「内なる他者」と「自我二重性」

 

杉本:わかりました。そこでその内なる他者というか、自我二重性みたいな部分。内なる他者と自我二重性。またこれもちょっと違う?

 

浜田:いえ。自我二重性は、自他の二重、生身のこの声でやり取りしている、自他の二重性のその背後に控えている。

 

杉本:二重性はどういう風に捉えたらいいんですかね?

 

浜田:二重性と言ってるのは結局、ひとつでは完結しないから。他者とセットで初めて意味を持つ。人間としてね。

 

杉本:自分と他人の間で、ということですね?

 

浜田:だから自分と他者との間。これでひとつ。その中で自分と他者とのやりとりということで自他二重性。外から見たら、やりとりをしているなと見えるような形ですね。だけどその背後でもう一つ、自分の内側で回路が回っていないと言葉が成り立たないという意味で、「自我二重性」っていう言い方をしたんです。

 

杉本:そうかあ。なるほど。

 

浜田:で、その自他二重性の内側に自我二重性が張り付いている。だから人がいなくなっても自分の中で回路が回る。頭の中で回路が回るという。でその中に、頭の中で回る時っていう相手が誰か?っていうと自分の中にいるっていうこと。

 

杉本:で、もうそれは自分の中で他人と対話してるわけですよね。それはもちろんたくさんやってます。

 

浜田:そうそう。それがいわゆる「内なる他者」ですね。羞恥心の場合だったら、世間の目。“世間の目”なんてどこにもあらへんのやけど、自分の中に抱えてしまう。

 

杉本:で、私の関心としてはですね。みんな当然あるわけですよね。で、なぜそれが過剰に強くなる人がいるのか。日本人に多いですよね?視線恐怖症の人、対人恐怖症とか。

 

浜田:まあまあ、でもそれは向こうでもありますよね。

 

杉本:でも割と西洋に比べても日本は……。

 

浜田:いや、一緒だと思いますよ。

 

杉本:一緒ですか?

 

浜田:基本的に一緒だと思いますよ。

 

杉本:そうですか。

 

浜田:関係妄想というか。

 

杉本:メカニズム的には同じってことですか?

 

浜田:関係妄想もありますし、統合失調症の人たちの独言ですね。病的独言とか、幻聴とかも基本的に一緒です。

 

杉本:ありますね、あれはつまりもう普通の人ならモノローグでできてしまうけれども、それができなくて、その機能が。

 

浜田:内と外の境目がなくなるっていうハンデなんですよね、統合失調症の人たちっていうのは。

 

杉本:なるほどねえ…。

 

浜田:僕らは外からしか声が聞こえないってことになってるけど、内面の中で言葉、記憶の中での相手と交わした会話が回ることありますけど、それは生の声としては聞こえないですよね。

 

杉本:そうですね。

 

浜田:ところが生の声で聞こえてくるという構図なんです。

 

杉本:現実の中でね。

 

浜田:そうそう。内側の声が外の声として聞こえる、という構図になっている。

 

杉本:そういうメカニズムになってるわけですか。

 

浜田:だから、統合失調症の人たちは不思議ではない。僕らのやってることが内と外の境界があいまいになれば、そういう構造になるんだなあっていうこと。だから「変だ」と言うよりも、同じ構図の中で我々はたまたま内と外をきちっと小分けして生きてるけど、それがうまくいかなくなることがあるんだという理解をすべきでしょうね。

 

杉本:たまたま敷居が外れちゃったっていう感じですか?

 

浜田:そうそう。我々だってけっこう頭の中でね。人から言われたことがくるくる回ることがあります(笑)。

 

杉本:ええ、しょっちゅう、しょっちゅうです(笑)。

 

浜田;しょっちゅうですか(笑)。

 

杉本:はい。ですから私の関心領域というか、私の問題性としては、内側で過剰にそうなってしまう人と、ならない人がいるのはなんでだろう?ということなんですけれど。

 

浜田:それはしょうがない(笑)。いろいろ、背が高い人がいたり背の低い人がいたり、太った人がいたり、やせた人がいたり、ってのと同じで。まあそんなもんちゃいますか?っていう。

 

杉本:その程度のものなんですかね(笑)。

 

浜田:その程度っていうのか、それはだから理由ではなくて、そういうことは多様性のひとつとしてあるっていうことだと思いますね。

 

杉本:でも結局、損するわけですよ(苦笑)。社会生活するうえで。

 

浜田:損するかもしれんけど得してるとこもある。

 

杉本:自分から引いちゃうこともあるわけですからね。

 

浜田:まあそれはね。

 

杉本:そうすると別に損してねえじゃん、別に俺らはあんた否定してるわけじゃないよってことに。

 

浜田:そら、損するって分かってても変えようがないことありますよね。背がめちゃめちゃ低かったら損するけど、しょうがないやないですか。

 

杉本:でもそのことで普通は…。いや、でもそれもコンプレックスっていう人もいるか…。

 

浜田:そら、いますよ(笑)。

 

杉本:背低い人はなんかやたらと一生懸命に胸を張る、っていうことも。

 

浜田:背の高い人がこう、背を曲げて小さく見せたりみたいな人もいるしね。

 

杉本:確かにそういう人もいますよね。

 

浜田:そうそう。まあだからそれは、ある部分で性分ていうのもあるからね。

 

杉本:そういえば先生も書かれてますよね?そういう絶対的な自己肯定と絶対的な自己否定というのはありえないんだ、みたいな。そういう風に書いてますよね。

 

浜田:そう。ありえないです。中間、みんなその間にいるんだっていうことね。

 

杉本:だから揺れて、羞恥心というものが発生するんだと。

 

浜田:そうそうそう。

 

杉本:だからそれでたくさんの人がそういう形で生きてるっていうことで、ちょっとそこの機能がない人が自閉症の人だったり、そういう内側で起きてる他者、取り込んでる他者みたいなものが、いわば自分の中でふすまに隠れてやってるモノローグ対話みたいなものが外側から生に聞こえてくると考えてしまうのが統合失調症のメカニズムになってしまっていると…。

 

 

 

むき出しの人間関係

 

浜田:まあだけど今の時代は良かれ悪しかれ人同士で会う機会がめちゃめちゃ多いですから、人と出会うことが。例えば仕事もそうですけど、僕は「むき出しの人間関係」って言ってるんですけど、むき出しの人間関係を生きることがめちゃくちゃ多くなってるんですよ。例えば僕も小さいころは百姓仕事させられてきましたけれども、家族はしゃべるってことがないんですね、ほとんど。しゃべることはほとんどないんですけど、働くことはいっぱいあるんですよ。一緒にしなきゃ仕様がないので一緒にやっていくという。だから言葉をしゃべらずに「手を動かせ」って言われた子ども時代がありますけど。それはある意味では自然なんですよね。けれど、家族で黙って一緒に何かをするってことがいまはほとんどないでしょう?

 

杉本:そうですよねえ…。

 

浜田:だから仕事のほとんどが対人関係なんですよ。で、そういう意味では第一次産業が中心だった時代というのは人類としてごく普通で、今みたいに人類がおしゃべりになった時代はないと思うんですよ。声を出すだけじゃなく、ネットでも言葉のやり取りを盛んにやるわけで。

 

杉本:私もやってますからねえ…。ネットで。

 

浜田:だから昔はそんなに人はしゃべらなかった。一日しゃべらないこともあった。

 

杉本:民俗学者の宮本常一さんの弟子で姫田(忠義)さんていう映像作家のかたがいて。

 

浜田:はいはい。いますね。

 

杉本:その方は日本の原風景的な農村とかを映してますけど、ほんとに夫婦しゃべらないですよね。

 

浜田:しゃべらん。

 

杉本:冬の農業やってない時期はわらをあんだりしてるんですけど、二人ともやっぱりご主人も奥さんも働いてるんですけど、本当にほとんどしゃべらないですよね、二人とも。

 

浜田:そうそう、そうそう。

 

杉本:だからそこにコミュニケーションの欠損があるから、この私たちの関係ではいかんとかなんとか、って現代的のものじゃ全然ないですよね。あれはあれですごいなあと思って。こういう形が日本の原風景としてあったんだなあって。

 

浜田:だから一対一のおしゃべり関係はもうめちゃくちゃ増えたんです、昔に比べると。こう、家族で会話をしましょうみたいなこというんだけど、昔は会話などなかったんです。だけど一緒にする仕事があった。で、いま家族で一緒にする仕事がなくなっちゃった。

 

杉本:ですから私の父は90で大正15年生まれですから、戦争終わった時20歳で、戦争に行こうと思ってた人なんですよね。で僕は156歳の時におかしくなって、「分かれ、分かれ」って言ってもわからん、お前の言ってることはさっぱりわからんね、と言われましたけれども。確かにそうやって生まれて育ってきた環境自体、やっぱりそういう時代の人にコミュニケーション、先駆け的にコミュニケーションを優先してほしいと思う子どもが生まれたとして、本当にわかんなかったろうと思いますね。いま考えると。

 

浜田:そうですね。ですから一緒にすることがあればね。コミュニケーションというのは言葉で交わさなくてもおのずとあるわけですからね。

 

杉本:サラリーマンでしたからね、うちの父親も。

 

浜田:その辺で、時代の変化はめちゃくちゃ大きいと僕は思ってますけど。

 

 

 

第一次産業が人類の基本

 

杉本:そうすると何なんでしょう?その共同作業でコミュニケーションができていく。まあちょっとそう言い方もなんか現代風で嫌ですけど、そういう風な感じなんでしょうか。

 

浜田:共同作業っていうか、一緒にすること。だから田畑耕すだけでももうほんとしゃべる必要ないわけですよ。一緒にやってるって感覚がもう確実にあるし、片方が休んでしまうと自分は倍ほどは働かなければあかんわけですから。それはもう生活の基本だったと思いますね。人間の中でも第一次産業的な生き方は基本ですから。

 

杉本:そうですね。

 

浜田:なんやかや言っても。自分のとこで作って、自分のとこで食べるっていう。そういう歴史をそれこそ何百万年か重ねた先のところでいまはほとんど口だけで金を稼ぐみたいな。それで飯を食うっていう構造ができてきいるわけですから。

 

杉本:この先はコンピューターが出てきて仕事を奪いかねない時代がやってきますしね。

 

浜田:あれもなんのためにやってるかというとそっちのほうが安いからでしょう?

 

杉本:そうですね。

 

浜田:だから進歩みたいな風に言うけど実はそうじゃないんで。そこで追いやられる人たちは当然でてくるわけで。使うほうは便利ですよね。文句も言わへんし、故障すれば捨てればいいわけだから。で、そういうので経済効率上がるって、そら当然上がりますよ。

 

杉本:でも人間がどうしたらいいんだ、っていうことですよね。ほんとにね。

 

浜田:そうそう。

 

杉本:だから僕は最近思うんですけど人間がロボットに近づき、ロボットが人間に近づく、ってなんかそんな時代になってきたなあって印象をすごく持ってるんですけど。ロボットのように笑顔作って接客やってるじゃないですか?

 

浜田:(笑)そやね。

 

杉本:なんかそれ見てると、せつないね、ごめんなさいねみたいな感じがこっちあるんですけど。ロボットのほうはなんか「ボクとお話ししませんか」とかって、頭たたき割ってやろうかって(笑)ひねくれて思うわけですが(苦笑)。そういう感じで、ロボットが人間の方に近づいてきて、人間がロボットのように働き始めるみたいな感じで。これはやっかいだな、と。

 

浜田:そうですよね、どっかおかしくなるんだろうと思いますけどね、今のまんまいくとね。

 

杉本:もし社会が社会として大事だと人間が普通に思ってるんなら、やばいですよね。この社会。

 

浜田:いやもう相当やばいとこにきてると思いますけど。だから貨幣経済がその世界をこう動かすようになってきた時代ですよね。貨幣ってのはもちろん昔からあったけど生活のごく一部分だったんですね、昔は。僕の子ども時代の感覚でもそうですもん。お金なんてのは子どもが触るもんじゃなかったし、その家の経済っていう言葉を使うとすれば、働いて自分のとこで米作って麦作って食うということでいくとお金、使わないわけです。だから家計全体の中で貨幣が動かしてる部分というのは限られていたわけですよ。まあ1割、2割じゃないかと思います。いるのは何かというと服は自分で買わなきゃいかんかったですが。服とか靴とか学校の持ち物とかね、それくらいのもんです。だから家計の中のお金で家計を回してる部分というのはごく限られてたんですね、昔は。今でもそういう生活しようと思えばできないこともないですけど、つまりお金なしで暮らせるっていう。でも町の中では、今お金がなかったらたちどころに生きていけないわけですよ。

 

杉本:そうですよね。

 

浜田:食料自給率っていうこと、国のレベルでよく言いますけども4割とかって、実はなんやかんや3割切ってるとかなんとかいろいろ言いますけど、各家庭の自給率はゼロなんですよ、食料自給率は。

 

杉本:えっと、農業やってる…

 

浜田:農業やってるとこでも、外に売ってますからね。

 

杉本:ああそういうことか。つまりそれ自体として生活をしているかというところではもうゼロだと。

 

浜田:そうそうそう。だから要するに金がないと生きていけない世界になってますよね。で金を稼ぐために働かないといかん。まあどっかおかしいんでしょうね。それがどういう風にこれからなっていくのか。

 

杉本:お金もバーチャル。

 

浜田:バーチャルです、お金こそバーチャルです。

 

杉本:いや私のカウンセラーの先生も10年くらい前から農業だ農業だ、つって。

 

浜田:(笑)ああ、そうですか。

 

杉本:その時は私には働ける場所の見込みないからそんなことを盛んにやれやれ言ってんのかな?ってうがってたんですけど。で、実際まったく自信もないからやらずにきたんですけど。たまたま親父が退職して庭仕事一生懸命やってたから、教わったほうがいいのかなあとかって思いながら全然そのまま、いま一つ関係がよくなかったんで教わることもせずやってきて、失敗だったかもしれませんけど。おそらくそういうことじゃなかったんでしょうね。お前はサラリーマンあきらめろって言う代わりに農業だって言ってたわけじゃなくて、本質的にそうなんだってことなんでしょうね。

 

浜田:本質的な問題だったんだと思います。僕のなかでもいまから農業やれってもうできないですけどね。高校まではずっとさせられてきたからやってましたけど。

 

杉本:だから気づいてる人はやっぱり2000年くらいのころからもうそっちだなって、それが一番欠けてるんだって気づいてたんでしょうね。

 

浜田:まあ、だけど経済の動きそのものがそういう方向にいってるから、多分どっかで破たんすると思いますけど、要するにお金ってほんと魔物ですからね。僕はもうニュースなんか見ても株の値上がりが必ずニュースになるってのも、なんやろうこれ?って。

 

杉本:僕の少年時代ってあんな天気予報みたいな風にはやってませんでしたよ。それこそ短波放送でしかやってなかったですよ(笑)。

 

浜田:だからいまあれで関心をもって見てる人がたくさんいるわけでしょ?それでお金もうけをするっていうのが不思議でしょうがないといえば不思議でしょうがない。

 

杉本:まあね、ほんとにそれはさすがに私もちょっとわからない世界です、ええ。

 

浜田:不思議な世界ですよ。

 

杉本:はい、ありがとうございました。

 

浜田:いいですか?何か雑談ばかりしていた気がするけど。

 

杉本:いえいえ、本当に貴重な話ばかりでした。ありがとうございました。

 

 

 

2017.4.18 立命館大学茨木キャンパスにて。

 

姫田忠義 1928-2013。日本のドキュメンタリー映画監督、映像民俗学者である。株式会社民族文化映像研究所(民映研)名誉所長。特定非営利活動法人「地球ことば村・世界言語博物館」顧問をつとめる。(ウィキペディアより)

 

                                                                                   (インタビュー後記

 

<浜田寿美男さん プロフィール>

 

浜田寿美男(はまだ すみお) 1947年1月27日 香川県生まれ  

 

 学歴および職歴

 

  1969年  京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業

 

  1976年  京都大学大学院文学研究科博士課程(心理学専攻)修了

 

   同年   花園大学文学部講師、助教授(担当は心理学)

 

  1992年  同社会福祉学部教授

 

  2003年  奈良女子大学文学部教授

 

  2010年   同 定年退職

 

   現在    奈良女子大学名誉教授 立命館大学人間科学研究所上席研究員

 

  2000年~2006年 「法と心理学会」理事長。

 

  2011年~2017年 川西市子どもの人権オンブズパーソン。

 

専門分野

 

 発達心理学、法心理学および供述分析

 

 

主著

 

[発達心理学関係]

 

  単著

 

   『発達心理学再考のための序説』ミネルヴァ書房 1993年

 

   『個立の風景』ミネルヴァ書房 1993年

 

   『ピアジェとワロン』ミネルヴァ書房 1994年

 

   『意味から言葉へ』ミネルヴァ書房 1995年

 

   『人間を理解するとはどういうことか』障害児・者情報センター  1996年

 

   『ありのままを生きる』岩波書店 1997年 (のちに『障害と子どもたちの生きるかたち』岩波書店 2009年として再版)

 

   『いま子どもたちの生きるかたち』ミネルヴァ書房 1998年

 

   『私のなかの他者』金子書房 1998年

 

   『「私」とは何か』講談社 1999年

 

   『身体から表象へ』ミネルヴァ書房 2002年

 

   『「私」をめぐる冒険』洋泉社 2005年

 

   『子どものリアリティ 学校のバーチャリティ』岩波書店 2005年

 

   『心はなぜ不自由なのか』PHP研究所 2009年

 

   『子ども学序説』岩波書店、2009年

 

   『私と他者と語りの世界』ミネルヴァ書房 2009年

 

   『子どもが巣立つということ』ジャパンマシニスト社 2012年

 

   『「子どもという自然」と出会う』ミネルヴァ書房 2015年

 

   『親になるまでの時間 前編』ジャパンマシニスト社 2017年

 

   『親になるまでの時間 後編』ジャパンマシニスト社 2017年

 

  共著

 

   『子どもの生活世界のはじまり』ミネルヴァ書房 1984年(山口俊郎氏と共著)   

 

   『「私」というもののなりたち』ミネルヴァ書房 1992年(編著)

 

   『発達心理学入門』岩波書店 1995年(岡本夏木氏と共著)

 

   『事件のなかの子どもたち』岩波書店 1995年(野田正人氏と共著)

 

   『からだとことばをつなぐもの』ミネルヴァ書房 2003年(麻生武氏と共編)

 

   『ひととひとをつなぐもの』ミネルヴァ書房 2003年(山上雅子氏と共編)

 

   『赤ずきんと新しい狼のいる世界』洋泉社 2008年(編著)

 

   『「渦中」の心理学へ』新曜社、2010年(伊藤哲司氏と共著)

 

 翻訳

 

   1 ウェルナー&カプラン『シンボルの形成』ミネルヴァ書房 1974年(鯨岡峻氏と共訳)

 

   2 ウェルナー『発達心理学入門』ミネルヴァ書房 1976年(鯨岡峻氏と共訳)

 

   3 ピアジェ『知能の誕生』ミネルヴァ書房 1978年(谷村覚氏と共訳)

 

   4 ハーロウ『愛のなりたち』ミネルヴァ書房 1978年

 

   5 ワロン『身体・自我・社会』ミネルヴァ書房 1983年(訳編)

  

[供述分析関係]

 

   『証言台の子どもたち』日本評論社 1986年

 

   『狭山事件虚偽自白』日本評論社 1988年 (のちに『新版・狭山事件虚偽自白』北大路書房 2009年として再版)

 

   『ほんとうは僕、殺したんじゃねえもの』筑摩書房 1991年

 

   『自白の研究』三一書房 1992年 (のちに『新版・自白の研究』北大路書房 2005年として再版)

 

   『自白の心理学』岩波新書 2001年

 

   『<うそ>を見抜く心理学』NHKブックス 2002年

 

   『取調室の心理学』平凡社 2004年

 

   『自白が無実を語る』北大路書房 2006年

 

   『虚偽自白はこうしてつくられる―狭山事件・取調べ録音テープの心理学的分析』現代人文社 2014年

 

   『もう一つの「帝銀事件」』講談社 2016年

 

   『名張毒ぶどう酒事件 自白の罠を解く』岩波書店 2016年

 

   『「自白」はつくられる』ミネルヴァ書房 2017年

 

  共著

 

   『目撃証言の研究』北大路書房 2001年(渡部保夫氏監修 一瀬敬一郎・厳島行雄・仲真紀子氏と共編)

 

[主な供述鑑定]

 

 甲山事件(第1審特別弁護人)、狭山事件(第2次再審請求審)、野田事件(控訴審)、袴田事件(第1次再審請求審、第2次再審請求審)、自民党本部放火事件(第1審、控訴審)、富山事件(第1次再審請求審)、東住吉事件(控訴審)、名張毒ぶどう酒事件(第7次再審請求即時抗告審、特別抗告審)、福岡事件(再審請求審)、布川事件(再審請求審)、日野町事件(第1次再審請求審)、光市母子殺害事件(第2次上告審)、氷見事件(国家賠償請求審)、石巻事件(最高裁)、帝銀事件(第20次再審請求)、天竜高校事件(第1次再審請求)、また西武新宿線第3事件(控訴審)など電車内痴漢事件、わいせつ事件の被害者供述などの鑑定も多数行っている。

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