4.皮肉とユーモアの自由ラジオ

 

杉本 ビフォがやっていた「ラジオ・アリーチェ」というところがいちばん今でも語り継がれる自由ラジオの中心を担っていたわけですけど、その開放性というのはやはりかなりラディカルなものなんですか?

 

北川 そうですね。まずラジオは本人も書いている通りですね。基本的には運動とか政治団体の主張を伝えるものとか、それこそさっきの「意識」じゃないですけど、正しい主張、資本主義社会の誤ったブルジョワ・イデオロギーを暴露して、それによって隠されていた真実を伝える。そういう道具的なものとしてラジオが捉えられていたのを、ビフォは「そうじゃない」と言ったんです。さっきも言ったかもしれませんが、19733月にトリノの超巨大なミラフィオーリ工場(フィアットの自動車工場)で、労働者のすさまじい闘いがあったんですよ。数万人規模の工場でしたかね。彼もそこに参加してメチャクチャ感銘を受けたと。本当に労働者だけで巨大工場を完全にストップさせたんです。全く外部の勢力なしで。3日間は本当に止めて。その時のことについてビフォも書いてますが、労働者たちはマリファナをガンガン吸いまくっているとか、タンバリン叩き続けてるとか、変な叫び声を上げている。オペライズモの1962年じゃないですけど、ある意味1973年はさらによく分からない労働者がいっぱいいたわけです。ただ62年とは違って、トリノやその周辺出身の若者で、もう学歴も高くて、1960年代の闘争の政治的空気を吸って育ってきた労働者たちでした。で、その時に工場の近くでは学生とかいろんな左翼組織が労働者の組織化をしようとしてたんですけど、実際そんなことはもうないと。労働者は勝手にやってるわけで、外部から来た人々が唯一やったことと言えば、情報をまわす役割だと。たぶんいろんな人が工場の前に集まっている。外部の知識人でもいいですけど、彼らはいま起こっていることを聞き、情報をまわしていた。「情報の循環」と言っているんですけど。

 

杉本 ええ。

 

北川 情報がサーキュレーションしていく装置だ、みたいなことを言ってたんですよ。しかしそれを通して運動が広がるというか、その情報の生産と伝達を通していろんな人が交わり、また別の主体の形成が引き起こされる。ビフォは感銘を受けて、たぶんそういうことが大事だと。そしてその後「ラジオ・アリーチェ」をやり始めるんです。ラジオ・アリーチェはその意味でそれ自体ひとつの運動で、そこでいろんな主体が混じりあい、生まれてくるようなイメージですかね。ここは誰もが自分のことについて話ができる場所です、大事なのは、自分のことですと。フェミニスト、同性愛者、学生、労働者とか。だからラジオ・アリーチェは、多数の経験や運動が交わる場所として存在したのだと思います。またラジオというメディアというかフォームは、リスナーが切り離されずに、電話ですぐそこに参加できますからね。テレビとは違う。

 

 まあほんとうに正しい情報を伝えるとかではなくて、自分の情報、ハッキリ言えば好き勝手。ビフォは、真実を伝えることが大事ではないと言っています。嘘とか本当とかは「無い」と言ってるんですから。真実とか言うものはない、嘘もないと言って。あるのは“私の真実”ですと。どんなコミュニズムの運動であっても、リジッド(厳密)に「正しい真実」なるものを課すことに抵抗します。不確実な世界にいるわけですが、ビフォは友情も連帯も共感も、お互いの間で不確定ながら何らかの意味を共有しあうことからはじまると言います。ビフォにとっては、感受性というか、言外の意味を含めてのことで、それが重要でもあるわけです。ですから、いまのフェイクニュースについても、それ自体は目新しいことではないと言ってますね。違うのは、デジタル技術によるコミュニケーションの形。そのフォーマットというかフォーム。もうその速度や情報量が人間の脳では対応できない水準になっていて、もう真偽を合理的に思考し、分別することが不可能になっていることが一番の変化であると。友情の可能性についてもそうかもしれません。ビフォは言葉の意味もそうですけど、それを伝達するフォームを重視しますね。

 

 あとは何でしょう。真偽の話に関わりますけど、イタズラとか。例えばこれは有名な話なんですけど、一回ラジオ放送中に、首相に本当に電話してるんですよ。フィアットの「アニエリだ」とか言ってまねして、当時のアンドレオッティ首相に電話して、そしたらホンマに首相が出てきて、そのやりとりをラジオ・アリーチェが放送してるんですよ。ビフォには、ユーモアとか、面白さとか、一歩退いた皮肉とかが多分一番大事だったと思うんですね。そういうラジオだったんじゃないか。ざっくりしてますけどね。やっぱり当時の運動としても、ちょっとあり得ないくらい従来の価値観からは逸脱していたんとちゃいますかね?内容も言葉遣いも考えも。

 

杉本 カウンターカルチャーの典型みたいな感じがありますね

 

 

 

イタリアで盛んなラジオ文化

 

北川 そうですね。で、ラジオというのは今でもけっこうイタリアではさかんです。

 

杉本 あ!そうなんですか。

 

北川 ラジオ・アリーチェについては僕も全然分からないところがあるんですけど、運動のラジオみたいなものはありまして、実際リアルタイムでデモの様子を伝えたりとかしています。「ラジオ文化」というのはあるように感じますね。

 

杉本 今でも運動があるんですか?イタリアでは。

 

北川 まあラジオではけっこう。

 

杉本 扇動するんですか?

 

北川 わかりませんが、扇動というよりも例えばさまざまな運動のことを伝えたりとかでしょうか。この前友人もいるのでトリノに行ってたんですけど、トリノに「ラジオ・ブラックアウト」という局があるんです。トリノの運動の様子とか、世界各地の状況とか、いろんなものをほぼリアルタイムで伝えてます。それにはアナキストも居れば、コミュニストの情報も話したり。その辺はぶつかり合うことなくかどうかわかりませんが、ひとつの受け皿として重要な役割を担っているようです。

 

杉本 へえ~。面白いですね。

 

北川 面白いですよ。

 

杉本 それは海賊放送なんですか?

 

北川 そこはね。海賊じゃなかった、って友人は言ってました。

 

杉本 電波を認めてくれてるんですね。

 

北川 そうですね。建物も市と契約して借りている。でも言ってること、やっていることは刺激的ですし、アクチュアルなことをすぐに扱うし、とても重要だと思います。まあかなりカウンターカルチャー的要素も強かったラジオ・アリーチェとは異なるとは思いますが。でもやっぱり現場の声をそのまま伝えるというのはやってますね。トリノの移民収容所に拘禁されている人と電話でつないだりしているようですし。

 

杉本 ラジオ・アリーチェのようなことはやってないけれども、そういう社会運動のラディカルなものは普通に伝えていると?すごいですね。

 

北川 そのためのラジオですかね。トリノに行ったときに、とある勘違いで、その友人と一緒に「ラジオ・ブラックアウト」にちょっとだけ出ることになったんですよ。

 

杉本 へえ(笑)

 

北川 まったく予想外だったので「え?どうしよ」と思って困ったんですけど、他の人の研究を拝借して、大阪のジェントリフィケーションの話をちょっと紹介してみました。僕はその友人に連れられて、移民の支援や運動に関わるトリノの運動の界隈に顔を出してみたんですけど、そしたら何か「お?お前らってあの時のラジオに出てた奴やん?」「出てたよね」みたいな話になって。ああ、みんな聴いてんねや、すごいなと思って。

 

杉本 やはり同志のラジオだから(笑)。聞いてるかもしれないですね。ああ、日本人だな、イタリアにまでと。

 

北川 珍しかったのかもしれませんね。

 

杉本 なんだかすごいなあ。ヨーロッパなのかな?イタリアなのかなあ?どうなんだろう?

 

北川 ほかの国や街にもいっぱいあるんちゃいますかね。イタリアしか知らないですけど、イタリアも各都市にありますよ。

 

杉本 何となくフランスとかにもありそうですね。

 

北川 あるでしょうね。

 

杉本 でないとあんなに延々と黄色いベスト運動でしたっけ?今年に入ってから毎週のように暴動が起きているというのは。まあ、日本のマスメディア報道でああいうことになりようがないですよね。

 

北川 ええ。一部の集団が暴徒化したとかしか言わないでしょうね。まあある意味では、メディアが言うのとは別の意味で「暴徒」でもいいでしょうけど。それだけでないんでしょう。あれはメッチャ重要な大衆運動だと思いますよ。

 

杉本 どこかが「いいよ、いいよ。面白いことやってんじゃん。いいんじゃん」って承認するような。一般大衆の承認みたいなのがないと続かないですよね。

 

北川 そうですよね。

 

杉本 本当に日本だったら世間の目が急に厳しくなる。

 

北川 そうそう。ただの暴力集団とかね。車燃やした、ハイダメ!みたいなね。だからそこですよね。あ、もしかしたら全然飛ぶ話なんですけど、言ってもいいですか?

 

杉本 お願いします。

 

 

 

人々の過剰な欲望からなぜ可能性を見ないのか

 

北川 先に挙げたジジ・ロッジェーロというひと。彼はちょっと前までネグリたちと一緒にやってた人ですけど、数年前に方針の違いというか分裂したんですね。最近、彼が今の世の中の政党左翼に対して、あと議会外左翼にもだと思うんですが、メッチャ厳しいことを言ってるんです。でもそれは「当たっているかも」とも思ってしまうんです。左翼というのはあらかじめ自分たちがよいとするイメージに沿ったふるまい、いわゆる左派的なふるまいしか認めない。例えば、そうですね、日本でも渋谷なんかであるじゃないですか?騒いだりとか。渋谷の街で騒ぐ若者。あんなんはただのヤカラだとか言いますよね。ただ騒いでいるだけ。軽トラ倒すとか。

 

杉本 まあねえ。

 

北川 バイトとかでもあるじゃないですか?「バイトテロ」。

 

杉本 ああ~。Twitter上にあげてね。

 

北川 「あいつらアホ」で済まされてしまうんですけど、イタリアでも労働者の中で右翼的な人々が国旗を揚げたりする運動が近年あったらしいんですよね。黄色いベスト運動でも、そういうのありますよね。で、左派はそういう連中を「右翼」と言って重要じゃないものとしてやっぱり切っちゃうんです。でも問題は、自分たちがイメージする左翼的な主体、革命的な主体がいるんだとか、そういう人間を最初から見つけることじゃなくて、拒否でもなんでもいいんですけど、世の中の枠組みからちょっと逸脱するような、何かそういう過剰なふるまいをとらえ、自分たちの方向にもっていくということではないかと。はっきり言えば、それは反資本主義、反労働の方向へ、ということです。そっちへとその過剰な欲望を、上からというわけではないですが、方向づける。そちらへ持っていくことが大事なんだと。ジジやアルクアーティなら、それを組織するというかもしれません。まさに調査、コンリチェルカを通してです。最初から左派的なふるまいをする人を見つけてどうこうするのはオペライスタがすることではない。オペライスタも最初は理解ができないふるまい、南部から来た労働者のふるまいは、資本にダメージを与えるふるまいであって、大事なものなんだと言って、それを革命的な集団主体として一緒に作って行ったではないかと。

 

 日本だとこういったふるまいすべてをバッシングするじゃないですか?でもそのふるまいはオペライスタの視点をとり戻して言えば、その中にもしかしたら拒否なり逸脱なりの過剰なものが内在しているのかもしれない。結局そこから何かを生み出していくのが大事やろうと。そういう意味では、何でもかんでもダメだと言っていたら、つまり自分の価値観、自分のレンズから見て、こんなのはダメとか、こんな若者のふるまいはダメとか言ってると、ともすればいまのマスメディアと一緒になってしまう。ジジに沿って言うならば、「いまは運動がない」という目線も一緒なのかもしれません。

 

杉本 そうですね。自分なんかも良心的なものとかの価値づけみたいなものがありますからね。そういう「わからなさ」とか、「得体の知れなさ」というか、言葉が悪いけど、「烏合の衆」ノリについていけない、みたいなことはぼくにもありますからね。そういう人たちの真意を汲めるかどうかという問いがあるわけですね。

 

北川 それは目立ったケースですけどね。渋谷でどうこうとかいうのは。でもそうじゃない目立たないもの、「見えていない」ものを含めてです。いやむしろこちらかな。もちろん、渋谷の出来事でも、痴漢とか看過できない話もあるわけですが。

 

杉本 なかなか一つだけのものはない、と。

 

北川 うん。だと思うんです。そこをどうみるか、どこに読み取るかはセンスというか、調査というか、アルクアーティやジジによればミリタントという革命家の仕事なんだと思います。潜在する可能性、傾向をどこに読み取るかということだと思うので。彼らなら、それをどう組織化するかとなるでしょう。そこに目をつけても、異論や「違う」という声もあるだろうし、もっと別のところにあるという意見も常にあるでしょう。でもこうしたイメージというか、こうした調査でないと、世の中の価値観とか仕組みを含めて、それを変動させうる何かを見いだせない気がします。だから、ジジとかがイメージしているものとは違うかもしれませんし、アプローチの仕方も異なってくるでしょうが、ビフォはひきこもりをその潜在する可能性のひとつとしてみたわけです。

 

 

次のページへ→    4