コミュニケーションの濫用よりも、コミュニケーションの作法

 

――話をどんどん飛躍させて申し訳ないですけど、寿町の寄せ場の映画は感情の表出がダイレクトじゃないですか?みんな。人間の喜怒哀楽がドーンと出てくる。ある種カタルシスがあるんですよ。

 

原口:それに惹かれるというのは確かにありますね。泥臭さ。やっぱりねえ、生きていればそれなりに汚れたりもするし。

 

――喜怒哀楽の4文字しか出てこないんですけど(笑)。あると思うんですね。やっぱりいまテレビに出てくるコメンテーターとか、やはり理性的に振る舞って、感情を表に出さないように。裸の感情を表に出すような人はテレビに出さないような感じですもんね。

 

原口:あ、でもトランプはむき出しにしているようですよ。

 

――ああ~。そうですね(笑)

 

原口:でもむき出しの表出がネット上だともう悪意が入り乱れていて、喜怒哀楽とは別の位相に、やはり匿名性の空間の中にある。あれがやっぱり感情を暴走させてますよね。別の所に出ちゃっている。

 

――そうか、ネットのほうで出てますよね。

 

原口:ダイレクトに怒る感情が消えた分、ヘイトはすさまじく高まってますよね。

 

――これはなんなんでしょうね。辿れば元は同じなんでしょうかね。きっと戦争を含めて思うんですけど、DVもそうなんですが、ぼくは最近ディスコミュニケーションが基盤なんじゃないかな、という気がしてるんですよ。コミュニケーションが不全だから、たとえば肉体的に相手を抑圧したり、知的に不備だったらいじめたり、DVに至ったり。そういう形になるのはコミュニケーションを取りたい相手なんだけど上手く取れないから。いじめもそうですよね。実は本当は気になる相手なんだけど、どうもコミュニケーションが上手く成立しないから、かかわり方が攻撃的、サディステックになってしまう。

 

原口:別の考え方も出来ますよね。コミュニケーションを上手く出来なくちゃいけないというプレッシャーによって、それが反転すると。

 

――それもありますね。コミュニケーションが潤滑だというのがひとつのトレンドになっちゃってますから。

 

原口:そうです。だって釜ヶ崎とか寿で見られるコミュニケーションはある意味で言うと、ディスコミュニケーション花盛りの世界で。

 

――(笑)まあ原始的コミュニケーションと言ったら怒られるかもしれませんけど。

 

原口:コミュニケーションそのものよりも、コミュニケーションの捉え方とか、作法とか、何かそっちの方が重要な気がしますけどね。

 

――作法ではなくて、濫用がすごくキツくなってきてるから。だからジェントリフィケーションの話もディスコミュニケーションですよね。だってそこに住んでいる人間の意見とかキチンと聞いて仕事をするわけじゃないじゃないですか?

 

原口:ああ~。はい。

 

――資本投下出来ると見込まれたところに来て、国家も行政もそうなんでしょうけど、「知らないよ」というか(笑)。意図、意識が及ばないわけですよね。そこはコミュニケーションに関する野蛮性があるわけで。

 

 

 

声の不均衡

 

原口:ありますね。やっぱりいまの釜ヶ崎の状態をみてもそうですけど、コミュニケーションの言葉で使うと、まず取り上げられる声というのが、メディアとかもそうですけど、圧倒的に不均衡です。労働者の声というのが取り上げられない。

 

――ナマの声というのが全然聞こえてこない。

 

原口:出てくるのは、ネットで調べたらすぐ出てくるとおもいますけど、星野リゾートの社長のインタビューとかがバンバン出てきます。で、星野リゾートの社長も釜ヶ崎に理解を示しているかのようなスタンスを示して、カッコ付きの包容力があるという形で見なされてしまう。ほとんど労働者の声は出てこないので、その「声の不均衡」は確実にありますね。

 

――それはもう原口さんのような人が本来は出てですね。やっぱり何だろうなあ。コミュニケーションというか、きちんとした対立のコミュニケーションをやって欲しいですけど(笑)。

 

原口:ははは(笑)。たぶんもう僕らの世代からテレビからソーシャルネット、SNSからもメディアにうんざりして。マスメディアにもうんざりしているというのがひとつと、もうひとつには僕自身が釜ヶ崎とかに居て、そのような場でいろんなことを学んだので、そういう「場」こそが学びの場で、自分が発信できる場だと思っているから。そういう場に依拠しながら対立のコミュニケーションをつくっていく。しかもそれが狭い中での内ゲバ的な対立ではなしに、より連帯を作っていくための対立を作れる場ってあると思うんですね。そういった「地図」を作りたいですね。

 

――なるほど。とにかく資本の蛮勇がね。これ以上進まなければいいんですけどね。

 

原口:ええ。ただ本当にこの状況がずっと続くとは到底思えないので、2020年のオリンピックがすぎたら絶対クラッシュがくると思うし。それひとつとってもそうですし、また今年の風水害も予想できなかったですし。無理やりにこれまでの延長線上続けてたところがありますけど、たぶんもうそろそろ何が起こるか分からない状況がありますからね。

 

――ええ、ええ。だから「ショック・ドクトリン」なんて言葉もありましたけど、そういう方向に行かず、本当に、冷静に今まで通りじゃいけないなと。ひとりひとりが思う常識的な形に進んでほしいですね。

 

原口:そうですよね。これまでの語り、これまでの近代以降の成長以降に常識となった意味での展望というのは全くないんですけど、別のなにかを探していかないとやっぱり同じことの繰り返しになっちゃいます。かつてと同じことを繰り返しているじゃないですか。オリンピック、万博という。

 

 

 

展望がないのは民衆の運動よりも国家と資本

 

原口:そういった意味でいうと、展望ないというのは、実は民衆の運動の側よりも国家と資本が一番、展望がないんじゃないですか?

 

――ああ、そうですね。

 

原口:過去を繰り返すことしかできてないじゃないですか?同じことを64年オリンピックがあったから、70年万博あったのを繰り返すわけでしょう。何の意味も展望も示しているわけじゃないですしね。

 

――アベ政権って本当、そうですよね。何か本当に希望の持てない政策をどんどん出してきますよ。

 

原口:やってることといえば「脅し」しかやってないです。

 

――そうだ。政策は何かといえば復古調ばっかりですもんね。

 

原口:そう。だからむしろあせっている、展望がないのは資本、国家なので。いま「淡々と生きたい」というのは、これはひとつの展望じゃないですか?あしたも、来年も生きたい、って。むしろそういった意味でいうと民衆の側のほう、我々のほうがまっとうな展望を持っていると言い換えたほうがいいのかもしれない。

 

――そうですよね。本当に。確かにさっき言われたように時間感覚とか、都市のインテリジェントビルみたいなところで働かなくちゃいけないみたいな意識に奪われちゃってるんだけど、やっぱり精神の常識みたいなもの。普通の人にとって。かつ、いい意味での情緒性みたいな。そういうのって大事で、「そうだよ、本当にそうだよ」と。アベさんに関してはハッキリ言ってもう普通の人はみんな人情としては信用できないって気づいているから、やっぱり脅しの中であきらめているということであって、いなくなったら変わる可能性はありますよね(笑)。

 

原口:ええ。

 

――いまなんとなくデカい世界がヤバくなってるんじゃないの?って。僕も思い込んでいるのかな?みんな思いこまされているところがあるから、とりあえず継続でアベさんみたいな話になっているけど、やっぱり人柄に関しては信用できないなってみんな気づいているのだけど。「みんな大人」とは言いたくないけど、まあ大人の感覚でとりあえずアベさんにやってもらうほうが、みたいな(苦笑)。

 

原口:特に311以降大人の感覚がたぶん状況とはかけ離れた判断をし続けてしまっていると思うんですよ。

 

――むしろ子どもの感性のほうがよっぽど正しい。

 

原口:正しいですよね。

 

――どうしてこうなってしまったの?どうして、どうして?というのがね。

 

原口:そうです。ラディカルに考えるというのは素朴に考えるということの言い換えだと思うので。何でこうなったの?と。たとえばホームレス問題でも、空き家が沢山あるのに何でホームレス問題があるの?って子どもだったらたぶん聞くと思うんですよ。

 

――そうですね。

 

原口:食料がこんなにたくさん余っているのに何で餓死者が出るの?何で火山のそばに原発があるの?子どもの問いというのはすごく大事だと思うんです。

 

――泊原発のすぐそばに海水浴場があるんです。すごいですよ。この風景って何だろう?って思う。本当に小さな海岸にちゃんと海水浴客が来ていますね。

 

原口:その違和感を違和感としてちゃんと持ち続ける。言いにくい雰囲気が蔓延してますけど、その感覚を手放さないこと。

 

――全然おかしくないと思うんだけどね。

 

原口:あとやっぱりこれから電力を作るよりも特に原発をどう解体するかという所。

 

――それは言われたはずなんですけどね。事故が起きた直後は。

 

原口:そっちにもう向かわなければ。だからインフラの作り方がもうムチャクチャです。被災者に何より住宅が必要なのに、タワーマンションを積み上げる。

 

――(苦笑)。本当ですよね。どっちが優先させるべきことか。政治がやることは前者に決まっているのに。

 

原口:ええ。しかもその作ったマンションの部屋たるや、空き部屋だらけなわけですよ。

 

――さっき言われたように、資本と政治が行き詰まってるんですよね。展望がない。一生懸命やっても。

 

原口:だからもう、誰のニーズにも合っていないものを作り続ける。もう住宅問題なんかも不動産を全部開放したら一発で解消ですよ。けど、がむしゃらに需要を作り出そうとするんですよね。資本主義というものは。それはもうたいがい勘弁してくれという感覚だと思う。ムダなものはいらないし、例えばリニア新幹線なんかいらないわけです。

 

 

 

枠づけられてしまっている私たちの欲望

 

――僕らの日常の中にはなんだかんだ言っても欲望もあれば、見栄もある。余計ながらプライドもあったり、格好もつけたい、モテたい。でもその欲望と、巨大なタワーマンションの展望とは、よく話を聞けばひどい資本の暴走だよね、ということ。これ、僕らがささやかに持っている欲望とは(笑)。つながっていないんじゃないかな?

 

原口:そうです。それをこそはっきり言うべきなのかなと思うわけですよ。欲望は大肯定で「生きたい」とか、「美味しいものを食べたい」とか。でも問題は欲望がなぜかタワーマンションの最上階に住みたいという所に枠づけられてしまっている。これをどう断ち切れるかということです。

 

――「モテたい」「美味しいものを食べたい」と思うと同時に、「街はキレイであって欲しい」とか、「景観はいい感じで、安全であって欲しい」という感じ。これ、とりあえず庶民感覚ではあると思うんですよね。それがより一層攻撃的になると野宿の人とかテントを組んで寝てるとか、不愉快だという次元を超えて「排除しろ」と。ここまで行くとかなり自分の中にある心がサデステックになっているわけです。でも残念ながらあるとは思うんです。キレイなほうがいい、というのは。高層マンションはいらないけど、街はキレイであって欲しいとか(笑)。緑化運動的な、何か極めて町内会的な(笑)。

 

原口:街がキレイであって欲しいということであればそうですね。中世の街が美しいと思う感覚と、ショッピングモールのような潔癖さを求めるキレイとはまた意味が違いますよね。同じキレイでも。

 

――僕は中世の街というのは良くわからないのですが……。

 

原口:まあ、街並みの感覚のたとえです。それといまの話の中で、キレイにまつわる問題としておうひとつ別に考えるべきなのは、目の前にさまざまな人がいるから、街が台無しになるという考え。その感覚というのは、たぶん自分のこの「ホーム」の感覚が自分の家を所有している感覚とない交ぜになっている気がするんですね。

 

――ああ~。はい、わかります。

 

原口:そのあたりはまさしく資本主義ならではの感性だと思って。そもそも野宿せざるを得ない人が生み出される。それも資本主義のロジックですし、自分の所有物の中、所有地の中に異物が入り込むことによる乱れ。まさにそれはいまの資本主義と同期する自分の身体感覚だと思うんですよ。もしもひたすらタワーマンションが積み重なっていくその風景が異常だ、醜悪だ、不合理だと思うならば、たぶんそれと同時に自分の中の感覚にある「所有」を前提にしたような身体感覚をどこかで突破しないといけないのではないかなと思います。

 

一番怖いのは、この所有感覚が集合的感覚になって暴走した時に何が起こるかというと、排外主義であるとか野宿者襲撃であるとか、そういうことにつながってしまう。たぶんそこは身体が問われるところだと思います。自分と土地との、あるいは周りとの。部屋もそうですけれども、関係性が問われてくるのかなあと思いますね。

 

――そうかあ。所有感覚なんですね。

 

原口:所有感覚というのはけっこう厄介な感覚かな、と思うんですね。だから寄せ場労働者がすごいなと思う所はドヤ住まいなので、所有できないんです。所有せずに生きている人たちがあんなにたくさんいて、ああいう活気のある街を作り上げたということはぼくはやっぱりすごいことだと思うんです。ぼくも所有感覚をあらゆるところで身につけしまっているので。

 

――そうですね、本当に。その辺りからテント村の活動もつながるんでしょうね。

 

原口:そうですね。素晴らしい建物だったりとか素晴らしい住まいであったりとか、そういったものを作り上げた無名の人々というのが別に遠い過去でもなく、遠い将来でもなく、目の前にいるし、現にいたという。この確実性というのはやっぱり一番根ざしたいところなんです。

 

――わかりました。ありがとうございます。あと、今後の展望、こういったことを考えているとか、もしもありましたら。

 

原口:そうですね。研究したいことはまだ山ほどありまして。

 

――やはり地理学者として研究したいことですか?

 

原口:いえ。別に地理学者でなくてもいいんですけど。そうですね。翻訳したい本ですとか、調べたい場所ですとか。

 

――ここのところ栗原さんからはじまって森さんもそうなんですけど、すごくうらやましいと思います。皆さん若いので、これからやりたいことがある。本当に読みたい、書きたいと栗原さんや森さんも仰っていて。原口さんからもいま、そういう話を伺って。こういう風に語ってくれること自体が未来だな、と思いますね。

 

原口:そうですか(笑)。そう淡々と言われると。

 

――この世代の人たちが背負ってくれて。皆さんやりたいことがあって、目標があるんだなあってすごく展望だと思いました。

 

原口:まあ「意地」というところもありますけどね。研究しかできないということもありますし。

 

――でも、それも一つの「職人わざ」ですよね。

 

原口:よく言えばそうなるのでしょうか。ただまあ、研究をやっていると、何かを発見した時にもう、快感というか、快楽というか、それがありますね。

 

――うらやましいなあ。

 

原口:また、たまにそれが伝わった時に、誰かが喜ぶといろいろつながるときがありまして。その時の快感とかもありますね。欲望はやっぱり重要だと思いますね。僕の場合はそれが研究なんだなと思います。

 

――わかりました。長時間に渡りお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

星野リゾートー本社を長野県北佐久郡軽井沢町におく総合リゾート運営会社。釜ヶ崎の近い新今宮駅そばに海外客を見込む観光ホテルを建築予定である。

 

2018.9.25大阪市・天王寺の喫茶店にて

 

(インタビュー後記)

    

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