相談を受ける者の姿勢

杉本:なるほどただ、なかなか難しそうですね。お話を聞く中で結構まあ、こんがらがってもいるでしょうし、親御さんの説明自体もね。いろいろ自分も間違っているつもりもなかったと思っているでしょうから。もしかしたら「私は間違ってないのにどうしてこんなに出れないんだろう」という親御さんもいらっしゃるかもしれないとはいえどっかで「でもどこかで自分も」と思って自分も混乱しながら延々ととりとめなく長く、という人もいるかもしれませんよね。「聴く」という作業もなかなか大変だろうなあと思います。まず聴くこと自体が相当大変な作業になるのかな、という気がするんですけどそこら辺はどうでしょう?ある程度のパターンみたいなものが見えてきたりもするのでしょうか?それとも千差万別ですか?

 

丸山:聴く側というか、相談受ける側のその条件として、例えば当事者でも自分は不登校だった、ひきこもり状態だったと。ですからその経験を生かして何か支援をやりたいとかいう人がいるんですけどね。

 

杉本:ああ。ピアサポーターみたいな?

 

丸山:ピアサポーターとかね。ただ、その何というんでしょうね?それで相談を受ける立場、まあ本人と直接付き合う立場であればそれほどでもないんですけど、「相談を受ける」という立場であれば絶対それは当事者であるという自覚。そういう自覚が強い人はたぶん難しいですね。

 

杉本:ああ、相談する人は当事者意識が強いと難しい?

 

丸山:難しいです。

 

杉本:ほお~。

 

丸山:それは相談に来るのはほとんど親だからです。で、親御さんは親の立場でやっぱり話しますから、当然わが子に対しては否定的な言葉も出てくるし、恨みごとも出てくるし。

 

杉本:ああ、そうですか。ふ~む・・・。

 

丸山:本当に困ってるんだと。自分が困ってるんだと。

 

杉本:親としてね。はい。

 

丸山:なにかあたかも自分が被害者で子どもが加害者、まあ、温度差はありますけれども、自分が被害者で子どもはそうじゃない、みたいな。あるいは困っているのは自分のほうで、子どもはそれほど困っているようには見えないとか。そういうようなお話をされる親御さんは少なくないですから

 

杉本:はい。

 

丸山:だから最初はね。そこはやっぱり「ああ、なるほどね」と。まあ親御さんとしてはそう思いますよねえ、という風に話を聴ときにね。そういう風に思えない人ではね。そこはそう思える人でないと聴けないですよね。やっぱり心の中で「この野郎、子どもの気持ち知らないで」なんていう気持ちがふつふつと心の片隅でうずくようでは、相談員はやれないですよね。

 

本人ではなく、周りを変えたい

杉本:そうですか、なるほど。丸山さんはもともと本に書かれているように、ご自身が不登校とかひきこもりの当事者だったわけですよね?その上で親御さんの、やっぱり当事者さんが出てこないので親御さんとの間少しこじれてしまったお子さんに関して相談を受けることも多い立場だと思うんです。で、相談者は当事者性が強いと難しいという話なんですけれども、丸山さん自身が親御さんの立場に立てる心境になったというのはどういあたりでその手ごたえをつかんだんでしょう?

 

丸山:あの~、例えばそのね。親の気持ちに共感できるようになったから、親支援が出来るようになったというわけではないんですね。

 

杉本:それもまた違いますか?

 

丸山:はい。実は全く逆で。僕はすごく不登校・ひきこもりを通じて、もう親とチャンチャンバラバラやってるほうのタイプですね。ですから、相当親と言いあってきたんですね。で、やっぱりひきこもり状態を通じて最後に、まあいろいろな心境の変化とか、価値観の変化で楽になって動けるようになったですけど、その中のひとつとしてやっぱり親が子どもを理解する、例えば不登校状態やひきこもり状態なりを親が本当に理解するということは「あり得ないんだな」という風に親に対してこう、「あきらめた」。

 

杉本:あきらめた。

 

丸山:ということ。そういう心境を通過しているということですね。むしろこのあきらめがまあ、普通に伝えようとしたって伝わらないんだと。そうしたらここはもう、何というのかな?前もお話したことだと思いますが、あきらめたから本人へ、じゃなくてね。そういう人が多いですけど。親は変わらないから本人に支援を、と一生懸命いろいろやっているかたが多いんですけれども。前にもね、あるフリースクールのフリースペースで「不登校を語る会」みたいなね。要するに不登校体験を語り合う会みたいなものなのですが、それがもう何百回、千回行われたとか言ったかな?何かとにかくね、すごく長く続いているんですけど。

 

杉本:それはすごいですね。

 

丸山:ええ。そこへ行った時、運営されているかたがね。フリースペース担当のかたはすごく親面接を手伝って親御さんの対応を良くしてて、(私の仕事を)「ああ、それはいいですね」と言ってくれたんですけど、それに対して運営者の方は「いや、親は変わらないでしょ」と言ったんです。だからそういうようなかたは多分いっぱいいると思いますが。

 

杉本:変わらないというのは、悪い意味で変わらない、と言っているんですか?

 

丸山:ええ、そうです。

 

杉本:なるほど。

 

丸山:だからそこは確かに僕もまあ、当たらずとも遠からずというか。子どもへの理解という点では本当にはやっぱり理解できない。でもその、何でしょうね?それでも子どもが家に閉じこもっている以上は人間関係が家族しかいないんだから。だから僕はその時に僕は本人を変えるんじゃなくて周りを変えたいと思ったんです。本人に変わることを強いるようなそんな権利は誰にもないと思ったんですね。とにかく周りが変わり得るんだとしたら、じゃあ周りを変えることによって、もしかしたら本人も変わっていくかもしれない。とにかく周りが変わらず本人だけを変えようなんておこがましいと。そう思ったのが「相談」という仕事を選ぶきっかけになったわけですね。

 

 親の気持ちをつかむ

丸山:で、そういう意味では僕は本当に仕事として相談を受けるという道を選んだのでやはりそのためには、「どうしたら親に100パーセントは無理だとしても、少しずつでも理解してもらって親御さんの本人に対する見方とか、対応が変わって行ってもらえるのかな」と考えたときに、それはやっぱりとにかく親御さんに対して僕は子ども持ってないので、おそらく親の気持ちは分からない。親の気持ち分からないから、だったら分からない相談員としての受けとめ方ですよね。だから親が子どもを理解できないのと同じように、僕も子どもの立場だから親は理解できない。元当事者だからなおさらですね。親を理解できない。これはお互いさまだからとにかく親御さんの相談を受けるそのスキル、というと少し格好良すぎますけど。要するに姿勢とか態度とか、テクニック的な部分も全部ひっくるめてやっぱり自分の親支援のスキルを磨くということでやっていく。つまり「理解する」とか「共感する」とかではなくて、「受けとめる」ということ。そういうことにこっちは専念しようと。                    

 そのためのやり方、方法としてとにかくまずは親御さんの話は徹底して聴く。そして否定はしない。親御さんだって否定をされたら立つ瀬がなくなる。とにかく相談の中で僕が思うのは相談に来なくなるのがやっぱり一番怖いわけですよ。だからそのために大げさにいえば、こちらが親御さんの気持ちを掴まなくてはいけない。で、そのために何をする?どうすればいいのか?ということに僕は専念をしている。その結果が親御さんを否定しないという所であって。それでね。実際に親御さんとこうやってお付き合いをしていくうちに、「あ、親御さんと本人の抱えている葛藤っておんなじようなものなんだな」と。

 

杉本:ふふふ(笑)。

 

丸山:つまり、「あたり前」ということがあり、出来ていたことが出来なくなってしまった。それに対して「やんなきゃならないのに出来ない」という葛藤と、親御さんが子どもに対して抱いている「この子があたり前に出来るはずのことが出来ない」という葛藤とね。似ているなと。だったら親と子どもに対しての自分の相談員としての態度に違いないほうがうまく行くんじゃないかなって思いました。そういうこともありますね。

 あともうひとつ、これはね。相談者の支援関係の中でこれは考え方が別れるところで、実際本人相手の支援の仕事をしていて、親への対応はまあ、本業ではない支援とかフリースクールのかたの場合は、けっこう親に対する態度は違ったりするんですね。本人には優しくサポートするけれども、親に対しては本人のために代弁するみたいな。「親御さん、こうしてください」みたいな常に親御さんに対して、あの~、「対峙する」みたいな。

 

杉本:ああ。まあ、一貫してるといっちゃえば一貫していますか。子ども側といえば子ども側なんですね。

 

丸山:そうそう。子どもの側に完全に立つ、というか。そういう人ももちろんいるわけですけれども。そういう人が相談の立場だとやっぱりむしろ本当は区別しない方がいいんじゃないかなあ、と。そのほうが親御さんの相談は長続きするんじゃないかなあと思っています。

 

 

自分がしてもらいたかった対応を目指す

杉本:やはりポイントはどこまで行っても目に見えないですけど、子どもさんなんですよね。丸山さん自身も悩んできた立場として、子どもさん自身が苦しみから解放されて欲しいということが一番の軸で、そのためには周り、つまり家族が変わってくれなくてはどうしようもないということがあるわけですよね。だけどその気づきとしては、丸山さんは自分の親御さんに自分のことを理解してもらうことは究極的には無理なんだと。そういう理解を経て、その上でやっぱり相談に関してのポイントは「親だ」と。そういうことに気づいて軸足をそちらに置くことにした、ということなんですね。

 

丸山:そうですね。自分の経験だから親にまあ、理解されなかったとか、まあひきこもりの時代は親に、ひきこもり状態に対してまったく対応されなかったと。そういうような経験。そして不登校時代とか大学時代には親からいろいろコントロールされるようなこと、操作されるようなことを幾つかされたという経験ですね。ですからそういう中でむしろ自分が親にして欲しかった対応を親御さんにはやっぱりしてもらいたいな、という思いもありますので。そのためにもとにかく先ほどから言っている親支援のスタンスというのはやっぱり持っておかないと実際実現しない。親御さんに幾ら良いことを言っても、それを結局親御さんが受け入れなければ実現しないわけですから。やはりそれは結果を目指すといいますかね。で、実現するためには、そのためのルートはどうだってそんなことは問題じゃない、と思っています。

 

杉本:なるほど。でも本当にね。丸山さんの本を読むと、実に非常に深いところまで微に入り細に渡ってよく表現できてるなあというのは本当に思ところなんですよね。何でこんな深い思考が出来たんだろうなあって思うんですよ。もちろん勉強されてきたということはあると思うんですけどね。でも何かナマな、人としての、ヒューマンな感じというのが凄するというのがあるんですよね。前にも話したとおり比喩も巧みで、借りてきた言葉になってないあたりやっぱり当事者経験を持ってきてるからだな、と思ったんです。

 でもあの、時折出ませんか?自分の当事者性みたいなものが(笑)。親の話を聞いているうちに(笑)。ははは。

 

丸山:ええ。いや、それはね。さっきそういう「この野郎」という気持ちはうずくということは全くないとはもちろん言えないですね。

 

杉本;どうにもこうね。泉谷(閑示)先生の本にも書いてありましたけど、「フレッシュ(Fleshな怒り」とありましたけど。瞬間的にこれは叱らねばならない、みたいな思いに駆られることはないですか?

 

丸山:そうですね。それはまあ、どうでしょうね?え~と、僕ね。実際の話で言うと、いままでお一人、これはお父さんですが、こちらから断ったことがありまし。本当にそのお父さんはもう腹が立つ人なんですよ。お付き合いしているときにも何度ムカッときたんですけどね。

 

杉本:どういう表現をされた部分にですか?

 

丸山:とにかく無理やりひっぱり出すとか、そういうことはダメだという考え方ではあるんですが、その代わりものすごく策略的なんですよね。とにかくコントロールすることによって事態を改善しようと。たとえば「抜き打ち」で家庭訪問してくれとか、いろいろと。で、その代わり自分は泥をかぶらないんです。自分は安全なところにいたいんですね。で、僕に対して「あれしてくれ、これしてくれ」と。

 

杉本:う~ん、なるほど。責任回避をしているわけですね。

 

丸山:そうそう。で、僕もちょっと未熟なところがあって、お父さんに対する伝え方がちょっとなかなかうまく行かなくて、それこそちょっと向こうが受け入れられないような、少しストレートな言い方をしてしまったり「お父さんは本人に対して信頼を失ってしまっているんですよ」みたいなことを言っちゃったりして。それは後から考えると反省点ですが、とにかくそのお父さんは自分には何の落ち度もないと。悪いのは本人だけだと。で、それに対して人を使って何とかしようという考え方なので。一番最後の打ち合わせというか、面接を地元のスーパーのレストランで話し合いをしていたんですけれども、もうそこでとうとうブチ切れて席を蹴って帰っちゃいましたけど。そういう経験もあります。

 あとはこの青少年センターというのは割と登録団体を紹介というか、情報提供をするんですね。で、「家庭訪問して欲しい」ということで青少年センターに相談したら、家庭訪問可能な団体として2,3箇所あげたと思うんですけど、その中にウチが入っていたんですね。そこで電話がかかってきた。お母さんですけれども。そうしたら何か態度が高飛車なんですよ。だから僕は聞き返す。何か仰っている意味がよく分からないので聞き返したらその時に「いや、さっき言ったんだけどな」ということを言いながらしぶしぶまた説明し直したりという人で。結局、電話で言い合いになっちゃったんですよね。僕としては慎重なわけです。家庭訪問するかどうかはまず2,3回は絶対にね。最低2,3回は親御さんに面接に来てもらわないと、面接に来てもらっていろいろお話を伺って、それで本人の状況とか、心理状態を把握してから。

 

杉本:見極めて・・・。

 

丸山:そう、見極めてから決めることなんだということ。それが気に食わなかったみたいで。

 

杉本:ああ・・・。

 

丸山:「そんなものは必要ない」と。

 

杉本:ああ、それじゃちょっとね。無理ですね。

 

丸山:ええ。で、最後は言い合いになりましてね。結局不愉快な雰囲気でその電話は終りましたけど。だからそういう風になんというんでしょう?「自分は悪くない」と。何の落ち度もないと。もう子育てだってちゃんとしてきたし、いまの子に対する対応とか、今の子どもへの見方も正しいんだと。そういう、だから努力すべきは支援者であり、本人でありという考え方の親御さんはやっぱり受け入れらないですよね。

 

切ない子どもたち

杉本:それはそうですよね(笑)。でもまあ、かわいそうですよね。そういう親御さんの子どもさんはね。

 

丸山:そうなんです。それは本人のことをすごく心配になりますよね。本人が大変だろうなあと。

 

杉本:本当、そういう対応の親御さんを知ると、何と言うんでしょうねえ。想像すると切ない子どもさんがいるなあ、みたいなことは聞くでしょうねえ。

 

丸山:いや、これは運命だと思います。やはり親がどういう選択をするかとういうことで、例えば最近も問題になった。ね?「ひきだし屋」と呼ばれるような業者に親が頼むか、それとももっと穏健な、もっと着実に一歩一歩進めていく人を信頼するかということはこれはもう、本人決められないですから。本人がお金を出すわけには行かないので。

 

杉本:そうそう。そうなんですよねえ。う~ん。本当に運命ですよね。子どもにとると。まあ、そんなに多いケースではないと思いますけどね。そんな極端な親御さんというのもね。

 まあ、だいたいはその中間領域にいて、話し合いを重ねれば理解してくれる親御さんが。でも、それも行きつ戻りつなんでしょうけどね。

 

丸山:そうそう。

 

杉本:そうですか。お話のように、基本的には親御さん中心で相談を受けているということなんですね。

 

丸山:だから僕なんかわりと楽な立場かもしれないですね。これが行政だととにかく全員、どんな人でも相談を受けなきゃならないじゃないですか僕、近年行政とかかわりのあるような人とお付き合いがあったりするんですけど、やっぱり行政で相談を受ける立場の人というのは本当に大変らしいですね。

 

杉本:そうですか。

 

丸山:いろんな、あらゆる人。断れないですから行政は。民間だとね、支援関係のNPOのかたとかお話伺っているとみなけっこう断っているみたいですよ。

 

杉本:難しい人は断る、みたいな?

 

丸山:難しい人ですとか、あるいはまあ、考えが合わない親御さんですとか。で、僕もわりとまあ、学校復帰させるとか社会復帰させるとかは初めから標榜していないし、そこでまずそういう考えの親御さんは実際に問い合わせてこないんですよね。ある程度自動的にふるいにかけられちゃうので。さっき言ったように今まで一生懸命戻そうと考えてきたけどラチがあかない。そして自分のやり方は間違っているのだろうか?という風に思えるような、さっき言ったのと反対のね。「間違ってない」という親御さんは来ないけれども、「自分は間違ってたんじゃないだろうか」と本当に途方に暮れたような親御さん、「どうしたらいいんだ」と迷い始めた親御さんが多く来ますので、そこでやっぱり僕の話を聞いた上での説明が通じやすい、伝わりやすいということはありますね。

 

どう生きていくか

杉本:そうですね。丸山さんは本もそうだし、メールマガジンにしてもそうですけれども、最初から戻すとか、復帰させるとかのスタンスではないので、これは本当に事前情報として最初伝えられているから。もちろんこういった場所でのね、丸山さんへの紹介。丸山さんへ直接、というよりも誰かからの紹介で相談ということもあると思うのですけれども。丸山さんがどういうスタンスか、というのを分かって紹介が来るというのもあるでしょうから、本当に親自身が自分の問題でもあるかもしれない、と迷いながら連絡をくれるという意味では誰も彼も断れない立ち位置の人と違うというのはあるでしょうね。

 

丸山:そうですね。はい。

 

杉本:その分、逆にちょっといろいろとこじれてしまって、その結果丸山さんの所へ来たという、もう少し対応が早ければ難しくならなかったのにな、という人もまた。

 

丸山:うん、そうですね。

 

杉本:ここもまた逆に多い、というようなケースも

 

丸山:そうですね。だからいまよく長期化してるといわれてますけど、やっぱりね。それは長期化しているケースはやはり難しいですよね。ですからそこはもう価値観。僕はとにかく「どうやって生きていくか」というのが目的なので。社会復帰しなくちゃいけないということよりも、とにかく先日のUXのテーマでもある。

 

杉本:「生存戦略」。

 

丸山:そう。どうやって生きていくかということを考えましょうということなので、復帰するのが難しければ何というかな。それに変わる生き方というのを見つけていこう、という。そして少なくともやっぱり「つながり」。僕とつながってくれれば、僕のことを知っておいてくれればとにかく本当に困ったときにはちょっと頭の片隅においてくれれば、「あ、丸山にちょっと電話してみようかな」とかね。そういう風に思えるかもしれないし。だからとにかく「会っておく」というか。最低限、親御さんがね。まあ「丸山なら信頼できるな」という風に思ってくださ親御さんであれば、例えばイザと言うときは丸山に相談しようとかね。そういう風に遺言を残しておくとか。

 

杉本:ははは(笑)。そんな。遺言だなんて。

 

丸山:いや、だから本当に極端な場合、最悪な場合はそうなんですよね。そういう親御さん、自分はもう遺言書を書いておくつもりだと仰る親御さんもいらっしゃいます。家族会に参加されていた方、お父さんですけど。

 

杉本:そうですか。いや実はね。私もね。「遺書、書いてくれよ」って(笑)。言ったりするんですよ。でも書いてないんですよ、まだ。もう父はほぼ寝たっきり。母もだいぶ認知がかってきてるんですけど。だけど昔の人はなかなかねえ?また、これを”言う”という自分の図々しさね(笑)。遺言を書いてくれ、という。僕の図々しさというのも如何なものかな、と思うのですけど。まあこっちも生存戦略を考えますから。書いてくださいよと言ってます、はい。

 

 

 

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