよね。ニュートンだって錬金術もやっていたし、ライプニッツだって、ともすれば中国だったり、イスラムとかの文化を取り入れてたかもしれないみたいなことを言われてるわけだし。

 

杉本 その時代に生きてたら、その時代の中から手に入れてきた知識や技術みたいなものを自分なりに編集するという言葉が適切かどうか分からないですけども、それで合わせて「発見だ」って思わせるようなことを言うけれど、それを最初に定義づけた人はその前に現代人が「いかがわしいもの」と決めつけているものがある世界の中で生きているわけだから。その影響は受けてるはずですよね。

 

 そうなんです。

 

杉本 で、その中でそれだけでは違うんじゃないかと言うことで発明がおそらくあったんでしょうね。

 

 

 

近代の徹底と、前近代の掘り起こし

 

 そう。その近代的なピュアな表層だけをサーッと取って行くのが確かにこの5~6百年続いたことかもしれないけれども、いかにピュアにやっても必ず穴みたいなものがあって、絶対完全なピュアなものにはならないというか。ある意味それが科学。数学とかもそうですけれども。いかに数学の統合理論を作るかとか、物理学でも例えば「超ひも理論」がありますとかいっても、常にズレていくというか。そこが面白いところだなという気がしていて。もちろんある側面で近代的なものを徹底させていくことによって、何というのかな。徹底していっても徹底って絶対あり得ないんですね。ですから、そういった側面はずっとあり得ないことだなって分かった上でそれをやっていく。それによってある種、壊していける側面というものがある。それこそクロポトキンの『近代科学とアナキズム』という本はそういうことが書いてあって。もちろんクロポトキンの時代ではあるので、近代的な科学に対する無垢なまでの憧憬みたいなのがあって、けっこう何でも万歳!みたいな感じで認めてるんですよね。だからそこは少しいろいろ切り分けが必要なんだけれども、まあ無垢な万歳みたいなものをもっと徹底させていったらその内側から食い破られるものが絶対ある。

 

 ただそれだけじゃダメなんですね。それこそドゥルーズとか、彼なんかはけっこうハイパー近代主義者みたいなところがあって、近代科学みたいなものをどんどん徹底させよ、みたいなことを言うんです。徹底させていったって、徹底させられるわけじゃないと。ただそれをやっていく過程でそれを高速回転させていくとそれは自壊していくと。そういう風にとらえることもできるかな。それも戦略というか、戦術というか。その一方でさっき言ってたある種のプレ・モダン的なものですよね。それは別にオルタナティヴとかじゃなくて、むしろレボリューショナルなものと言っていい気がするんですけれども。

 

杉本 そこはオルタナティヴなものじゃなくて、レボルーショナルなものなのですか?

 

森 例えば、オルタナティヴというのは枠組みの中で近代的なもの、その中での近代に寄り添いながらもやっていく。その枠組みの中でちょっと横で伴走しているのがオルタナティヴだと思っています。それに対して大きく枠組み自身から、土壌からズレちゃってるものは、定義もしないで本に書いちゃったんですけど、レボリューショナルなもの。要するに全然変わっちゃってるものという意味で。ある種近代的なものから、もちろんそこで近代的なるものをどういう風に線引きするかは議論すべき問題がいっぱいあるんですけれども、仮にそういう区分けをした場合にそこでどうやって知恵を掘り下げていくか、知恵を創発していくのかということをやっていく。その時にも両方必要な気はしていますね。そこでのバランスの取り方もまたすごく大変だし、最近だと近代的なものの枠組み、例えば科学技術というものの枠組みでその相手の体制とかに取られずにこっちに奪い返しちゃうみたいな事例では「ハッキング」とかありますよね。

 

杉本 ああ、はい。

 

 例えばフランスのある人たちとかだったら電気かな?電気だったかガスだったかちょっと忘れましたが、ある種インフラがフランスは進んでいるから、全部ネットワークで制御されてる。

 

杉本 ああ、そうなんですか。

 

 逆にそこでハッキングが出来ると相手のコンピューターを攻撃して、自分たちの地域だけずっとゼロ円にできるとか(笑)。そういうことやれちゃうわけですよ。だからテクノロジーをどう使いこなすのか。そこは「物は使いよう」という気はします。ハッキングの技術を覚えればいいこともあるだろうし、それでもっていろいろな何だ?良く知りませんけどアノニマスとか、攻撃とかするわけじゃないですか?どっかから情報をリークしたりとか。ウィキリークスかな。あの辺の人たちは良くわかんないですけども。でもそういうのも我々の技術として使ってみるというのも「手」だろうし、そのもっとアナログなやり方としてはそこの計器メーターをバーンとぶっ壊せば、もう測れないから次の電気料金とかね。安くなる可能性もあるわけですよね。

 

杉本 (笑)そうですかね(笑)。

 

 わからないけど。

 

杉本 弁償してくださいって言われるんじゃないですか(笑)

 

 う~ん。まあ弁償してもそっから測れないから。まあいいかな、みたいな。「僕はやってません」と言えばいいわけですよね。「誰かがやったんじゃないですか?」って。

 

杉本 ああすごいな。居直っちゃう。

 

 だからまあ、いろんなやり方はある気がして。

 

 

 

根拠はないが、動けば何とかなる気がする

 

杉本 へえ~。アクティヴですね。出来ないんだよなあ。ひきこもり気質の自分は。結構真面目に(苦笑)。「すみません~」みたいな。謝っちゃったりして(笑)。新しいやつに取り替えますからって。

 

 ああ~。でも何かそれは何か栗原さん言い方うまい気がするんですけど。何か一歩でもちょっと勇気出してやってみると景色ってちょっと変わる瞬間ってあるじゃないですか?

 

杉本 でも栗原さん、面白いなと思ったのは仕事見つからなくてお金がなかった頃、親元に住んでた頃にとにかく土下座してました、って言ってますね(笑)。「申し訳ない。今しばらくお待ちを」(笑)。だからそういう手もあるのかなって。

 

 そういう手もね。

 

杉本 あるかもしれませんよねえ。攻撃じゃなくてひたすら謝る(笑)。

 

 何かある種のね。何と言ったらいいのかな。

 

杉本 素材がないってことはネガティヴなこととしてひきこもり界隈では染みる話としてあるわけですよ。だから持ってる資本や資源がないことで、持ってる人からどうやって助けてもらうかって。栗原さんは何年かひたすら取りなして、「もうしばらくお待ちを」とかやってたりとか。食わしてくれる彼女がいてくれればそれで何とかなるんじゃないかと思ったとかって。そこはやっぱりアナキストだなと思うんですけど。いとも率直に話してくれて、面白かったですけど。非常に正直だなと思って。あとはさっきのサバルタン。

 

 サバルタンね。

 

杉本 へへへ(笑)。

 

 なるほどね。僕は別に頭下げてたわけじゃないんですけど、去年(2016年)の11月までパートナーの実家に住んでて。

 

杉本 あ、そうなんですか。

 

 ええ。ここから近いんですけど。

 

杉本 あ。え~と。奥様は……。

 

 福岡の人で。

 

杉本 こちらなんですね。

 

 そう。で、たまたま部屋が空いてたんでそこに子どももおるので一緒に。要するに子どもが生まれてからずっと住んでたんですけど。

 

杉本 近いんですか?

 

 ここから15分くらいの福岡市内です。で、たまたま相手の親は何も言わん人で、僕は年収40万から60万行ったり来たりする中で、ほぼ稼いでない状態で。

 

杉本 ちょっと辻潤ぽい状況で。

 

 そう(笑)。ただとにかく何か居させてくれたという状況で、まあ甘えたのもあるし、もちろんストレスでお腹が痛くなるような状況もありましたけど、でもそれはあっちも言わんし、こっちも言わんとこうみたいな変な(笑)それは意地とかじゃなくて、普通に。出来ることがあればオトンのためにすることはしてたし、持ちつ持たれつみたいなことがありましたね。ただずっといるのも申しわけない部分があるし、やっぱもう少し好きなように、パートナーのオトンの好みではない中東料理とかインドカレーとか作って食べたいみたいなのもあるから(笑)。まあ、だから出たと。で、家を出るときも収入が入る予定とか全くない状況で出て、まあいったらいったで何とかなるかなと思って。で、たまたま引っ越してちょっとしてから「来年度仕事あるけん。ちょっとやってみたら?」と言われて。今年度は逆にちょっと忙しくなってしまったんですけど。何かまあ、動けば動く、みたいな。これは別に全く根拠ないんですけど。

 

杉本 でも、例えば最初に仰られたように中学時代に家出したとか、動いちゃうということに対する抵抗感は森さんの場合は特になく。

 

 ああ、ないかも。

 

杉本 内面的に苦しいということはあったかもしれませんけども、動いちゃうということはやれる。

 

森 そうかもしれないですね。うん。出ちゃうんでしょうね、僕はきっとね。ははは(笑)。

 

杉本 山も登られるとか?

 

 山、登りますね。山、好きです。何か出ちゃうんでしょうね。これ、何て言うんでしょうね。「ひきこもらない」ですか?わからないですけど(笑)。

 

杉本 まあ、「外ごもり」という言葉もあるみたいですけど。

 

 外ごもりなのかな。

 

杉本 (笑)いやあ、どうなのか。

 

 まあ、基本的には家に居るんですけど。確かに自分がどうなのか分析したこともないし、もしかしたらある一定の閾値みたいなのを超えるとパアーっと出ちゃうのかもしれないですね。それはちょっと分かんないですけど。

 

杉本 でまあ、「やったらやったで何とかなる」という体験を重ねていらっしゃるでしょうから。

 

 そうですね。

 

杉本 僕は無理だと思うんですよね。だから出来るだけ「動かない」という所でどこまで出来るかという実践をしたいなとは思ってるんですけど。ただそうは言っても、誰ともコミュニケーションをとらないでこもっているというのは嫌なので、やっぱりこういう形でお話を伺える機会を今後も続けたいと思ってるんですけどね。

 

 

 

*マーク・ボイルー(1979)。イギリス在住の自由経済運動の活動家。2008年より、ブリストル近郊で金銭を介在させない生活を始める。徹底した自給自足の体制をとり、今まで短時間でできたことも長時間掛けてしなければならなくなった。このことが原因で恋人とも別れたという。しかし、1年経過し「暮らしは快適」と本人は語っており、「もう元の生活には戻りたくない」とも語るようになった。著書"The Moneyless Man: A Year of Freeconomic Living"(邦題『ぼくはお金を使わずに生きることにした』)は、世界10カ国語に翻訳され、14カ国で出版されている。

 

*ブルーノ・ラトゥール ー(1947) 。フランスの哲学者、人類学者、社会学者。専門は、科学社会学、科学人類学。ラトゥールの社会学の中心に位置するのは、「主体‐客体」という近代的二分法からの脱却という問いである(社会‐自然等の二分法も同様)。ラトゥールは、この問いに対して、プレ・モダンに回帰するのでもポスト・モダンに回避するのでもなく、「人間‐非・人間」によるアクター・ネットワーク理論という「ノン」・モダンの決着法を提案する(このアイディアは、ミシェル・セールの「準主体、準客体」概念からヒントを得ている)。(ウィキペディアより)

 

*ライプニッツー(1946~1716)。ドイツの数学者、哲学者、神学者。微積分学の形成者。予定調和説によって、哲学上・神学上の対立的見解の調停を試みた。今日の記号論理学の萌芽も示す。主著「形而上学叙説」「人間悟性論」など。

 

*アノニマスー匿名(Anonymous)で活動する国際的ハッカー集団。政府や企業に対する抗議活動の手段として、DDoS攻撃(Distributed Denial of Service attack=分散型サービス拒否攻撃)によって、インターネット上の特定のサーバーをアクセス不能にしたり、サーバーに侵入し、データの改ざんや流出を行ったりする。201011月に、機密情報を公開する組織「WikiLeaks(ウィキリークス)」が、アメリカの外交公電を流出したことで、PayPalやマスターカードなど数社がWikiLeaksへの支援を中止した。(知恵蔵より)

 

 

 

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