作新学院大学人文学部教授 山尾貴則先生インタビュー

 

 

 

「ボランティア経験」という枠組み

 

杉本 まず大学生さんの進路についてなのですが。さまざまな情報や、他の先生方へのインタビューで聞く限りでは、いまは就職がおおむね良くなってきていると理解しているのですけれども。

 

山尾 ええ。

 

杉本 でも、私は寄り道や道草してたら、「将来大変だよ」というふうになってきているのかな?とも思っているんですよ。

 

山尾 はい。

 

杉本 そういう認識でよろしいんでしょうか(笑)

 

山尾 基本としてやっぱりそうではないかなと思います。

 

杉本 簡単にいえば留年や、浪人。あるいはボランティアとか社会活動など、普通にみんなが考えているレールをちょっと踏み外してやりたいことをやってると、「将来が大変だよ」みたいに思われているのではないでしょうか。

 

山尾 そのことで言いますと、ボランティアなんかは今はもうそれが点数になるわけですね。

 

杉本 あ、必須になりつつあると?

 

山尾 ええ。ですから、極端に言うと大学の勉強とかにかかわらず自分のやりたいことをやる道そのものがなくなってきていると。すべてのことが就職に向けて、ポイントとして全部組織される。そういう傾向がいま強くなっていて、ボランティアはまだ必須というわけではないのでいいですけれども、それをやることによって、やはり点数とか、評価されるというのが確実にありますね。

 

杉本 何か中学時代の内申書みたいな話ですね。

 

山尾 まあそうですね。そういう風になってきていますね。あとはボランティアをすることによって自分を高めていく、みたいな。

 

杉本 ああ~。

 

山尾 ボランティアってそういうものじゃないと思うのですけれども(苦笑)。正直言って、自分のためにやるという。

 

杉本 でも最近はよく言いますね。他人のためというより、ボランティアすることによって相手から受け取るもののほうが多くて。結果的には自分のためになる、みたいな。何かそういう言葉遣いが増えている気がしますが。

 

山尾 それが4年後に向けた自分の成長のための何ものかという風に考えるように組まれている。学生自身もそういう風に思ってしまう側面はあると思います。もちろん全員が完全にそう思っているわけではないんですけれども、ボランティアに行って充実感を得たりとか。自分のためになると。それはもちろんいいことです。それは貴重な経験なんですけれども、最初から何かそういう風にボランティアを経験するとか、その枠組みが決まっているというか、そういう状況になってきてるかなという風に思います。

 

杉本 なるほど。例えば学生さんは大学で学んでる自分の専攻に近いボランティアを探すのですか?

 

山尾 そうですね。大学には沢山ボランティアの募集や依頼が来ます。ですからそこにプラスアルファとしてそれぞれの専門分野に近いボランティアですね。特に教育系だとすると、学校に出かけたりとか。

 

杉本 学習支援ですか?

 

山尾 ええ。不登校支援とか、あとは学校の中で居場所のサポートとか。自分がやってることと非常に密接な関係するところでボランティアをする。もちろんとても大事なことではあるんですけれど。自分で探すというより、「こういうボランティアはあなたにとって必要ですよ」「大切ですよ」というものが、どんどん降ってくる。

 

 

 

ボランティア依頼が降ってくる

 

杉本 ああ~。なるほど。そのボランティアへの勧めというのは、大学の先生自体が勧めてるんですか?それとも大学の管理側の人たちが中心に勧めるのでしょうか?

 

山尾 それはまず、ある種の大学は地域に根ざしてともに活動するのがいいことなんだと。まあ実際いいことなんですけれど(笑)。そういう方向性があるので、そこに社会福祉協議会などから、「こういうボランティアがあるんですけど」という形でたくさん依頼が来るんですね。

 

杉本 ああ、外部から来るんですか。

 

山尾 外部から来るんです。それを大学の中の「ボランティアセンター」とか、地域活動を統括するような部署などが受けて、その中身を見て学部とか学科に紹介するわけです。

 

杉本 やはり大学の中にそういう窓口があって。そこから大学生の人たちに伝えるみたいな?

 

山尾 はい。あと例えば教員養成系の学部や学科だったりすると元々その高校の先生をされていた方とか、そういう先生がいらっしゃいますので。その関係で教育委員会なんかとつながりがあって、ボランティアの紹介が来る。そういう形もあります。基本は外から沢山やってくるという感じでしょうか。

 

杉本 そうですか。ボランティアがそれほど求められてるんですね。

 

山尾 それこそ今回(2019年秋)の台風19号なんかでボランティアが足りないという言い方がありましたけど、やはり学生のボランティアは引く手あまたなんです。

 

杉本 なるほど。こんな言い方すると何ですけど、それは間違いなく良いことだし、緊急性ある場所に若い人、特に学生さんなんかが来てくれれば被災に遭った人も喜んでくれるし、行政の人も喜んでくれるし、本人も喜ばれてうれしいという、みんなが充実感が持てることでいいことではありますけど、もっとその奥側にある、何ものかがきっと…(笑)。

 

山尾 そうですね。

 

杉本 それは、「うがち過ぎ」と思われるかもしれませんが(笑)

 

山尾 いえいえ。それでいうと、例えば教育系のボランティア、専門にかかわるようなボランティアというのは確かにすごく重要で、力がつくことなんですけど、それに行くことによって今度は大学で勉強している時間にはいないわけですから、大学での学びがちょっと抜けてしまうところもあるんです。それについては大事なことを外でやっているのだから、学生には不利にならないように対応してください、っていう風になりますね。いま、全国どの大学も同じなんです。大学側としては極端に言うと、ちょっと授業は犠牲にしても外に出ましょう。そういう動きがあるんですね。プラス、言ってしまえば、「ただ働きさせて大丈夫?」と。そこに関しては、その代わりあなたたちは学んでいますよ、という形になるわけです。

 

杉本 ただ働きしてるけど、それは現実社会の勉強をやってるんだから。それも学びの一環だと?

 

山尾 ええ。そういう風に位置づけないとやっぱり外に出て行く言い方としてはうまく行かない。

 

杉本 今の話を聞いて二つ思ったのですが。ひとつはボランティアにせよ何にせよ、外へ出て活動するのが苦手だという、生理的に苦手だという人。もうひとつは何か「仕込まれてるんじゃねえか?」みたいなね(笑)。昔の尖っている若者みたいな。そういう人っていうのは少数派ながらもいたりするんでしょうか?主体的に「嫌だ」みたいな。

 

山尾 私が勤めている大学にもやはり外へ出るのが怖いという学生は確実にいて、それは実はけっこう多いんです。心理学を学ぶ。まあそういう学部なので、心理学を学びたいという学生はそこそこ自分の中で傷つき体験とか、何か自分自身の悩みを抱えて、例えばスクールカウンセラーの先生にいろいろ話を聞いてもらってすごく楽になったと。だから私もそうなりたいと思って学びに来る。けれども、実はそこはなかなか難しいところで。

 

 そういう人たちが入ってきて、じゃあどこか外にボランティアに行きましょうだとなかなか出にくいですから、じゃあ学内で外に出るのが苦手な学生に社会体験とか、そういうことを少し経験してもらおうと言っても、やはりそこでの悩みというのは確実にありますけれども、積極的に「行かない」とか、社会によって仕組まれているんじゃないか?とか。そう考える学生はほとんどいないです。

 

杉本 (笑)。

 

山尾 本当に。でも逆に行ってみて、すごく幻滅する学生はいます。ボランティアで行って、すごく頑張っているんだけれども、全く同じ仕事をバイトでやっている人がいて、そのバイトの人が全然働かない。自分たちのほうがすごく働いて評価される。けれども何もしないあの人たちはお金をもらっている。これって何なんだ?つまり自分たちの仕事、ボランティアというのは一体何なんだ?という風にある種のカラクリに気づいていく学生もいて、それはそれでまた貴重な経験だと思います。

 

杉本 するとボランティアの人に、相当なことをやってもらっている現実があるということですか?

 

山尾 そうですね。同じ職務内容だけれども、ボランティアの人と、あとは業務の人がいるという。

 

杉本 ボランティアですから、基本的には善意のはずなので、時間もそうですし、本来出来る時間というのは決まっているわけですよね。本業は学生であって、社会人でないわけだから。空いた時間を善意で埋めているわけですよね。だからアルバイトのように生活の全部ではないにせよ、ある程度お金をもらうことで生活の助けにしている人と比べて、同じようなことをやってお金をもらっている人と、もらえないこちら側はおかしいというカラクリがあると。そういう風に気づかねばならないくらい、言い方が悪いかもしれないですけど、ボランティアの人が労働力として使われていると?

 

山尾 ええ。それはもうはっきりと今の流れとしてあると思います。

 

杉本 すごいですね。それは。

 

山尾 アルバイトも、かつての時代を言うのも何ですが、私の頃のアルバイトというのは適当にやってよく、仕事で失敗してもいい。その代わり給料も安くて良かったと。そういう位置づけでしたけれど。

 

杉本 昔はボランティア的に働いて、給料をもらうという。

 

山尾 そうです。いまのアルバイトは責任は正社員と同じですからね。それでいて、給料は断然安い。だけど責任だけは対等だと。そういう形なんですね。ボランティアも同じです。専門性を求められるけれども、それに対して代償はない。対価はないという。でも、「あなたがここに来てる限りは、プロとして専門的にやってください」と。“但しタダでね”と。

 

杉本 極端な話、「ちょっと体調悪いですから今日は行けません」とか言うと、「困ります」みたいな。そんな話になっちゃうんですか?

 

山尾 もちろん、本当の現場ですべからくそのようにしているというわけではありませんが、そういう風にならざるを得ない状況というのはあると思います。もちろん来てもらえることでものすごく感謝されてるわけなんです。ですがさっきのような話で、イベントなどに対して学生にすごく動員がかかるんですよ。それこそオリンピックで札幌がマラソン走ることになりましたよね。イベントではボランティアがたくさん要るんですけれども、動員が各大学へ話がきて、それで行くんです。行ってボランティアをやっている一方で、非常にベタな言い方をすると、プランナーとして来た人たちが同じことをやってるはずだけど、働いていない(笑)。だけど彼らは給料を払われている。業務として来ていて、その代わりを一生懸命ボランティアがやっている。

 

杉本 う~~ん。

 

山尾 そういう人たちがいないともう成り立たない。

 

杉本 全体に若い人たちが減ってきてるでしょうから、すると学生さんが一番、目につくという(笑)。「学徒動員」みたいで怖いな。事実として大学には若者がいるのだから声をかけて動員しやすいというのはありますよね。大人の都合で。

 

 

 

目標については真面目な学生たち

 

杉本 あともうひとつ、「来れる、来れない」の話で連想したんですけど、いま大学って例えばコマ数が決まってるんですよね?

 

山尾 ええ。半期でいま20単位。10コマくらい。

 

杉本 10コマくらい。でまあ、僕らの頃って、いろんな先生につい話をするんですけど、滅茶、急に休講をしてたんですよ(笑)。80年代の初期ですけど。先生の立場が偉くて。まあ、休みは休みでぼくら勉強真面目な大学じゃなかったから、うれしいんだけど。「どうすんの?この急に空いた時間?」。私、当時大学の生協のすぐそばに部屋を借りていたので。まあ宗教団体関係ですけど(笑)。そこの学生さんが行くところがないから、ぼくの部屋に時間潰しに来ることがあったり、ぼく自身も学校に近いですから、部屋に帰ればいいだけの話で、「ラクチンだ」みたいな話ですけど。札幌から来ている学生なんかはけっこう遠いですから。困るというのがあるのですが。補講はなかったです、ハッキリ言って。そんな時代でした(笑)。いまは補講をするんですよね?

 

山尾 ええ。完全にそれは。

 

杉本 (笑)ははは。

 

山尾 例えば今日札幌に来てますけど、平日ですが木曜日に私、講義入っていないので空いてます。で、金曜日の今日の一時間目に講義があるんですけれども、明日は大学祭なので全学休講なんですよ。それで空いているから札幌に来ることができたという形です。金曜日が平日で、本来であれば今日の分は必ずどこかで補講しなければならない。

 

杉本 ぼくはインタビュー本、『ひきこもる心のケア』を編集していたとき、時々村澤(和多里)先生の研究室にお邪魔したんです。平日とかに。で、僕らが大学生の頃の平日って、学生たちが普通に昼間とか午後に歩いてたんですよ。午後の2時、3時とか。授業をやっている時間帯ですよ。だから学生もぼくの部屋に遊びに来ていたり、出席を取らなければ休むわけです。だから校内は学生がウロウロしてたし、煙草吸いながら話をしていたりとか。でもいまものすごい静かなんですよね。自分の中学時代とかとほとんど変わらない、休みなのかな?とか。そのさま変わりにちょっとびっくりしちゃって。母校なのですけど、村澤さんに「ほとんど義務教育の世界じゃないですか」「そうですよ。これが常態です」と。そのあとで取材で新聞記者さんが来たんですよね。その人も「ずいぶん大学の中が静かですけど、学生さんどうしてるんですか?」「いや、授業出てます」と聞いてけっこうびっくりしてましたね。

 

山尾 ははは。なるほど。その点で言うと、さっきのボランティアの話ではないですけれど、いまの学生は「何をするか」ということが見えていることはちゃんとやります。それは真面目です。すごく真面目です。自分自身けっこういい加減に大学生活を送ってきた身なので、そういう真面目さも重要で、やっぱりいまの学生さんの真面目さというのはちゃんと評価しないといけないという風に思っています。そのうえで、じゃあ次に自分のやりたいこと、可能性をどう広げていくかということを考えるきっかけとか、時間ですね。それがいま無いというか。つまりそこで資格の勉強をしましょうとか、あとはこういうボランティアが来たのでみんなで行きましょうとか、自分で考える前に何かやるべきものがどんどん降ってくるわけなんですよね。

 

杉本 そうか。じゃあ自分の関心がある領域はやっぱりきちんとやっているんですね。それはすごいです。ぼくはそれもなかったから、いまそれを取り返しているのかもしれませんけど(苦笑)。本当、当時は怪しい活動ばかりやってて、授業はどれもサークルの上級生から単位の取りやすい科目を教えてもらい、本当に授業を面白いと思うことがなかったんですよね。だからもし仮に目標があって、目標に即する授業は真剣に出てるとしたらそれはすごいと思う。レスペクトしなくちゃいけないと思いますね。ただそこに加えて、さっき言ったような、就職のためにボランティア募集には応じたほうが良いみたいな動機付けがやってくるとか。そんな感じになっているんですね?

 

山尾 そうですね。

 

杉本 忙しい?

 

山尾 そうですね。本当に忙しいと思います。一週間の内、何回学校行ったっけ?みたいなのが昔だったと思うんですが(笑)。毎日来て、毎日自分が取る講義は取って。で、空きコマがあったら、もちろん空きコマでみんなで遊ぶというのはあります。そういうのはありますけど、それと同時に、空きコマを使って資格の勉強とか、要はそういうことをやっている。そういう学生もいます。

 

杉本 全体に器用な感じなんですか?学生さん。

 

山尾 そうですねえ。器用というか…。

 

杉本 切り替えが早い?

 

山尾 たぶん「やることはやるものだ」という風に思っているのかな?それはひとりひとりが特別に意識的に考えているというよりは、学校ってそうなんじゃない?という何か全体として、そういうことが共有されているような気がします。

 

 

 

次のページへ→ 1 2