イタリアの80年代

 

杉本 イタリアの話の流れではオペライズモからアウトノミア運動があり、同時に暴力的な極左が出てきたこともあり、警察が一斉検挙してネグリとかも捕まって、いったん表層的には運動が沈滞しますよね。結局イタリアもそれまでは日本と同じようにアメリカの助けも借りつつ、南部から労働者を調達してフォード主義というか、テイラーシステムで、戦後復興をやった。そのあたりは日本とも似てると思うんですけど、80年代に入ると自営業というか、イタリアン・ブランドですね。日本人なんかも大好きな、車や食や、服飾関係。あるいはデザイン関係とかね。そういう仕事をやっているのが職人の人たちだと。職人の人たちがいわば自分が主体的に資本家的な形で働き始めて銀行からお金を借りてイタリアの物が良いということで展開していくという。この80年代はどう解釈しますか?

 

北川 そうですねえ。

 

杉本 日本だといまでもイタリアはそういうところだと一般的に思われているようですが…。

 

北川 うん。80年代は運動が敗北したというか、敗北させられたあとで、運動という点からすればだいたいどの本を読んでもなかなか難しかった時代だと書いてありますね。シニシズム、日和見主義の時代。革命とかを夢見ず、もう大人なのだし「現実的」になろうぜ、みたいなところでしょうか。資本主義が一段新しい段階へ移行した時代とも言えます。それこそのちに首相になるベルルスコーニみたいな、テレビや出版などのメディア産業をつかさどる企業家が出て来たり。それって、ホンマに象徴的なことですけどね。

 

 それで文化、ファッション、デザイン、広告とか。ベルルスコーニは見世物、スペクタクルとしてのサッカーもですけど。ACミランを買収しましたね。(ちなみにネグリはミラニスタ、ミランファンです)。それはさておき、まさにネグリが70年代初頭に理論化したような新しい社会的な労働者たちの仕事が価値を生む時代です。工場の流れ作業で単純作業に従事する労働者じゃなくて、何か「創造的な」という言葉で仕事をしていく人々。要するに「出来る人々」が中心となって経済活動が成り立っていったと言われる時代。知的労働ですね。とはいえ、こうした人々に焦点が当てられがちですが、実は同時に無数の不安定なサービス業などに従事する人たちがいっぱい増えていったんだと思います。ビフォは「精神労働予備軍」と書いてます。不安定性経済、インフォーマル経済が拡大するわけですね。マフィアの企業化もこのあたりの時期ですかね。

 

 ただオペライズモの視点に立っていえば、70年代の労働運動、大衆運動の圧力によって、資本、国家のほうがそれまでの工場労働を中心とした資本主義のあり方が変容を迫られたとも言えるわけです。工場の働き方、それに基づいた生活、民主主義、福祉、家庭のあり方。社会のあり方自体が根底から変容を迫られた。それがさらなるオートメーションであったり、工場の海外移転、資本のグローバル化だったり。ネオリベ、ポストフォード主義だったり。あふれていく過剰な表現や敵対的だった力、大衆、労働者の新たな力を、その政治性を削ぎ落としながらうまく自分たちのなかに取り込んだ。これを捕獲することで、資本主義は形を変え、生きのびたわけです。最初にもお話したように、労働者大衆の広がりゆく拒否の態度、離脱の欲求は政治的に極めて重要なわけです。しかし、それが資本の側に捕獲されてしまった。資本主義の価値観、言語へと改変されてしまった。それが80年代でしょうね。まあ、国という単位でみれば、経済成長の時代。運動的には退潮。それでも反核運動とかはありました。

 

杉本 チェルノブイリとか?

 

北川 そうなんです。反核運動、チェルノブイリからの放射能汚染が恐れられましたから。シチリアでの反基地闘争とかもあります。これらの事柄はメチャクチャ大きいみたいで、そのへんは運動も議論もあったみたいですね。ですからそこへ流れ込んでいった人もいるでしょうから、何もなかったわけではもちろんない。また当然、さまざまな拒否もあったはずです。70年代からありますが、ヘロインの広がりに対する闘いもあった。マリファナのような軽目のものとは違い、ヘロインは死に直結すると。ちなみに、*ヘロインの広がりが運動の敗北した主な要因のひとつと言われているのですが、ヘロインがイタリアに広がったのは、左翼運動をつぶすためのアメリカ、CIAの作戦だとも言われています。そんなドキュメンタリーがイタリアの国営放送局RAIで放送されました。それから、他にも社会センターなどの占拠空間、スクウォット空間も70年代から生き残り続けたものもありますし。それらが完全についえていたなら、90年代入るちょっと前からの運動の興隆は難しかったはずです。

 

 

 

移民の登場と、資本の中での「自由」の時代

 

北川 そういう時代ですけど、もう一点ぼくの関心からいえば、ヨーロッパ外からの移民労働者が増えはじめた時代、社会の中へ大きく入ってきた時代なんですね。まだ大きく取り上げられたりはそれほどないんですけど、イタリア社会のさまざまな場所に入ってきました。例えば農業をやっていたりとか、建設の仕事とか。そういう労働、そういう地域へ入っていく。「不法移民」の搾取もなされていくわけです。それが80年代ですかね。さっきの「自由で主体的で創造的に」知の生産に従事する労働者と言っても、それは実際資本主義内部の話ですし、資本主義の中で、自分が起業したりしてネオリベ的に資本家として労働者がふるまっている、あるいは比較的自由な労働形態になる。結局はそういう面が強いですから、「資本の中での自由」を一部の“できる”人々だけが享受してたとも言えましょうか。でも、ほかの大多数の人々は、たとえいわゆるできる人であっても、大企業の下請けとかで、不安定雇用、インフォーマル労働に従事するとか。移民を含めてネオリベ社会です。それは70年代にすでに出現していた二重社会、その分割の強化とさらなる複雑化でしょうか。当時、共産党は正規雇用を守る主流派のほうへ行っちゃったわけで、たぶん非正規雇用、不安定な生活の形態が増えはじめていく時代であったとも言えます。

 

杉本 なるほど。起業できる人は才覚もあり、そこはどうなのでしょう。イタリアは階級的なものが固定化されているということはないんですか?

 

北川 それはイギリス的なものと比べてですか?

 

杉本 そうですね。それがビルトインされてしまっているから無理だということはない?

 

北川 どうかなあ。まあ昔は縁故主義の社会だとよく言われていました。「クリエンテリズモ」って言いますけど。イタリア研究でよく論じられてきたことです。そんな話をイタリアの友人から聞いたこともありますが。

 

杉本 そうか。才能があってもツテがなければ。

 

北川 まあよくわかりませんが、ネオリベのグローバル化やEU統合とか、長く続く不況の中で、いろいろ変化もあるかもしれませんが。その話で言えば、2008年から「オンダ」、“波”と呼ばれた学生運動があったんですけど、その学生たちが打破したかったのは大学の封建的な権力、つまり大学とか教授陣の場当たり的な判断、権力なんです。そのせいで、能力や成果が正当に評価されない。例えば、就職とかで。学生、院生、ポスドクに関係したことだと思います。だから、むしろある種の実力主義、能力主義を正当に求める運動でもあった。これまた、たぶん当事者でもあったジジによるとそうらしいです。もちろん、能力主義万歳で終われるわけではないし、それをシステムに対する階級闘争に転化させるべきだと言っています。日本でも非常勤や特任の先生からこうした要求を聞きますし。いずれにせよ実際に学生とか非正規の労働者からこうした欲求が出てきたわけです。

 

杉本 社会がそういうものであれば大学にも反映してくるでしょうしね。まさに社会のある部分だけが特別なコネクションで動いているわけじゃないでしょうから。

 

それじゃあ70年代にアウトノミアで高揚した労働者の人たちもその後は没落していくみたいな感じがあるのでしょうか。

 

北川 そうなった人たちも多くいたと思いますよ。まあビフォの本なんかを読んでるとやっぱり企業の中で自分の能力を発揮していく方向に流れて行ったりとかね。運動で培った能力、アイデア、コミュニケーション、人間関係の調停の仕方、科学的な知識、技術の知識とかを資本主義の中でそのまま使っていったりとか。そういうのが嫌な人はいわゆる武装闘争路線に流れていったりとか。そのように分かれていったみたいです。

 

杉本 対外的に言うと、80年代、イタリアは80年代90年代経済が良くなったという印象がありますけれども。

 

北川 資本にとっては間違いなくそうだったということでしょう。やはり運動をつぶし、そこで培われたさまざまな文化的果実を奪い取りましたから。

 

杉本 ワールドカップ的に言えば、勝ち組になった、新しい戦術を見つけた、という感じですかね(笑)。

 

北川 そう。まさに見つけましたと。いわばサッカーの「ストライキ」とでも言えたカテナチオをぶっ潰す戦術とかね。アッリーゴ・サッキのゾーン・ディフェンスが出てきて、そこで使えない選手を追い出すような、そんな時代ですね。相手のフォワードの足を削るようなマンマーク文化しか知らないディフェンスの選手は不要となってしまいました。サッキはパルマで出てきて、ベルルスコーニのミランで成功しました。これまた象徴的かも。ぼくのイタリアへの関心はサッカーからですので、なんか関係ある気がしてきましたよ(笑)。

 

 

 

EUが中心となる90年代

 

杉本 で、EU。EUの形になったのはいつでしたっけ?90年代に入ってからかな。

 

北川 かつてECでしたもんね。

 

杉本 そう。ECでしたね。

 

北川 いや、忘れました(笑)。92年くらいじゃないですか。マーストリヒト条約かな。

 

杉本 マーストリヒト条約ですかね。まあ、ベルルスコーニが首相になるちょっと前ですか。

 

北川 そうですね。だからちょうど冷戦が終わって、イタリアでもまさに共産党などが潰れていく。60年代、70年代に労働運動が制度の水準で勝ち取ってきたこともどんどん消えてきました。どんどんネオリベ、ネオリベ・ヨーロッパ、ネオリベEUになっていく。

 

杉本 その時期ですか。話が少しずれますが、これは別の本で読んだんですけど、いったいEUって理想の連合なの?それとも別の思惑があったの?と考えていたら、北大の先生が中公新書で書いてるんですけど(『欧州複合危機』遠藤乾著・中公新書、2016)。

 

北川 そうですね。

 

杉本 実はドイツが強くなりすぎることを封じ込めるための伏線だったと書かれてますけど。まあ、それだけではないと思いますが、実際はそういう傾向もあるのかな。

 

北川 確かにそれはね。やはりドイツが拡張主義で。冷戦後に領土も拡張したし。

 

杉本 ああ、東西が統一して。

 

北川 基本的にその力を増強させないために。当初は石炭と鉄鋼の共同管理によるものじゃないですか。

 

杉本 そうですね。フランスとの間で、ですね。

 

 

 

国民国家を嫌うヨーロッパ主義のインテリたち

 

北川 はじまりは、石炭や鉄をドイツに独占させないためだった。まあそれだけがすべてというわけでもないでしょう。やはりネグリとか、バリバールというフランスの思想家もそうなんですけど、ヨーロッパを重視しますね。ヨーロッパ空間が政治的に重要であると。国民国家はダメ。ネグリが書いてましたけど、ヨーロッパ内戦というか国民国家間での侵略、殺戮、大戦を経験しているというのもあるかもしれません。ネグリのお兄さんやおじさんが戦争で死んでいます。ネグリは、ヨーロッパは反ファシズム、反戦争、反国民国家の象徴でもあったと書いてます。あとはもちろん、現在のヨーロッパの政治的状況をふまえてのことですね。その意識はかなり強いですね。

 

杉本 ヨーロッパとして語るとき、フランスにしても、イタリアにしても、あるいはネグリのような人も考えるヨーロッパというのは西ヨーロッパなのでしょうか?

 

北川 その辺は良く分からないんですけど、でもイメージしているのは西ヨーロッパ的なものでしょうかね。どういったらいいか。ポーランドがどうとか、チェコがどうとかというそれぞれの地域の文化的独自性がというより、やはりより政治的なニュアンスというか。ヨーロッパというのは歴史的なものもありますし。それ以上に、実際にEUみたいな超国家的なものが統合、拡大してきたわけですから、当然ひとつの枠組みとして規定されやすいというのはあると思います。

 

杉本 言語も含めてそうなんでしょうね。同じような言語システムを持っている。

 

北川 EU、もちろん外部の目線からですけど、何か本当に厳しい状況ですよね。以前も、2005年かな?欧州憲法条約という。

 

杉本 そうですね。憲法条約といいましたかね。

 

北川 それぞれの国民投票で。

 

杉本 フランスと…。

 

北川 オランダだったでしょうか。

 

杉本 両国で否決されたと。

 

北川 ネグリはそれを「否決するな」と言っていたんですよ。「賛成しろ」と。それはヨーロッパというものを作ったほうが運動にとっては絶対有利だよ、という言い方です。もはや邪魔なものでしかない国民国家が弱まるほうがいいのだと。

 

杉本 そうなんでしょうね。

 

北川 でも多くの左翼は反対だったんですよ。否決しろと。あんな条約は中身を見たらネオリベで、よりいっそう社会が荒廃するだけだから、賛成するのは間違っていると。真っ当なことではあるのですが。で、これはなかなか難しいなと。賛成するネグリはさっきのジジ・ロッジェーロの批判じゃないですが、盛んに主体主体といいますけど、ヨーロッパにおいて憲法条約に賛成で投票するような社会の分厚い層、それに該当する十分な政治的主体はない。でも彼はインテリとして、政治介入として、長期的でもある戦略的展望で、「賛成」と言っているわけです。これは個人の意見や展望としては分かるんですけど、政治的な介入としてはなかなか成り立つのか?とも思えるわけです。でもね。何が難しいかというと、結局反対する側はとりあえず国民国家の防衛。要は行き着くところ、ネオリベ化して、もはや存在していないはずの福祉国家への郷愁にみえてしまう。対して賛成する側はネオリベ化したEUだと。両方とも選択肢としてはないわけですよ。そういう中で投票しなくてはいけない。アナキストは棄権しろ、というでしょう。その選択肢はいまの日本の選挙も同じだと思うんですが、結局EU派か国民主権派か。だから本当にどちらも選べない。こういう選択を課される時点で。

 

杉本 そうですね。いまのイギリスもそうかもしれません。

 

北川 (苦笑)まさにその象徴じゃないですか?行ったり来たりしてますしね。

 

杉本 ネグリはマルクス主義なんですよね?

 

北川 そう。マルクスは絶対重要と言ってます。それ抜きでコミュニズムはありえないと。正確に言えば、いわゆるマルクス主義というよりも、マルキシアンでしょうか。正しい読み方とかじゃなく、状況のなかでその都度マルクスを読むことですね。

 

杉本 そうすると経済分析とか絶対すると思うんです。するとネオリベ的な自由主義経済政策でいいのか?という分析は当然できるわけですよね?

 

北川 はい。

 

杉本 それはそれとして、という結論になっちゃうのでしょうか?

 

北川 もちろん根本的にいまのEUの在り方なんかは絶対ダメだと思っているでしょうし、特に20078年の金融危機以後、ギリシャが特にですが、イタリアも同様に苦しめられていました。ネグリは、EUは金融資本の手先とはっきり言ってます。もう金融資本自体が一つの政治権力になってしまった。金融資本自体がヨーロッパにおいて絶対に闘う必要がある相手と言っています。

 

 いずれにせよ、その2005年の憲法条約に賛成と言っていたのは、資本主義のグローバル化のなかに国民国家が吸収されている以上、国民国家を闘争の舞台に設定するのは現状認識として間違っているし、ありえないと。この辺は〈帝国〉の議論にも関係するところです。いまや国民国家と違う形とはいえ、資本蓄積を維持して拡大する〈帝国〉というグローバルな政治権力が出現している。それと闘うなら、こちらもできるだけグローバルな規模の運動でなければならない。当時は、2001年ジェノヴァの反G8に顕著ですが、グローバル・ジャスティス運動というまさにグローバルな運動が盛り上がっていたときでもありました。だからヨーロッパでは、ある意味もう実体化しているヨーロッパという地域のスケールが重要だったわけです。

 

 

 

左翼はヨーロッパ空間をものにせよ

 

 もちろんネグリも、憲法条約の投票では「EU派」とはいえ、国家主義かEU主義かみたいな対立は本質的な問題ではないと言います。当然、彼にとっては階級対立が問題なんです。当時、フランスの哲学者のデリダやドイツのハーバーマスが訴えてた「ヨーロッパ人民」のためではない。ネグリはマルチチュードと言いますが、ようは階級です。これも先ほどの話ですが、労働によって生産されるものが知識とか情報とか「非物質的」なものになっている。労働じたいは物質的ですけれども。まあそういう固定化させられない柔軟性や閉じ込められない流動性、移動性をもつ生産物が価値形成において重要となり、ヨーロッパの労働者、労働力のほうも柔軟性や移動性をもつようになる。特に若い世代はエラスムス計画とかでEUの他の国に留学して移動している人も多いですし。移動性は移民、ヨーロッパの外からの移民も含めてのことです。こうした労働力のあり方を考えると、資本にとっても、運動にとって、もはや国民国家で、もっと象徴的に言えば、国境でそれを組織したり調停はできないと。だから運動や左翼は、ヨーロッパ空間をものにしなければいけないと考えるわけですね。まずはヨーロッパ規模の左翼の組織、対抗権力というか、さらには理想でしょうけど、ヨーロッパの民主主義連邦へと。だからネグリのヨーロッパ論は、階級闘争が土台にあることが重要ですね。そもそもヨーロッパ的なもの、価値観は、連帯、権利、自由とかですが、それは労働者の階級闘争がつくってきたものなんだと言ってます。

 

 あと「賛成」の理由としては、当時は2003年にイラク戦争があったので、アメリカの軍事的な単独行動主義を止めるための、資本の一部との同盟のようなイメージもあったと思います。〈帝国〉の世界は、グローバル資本、グローバル市場ですから、その維持や拡大にそぐわない国家の軍事行動や強権発動は、資本家にとっても害悪やろう、と。だからとりあえずそれを止めるために、ヨーロッパ水準での力が必要でしょうと。まあ「同盟」なんてあんまり信用できませんけど。けっきょく多分に資本側の合理性を信用するわけですからね。軍事と資本の関係の重さをあまり考えられてはいなかったかもしれません。数年前にちょうどマウリツィオ・ラッツァラートらの『戦争と資本』という本がでました(日本語版:作品社、2019)。ラッツァラートはアウトノミア運動の弾圧を逃れてフランスに亡命した人です。彼はネグリといっしょに非物質的労働とかを論じてきたのですが、ヨーロッパ主義には共感できないと、確か『資本の専制、奴隷の叛乱』の中で言っていたと思います。

 

 とにかく、すでにヨーロッパが政治的に実体化している以上、ヨーロッパ空間の水準で、運動も左翼も行動しないと可能性はないというのが、ネグリの一貫した政治的展望です。『lEuropa e IImpero(『ヨーロッパと〈帝国〉』2003)という本もありますし。いまも「エウロノーマデ(EuroNomade)」、ユーロ・ノマドという知的・政治的プロジェクトに関わっていますしね。

 

杉本 結局、長期戦の思想でしょうから、その時々に短期的には苦しくても、そこでネグリが考えるのは、将棋的に言えば先の一歩が踏めるのであれば最終的には革命の論理なんだろうから(笑)。ひっくり返すと。

 

北川 はい。のちの有利のためにね。

 

杉本 大衆はわからないけれども、前衛の自分は、みたいな?(笑)

 

北川 ははは(笑)。でもそれっぽく見えちゃう。

 

杉本 (笑)。それは違うか。

 

北川 そう見えなくもないかも。わかりませんが。

 

杉本 ええ。僕も昨年の年末に、揺れるEUに関するNHKのドキュメンタリーを見まして、そこでは北アイルランドとイタリアの現状を取り上げていたんですけれども、そうとう大変そうですもんね。イタリアの人たちも。

 

北川 いやでも、今の話の続きなんですけども、ビフォもどこかで「あの時」ネグリがイエスと言ってたのは、「正しかったんじゃないか」と言ってたような。間違っていなければ。

 

杉本 ああ~、そうなんですか。

 

北川 いまの極端な反動的国家主義、主権主義みたいな状況を考えると、ってことでしょうね。ビフォは、このままだとヨーロッパは「ユーゴスラビア化」すると述べてます。戦争、内戦という意味です。

 

杉本 そこは同じなんですよね?本を読んでも、今でもネグリは自分にとっては大事な存在だと…。

 

北川 ああ言ってましたね。ビフォはね。

 

杉本 「いいよ、それで」という意識もネグリさんに持っていますね、おそらく。

 

北川 大事と言っていますし、その感覚はあるとは思います。もちろん、ビフォはネグリへの批判も遠慮なくいっぱいしてます。政治的展望が古いともやっぱり言ってます。

 

アントニオ・ネグリ

 

(インタビュー後編に続く)

2019.3.27 三重県津市の喫茶店にて

 

(インタビュー前編後記) 

 

 

ベルルスコーニ シルヴィオ・ベルルスコーニ(1936- )は、イタリアの政治家、実業家。

 

9年間にわたりイタリアの首相に相当する閣僚評議会議長(第51575860代)を務めた、政界再編(タンジェントポリ)後のイタリア政界を代表する政治家の1人である。また1994年からフォルツァ・イタリアの初代党首を務め、2009年の自由の人民(自由国民党)結党後も同党党首を務めたため、両党党首の通算在任期間は約17年にも及んだ。 ベルルスコーニの総資産は約78億ドル(世界第118位)で、2011年時点で世界有数の資産家の1人でもある。ベルルスコーニは元々は実業家であり、戦後イタリアで1960年代から1980年代にかけて建設業と放送事業で財を成した企業家であった。特に後者については「イタリアのメディア王」と呼ばれるほどの権勢を誇り、国内の民放局を殆ど独占しているとされている。

 

90年代から始まったタンジェントポリ後の政界再編では「フォルツァ・イタリア」を結党、有力政治家として冷戦後の政界を主導した(ウィキペディア参照)

 

社会センター 社会センターは,「使 い古された,また未使用の公的建造物や工場を,スクウォッ ティングを通して,自発的に運営され,自主管理された, 非営利の社会的・文化的・政治的空間へと変容させる。 それは多岐に渡る活動のための空間である。ラディカルな映画の上映,インフォメーション・サービス,本屋, フリーショップ,護身レッスン,カフェ,バー,ギグ のスペース,言語学習の授業,移民・庇護申請者・難民 への支援,世界中からの連帯商品(パレスチナのオリー ブオイルやサパティスタの自治村からのコーヒー),福 祉・慈善サービス,無料でのコンピュータへのアクセス と「ハッカースペース」 ,図書館や読書グループ,政治的集会・議論・行動計画・話し合い」の場である(『イタリア・ミラノにおける社会センター という自律空間の創造 社会的包摂と自律性の間で』北川眞也論文より)

 

ヘロインの広がり このあたりは、このノーム・チョムスキーのインタビューが間接的に参考になるかもしれない。

 

アッリーゴ・サッキ アリゴ・サッキ(Arrigo Sacchi1946- )は、イタリア・フジニャーノ出身のサッカー指導者。ゾーン・プレスを編み出した人物として知られる。イタリア伝統のカテナチオ(閂)戦術を否定し、4人のDF(デフェンス)の選手をフラットに並べるという守備で、DFからFW(フォワード)までの距離を広げず中盤をコンパクトにし、そこでプレッシングをかけてボールを奪い、高いポジションから攻めに出るというものだった。攻守両面において、高い運動能力とスタミナ、献身的な精神、高い技術を求められた。(Wikipedia参照)

 

 

マーストリヒト条約 欧州連合(EU)創設のための基本条約。91年12月にオランダ南部マーストリヒトで開かれた首脳会議で合意し、92年2月に調印、93年11月に発効した。正式名称は欧州連合条約。欧州共同体(EC)の統合をさらに深めるため、共通通貨の導入や欧州中央銀行(ECB)の創設、欧州議会の強化を規定。共通の外交・安全保障政策や司法協力も盛り込まれた。(朝日新聞掲載キーワードより)

 

バリバール エティエンヌ・バリバール(Étienne Balibar, 1942年―)フランスの思想家、哲学者。

 

ヨンヌ県アヴァロン出身。フランス高等師範学校卒業。ルイ・アルチュセールの教え子。

 

エラスムス計画 正式名称は,The European Community Action Schieme for the Mobility of University Student1987年にヨーロッパ連合(EU)によって創設された計画。EU諸国の間での地域を越えた人材の養成や,科学・技術の分野における相互の人材交流を目的とする。ことに,加盟国相互の大学間の教授陣と学生の交流を促進している。また,このエラスムス計画に影響されて,アジア・太平洋地域でも同種のUMAP計画が1991年以降推進されている。(コトバンクより)

 

マウリツィオ・ラッツァラート 1955年、イタリア生まれ。社会学者、哲学者。現在はパリで働きながら、非物質的労働、社会運動などについて研究を行なっている。非常勤芸能従事者や不安定生活者などの活動に参加している。フランスにおけるガブリエル・タルド著作集発行の中心人物のひとりで、タルド研究者としても知られる。邦訳書には『出来事のポリティクス』(洛北出版)。 

 

 

 

     

 

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