いまはまだ大丈夫

 

杉本 で、素朴な疑問なのですが。生活保護を受ければいいんじゃないかな、とやっぱり思うわけですよ(笑)。岩田正美さんの本で当事者の語りを読んでも、ここまでシリアスな状況なのに何で生活保護を受けないんだろう?ということはすごく思ってしまう。つまりほとんどの人は僕みたいなヘタレな人間とかでも、そこそこ社会資源の素朴なことがわかっていれば食えないなら行政の人に頼んで何とかしてくださいという話になると思うんです。それともうひとつは、やっぱり脱路上しないといっても、もちろんベトサダの人たちや労福会の人たちその他、ホームレス支援をやっている人たちはみんな「生活保護を受けましょうよ」「脱路上しましょうよ」って呼びかけますよね。こういう社会資源もあるからということで。

 

山内 そうですね。「こういうことなんです」という説明が難しいんですけど。いくつか顔が浮かぶ人がいて、「その人は」みたいな話になるんですが、究極的には生活保護を受けたくないわけではないんですね。でも、受けるような立場じゃないと自分で思っているか、さんざん世間に迷惑をかけてきたからと。この上、生活保護をもらって税金でみたいなことは自分にはそんな申し訳ないことができないと。「生活保護は結構です」といってるんですけど。でもそれは生活保護受けるくらいだったら野垂れ死にした方がいいというほどでもなくて、いよいよ困ったらお願いすることになると思うけど、「いまはまだ大丈夫」、みたいな。良く聞けば、「まだ大丈夫」なんですよ(苦笑)。どうですか?と聞いてもね。

 

杉本 ぎりぎりまで耐えてみよう……。

 

山内 それくらいの自分自身の納得のさせ方だと思うのですけどね。自分はぎりぎりまで人の世話になるのは我慢して過ごしていく。ただ、いよいよダメになったら。

 

杉本 考えますと。

 

山内 たぶんそういうパターンが多いのかなと思います。「まだ大丈夫」。だから本意では生活保護、あんなもの絶対受けねえという人というのはあまりいなくて、「まだ」「まだいいよ」と。

 

杉本 それじゃあすごくホームレスということにこだわって、「これで俺は生きるんだ」ということでもないと。……とはいえ、北海道の冬を越すというのは相当なことですよね?

 

山内 そうですよね。

 

杉本 やれる、という気持ちもどこかで。あるいは、「やれた」とか(苦笑)。

 

山内 ああ……。

 

杉本 妙な話だけど、越冬できてしまった、と。

 

山内 一冬越えると、もう行ける感覚持つみたいです。だから僕らもなるべく早期発見しようと(笑)。一冬越えたら何かもう行けちゃった、みたいなことになって。まだいいや、もう少し行こうとなる可能性がありますからね。

 

杉本 なるほどね。でも本当に寒いじゃないですか?特に今年は。マイナス10度を超えちゃうような日々で。この寒さは例年なかったことですよね。おそらくまだ2、3日は厳しい、深夜帯マイナス10度。明け方のほうがキツイかな。4時、5時とか。マイナス10度くらいになっちゃういちばん寒い時間を越しちゃう。だからそれが出来てしまう、出来てしまったというところでしょうか。いよいよ出来なくなったら福祉のお世話になろうという所まで。申し訳ないからと。

 

山内 そうです。

 

杉本 「申し訳ない」と思うところ。その心理は何なんでしょうね?

 

山内 う~ん。いわゆる生活保護バッシングとか今あるじゃないですか?ああいう感覚をたぶん一番意識してるのはいま路上にいる人たちなんじゃないかなと思うんですね。だからやっぱり、「あいつらとは違うんだよ」という言い方もしますからね。あんな風にはなりたくないとね。

 

杉本 ああ、それは保護を受けてる人に対して?

 

山内 ええ。とはいえ自分もいよいよとなればもらうんだけど、基本的に生活保護受給するのは出来ればしたくないと。もうひとつはやっぱり「扶養照会」ですよ。

 

杉本 ああ、そうか。家族に……。

 

山内 家族に連絡が行くというのは絶対にイヤだと。それだったら…と。その辺の優先順位は僕も分かんないですけど、それだったら路上の方がいい、というね。「そうかな?」と思うのだけど。

 

杉本 家族関係がどうしてもあんまり良くないケースとか、逆に家族に迷惑をかける恥ずかしさ。スティグマ感みたいなものが自分の中に?

 

山内 いやあ、それは相当あると思う。そんなに語らないですけどね。多分そうだろうなと思う。

 

杉本 本来、今の時代って。まあおそらく先生たちも説得の仕方としてされると思うんですけど、「形式的なものだよ」と。実際に扶養しなさいよ、って別に国は強く押しつけてくるわけではないんだよと教えますよね?それでもやっぱりそれほど頑なに?

 

山内 たとえば札幌にいるということも知られたくないとか。そもそも家族に居場所が分かると。

 

杉本 恥ずかしいと?

 

山内 恥ずかしいなのか、顔向けできない何かがたぶんあったんだと思うんです。それで世捨て人的にやっている。

 

杉本 世捨て人的に。なるほど。やっぱり出られない人が多いですか?本州とかに。寒いこっちで過ごすよりは。

 

山内 うん。どうなんですかね?聞いたことあるんですよ。「なんで札幌でやってるんですか?」って。

 

杉本 (笑)そうですよね。

 

山内 暖かいところのほうがねえ。

 

杉本 (笑)そうそう。

 

山内 何かしら聞くと、やっぱり「地元だから」と。

 

杉本 ああ~。地元だから。

 

山内 北海道出身者が多いんです。やっぱりね。

 

杉本 札幌で働いてきて?

 

山内 最近は札幌出身の人が多いのかな。一時期は本当に道内の釧路とか、空知とかね。炭鉱の街からも。

 

杉本 ああ、炭鉱労働者の人も?

 

山内 親が炭鉱労働者だった、みたいなケースですね。でも最近はあんまり聞かないですね。札幌の人が多いかなと思うんですけどね。

 

杉本 相対的に地方も数も減ってきているので、やっぱり地元の人が路上に出てきてしまうのがあるんですかね。

 

山内 どうなんですかね。ちょっとそのあたりはそういうことなのか、わからないですけど。

 

杉本 例えば飛行機に乗って本州まで行って、というのもまたハードル高いでしょうしね。

 

山内 うん。わざわざ路上生活しに東京に行くという人はあまりいないんだろうな、という。

 

杉本 ははは(笑)。

 

山内 何かある種バイタリティがあるというか、全国を飛び回るという人は目立っちゃうけど、それはすごくレアな人ですね。ほとんどの人は自分が置かれている状況をうまく自分で把握できていないんじゃないでしょうか。

 

 

 

解決法が極端になってしまう

 

杉本 分かるような気がします。だから世間の、いわば自覚されないというか、意識しないでいう悪口みたいなもの。生保バッシングみたいなもの。あまり深く考えないで言う、ごく庶民的な感覚で言うもの。おそらくそれをストレートに受け止めて。当事者も言ってきたかもしれないし、そうなっちゃいけないと思っている人などがついつい路上で頑張っちゃうというのがあるでしょうかね?

 

山内 そうですね。路上で出会って関わりを持つ人の中には、何らかの事情で刑務所から出所した後の人などとも関わりを持ったりすることもあるんですけど。何でしょう?行動が極端なんです。何か極端になってしまう所があるんですね。例えば生活保護を申請して脱路上を果たしたとしても、まだ若いということで仕事を探す。自分で仕事を一生懸命探すんだけど、なかなか採用されないわけですよね。そうするとその人の人生も半分以上が塀の中で暮らしているような人生だから、もう何かシャバが合わないわけです。何をしたらいいかわからない。塀の中では何時に起床し、何時に就寝みたいに全部が管理されている。そういう人がいきなり外に出てね。世間の側が「あなた、何がしたいの?」みたいな問いかけをしてくるわけですよね。そうしたらもう、自分はダメだとなった時、じゃあどうしよう?というと刑務所に戻るしかない、になってしまう。

 

杉本 う~ん。そちらが日常になってしまう、と。

 

山内 で、結局また刑務所に戻る行動をとってしまうんです。

 

杉本 いやあ。でも本人はシャバがきついわけですよね。つまり自助努力で何とかしてくださいと言われたとき、どうしようもないわけじゃないですか。

 

山内 そうです。だから結局、解決法が極端なってしまうわけですね。選択肢を手に入れられないできたわけですから。その場合は刑務所だけど。それ以外も「ああ、どうしよう」となったら一挙に「跳ぶ」みたいな(苦笑)。こちらからすると、「なぜそっちなの?」みたいな。それがその人の解決策。解決になっていないんだけど、そういう方向に行ってしまう。

 

杉本 行動化しちゃうわけですね。いまの世の中って正規の形でそのような人を受け入れてくれないところがあるので。何かつなぎ止めてくれるもの?僕は幸い家がある。両親も基本的に問題はなかった。家も安定してたし、多少は自分もバイトもしてきているので、そこで何か問題があるわけでもない。そうするとある程度の安定感はあるし、自分にはずっと長いこと付き合ってくれているセラピストの人もいるので、幸いでしたけれども。

 

 

 

つなぎとめてくれているもの

 

山内 本当にそうですね。つなぎとめているものというのが刑務所入っていた人などにはやっぱりないんですよね。ないからすぐ、しんどくなったら刑務所行きたい、みたいな。でも刑務所もそんなに居心地良かったわけじゃないんですけど。

 

杉本 そうですよね。あの~、う~ん。社会って難しいんですけどね。

 

山内 (微苦笑)。

 

杉本 まあ結局、家。ホームがある/ないって本当に大きいなって思います。何か事情があっても帰る場所。まあひとりで生活してる人も多いですけどね。僕らの世代でも。帰る場所があって、行く場所があるということ。働くことの意味がどうとかこうとか、僕もさまざま考えてしまう人間ですけど。つまり必然性がある仕事やってますか?と言ったら「難しい」という人も山ほどいるとは思うんですけど(笑)。そうはいってもやる仕事があって、給料もらって帰ってきて。で、ひとり暮らしだろうが、結婚してようが、帰る家がある。日常ってそういう繰り返しじゃないですか。で、何かイメージとして社会と自分はつながっているという感覚、きっと皆ありますよね。あるから「糸が切れた凧」のようにはならないんだと思うんですけど、でも本当はある意味紙一重というか。誰でもそのつなぎとめているものがなくなっちゃうと。まあもちろんそんな極端なケースは滅多にないとは思うんですけどね。とはいえ…。

 

山内 いやでも、けっこうその紙一重だと思いながら、他方でこう、じゃあ自分は下手したらホームレスになるなんてことがあるのかな?という風に思うと、それはないだろうな、と思うんです。何か社会との接点。接点じゃないな。「つなぎとめているもの」。それをなくすのもまた難しい。

 

杉本 そう。探しますよね。

 

山内 よく夜回りに初めて参加する人の感想としてね。怖いなとか大丈夫かなと思ったけれど、積極的に話をしてくれて普通の人間じゃないかと思ったというんですね。私たちと変わらないじゃないか、と。でも、もうちょっと付き合ってみると「これは何でだろうな?」という事はやはりあるんですよ。極端な行動であったり、何と言うんでしょう。路上に至るまでにいろんなものが削ぎ落とされてるんです。家族とか友だちとか仕事・住まい。それはたぶん僕なんかも大学の仕事を失いましたとなった時にホームレスになるか?っていったらたぶん「山内、お前ちょっと困ってるならこっちにおいで」みたいなこと、誰かが言ってくれるような気がして。だからそういうのがもしかしたら路上のおじさんたちにもあって、例えば住む家がなかったらちょっと家に置いてやるからその間仕事探したら?みたいなことがあって、そこにずっと居て、「いつまで居るんだ?」といわれて、みたいな。たぶんそういう過程を経験して、「あいつはもうちょっと」、みたいなことが積み重なって削ぎ落されてそういう風になるのかなと想像したら、僕はちょっとそれも無理だな、できないだろうなというのがあって。なので、「紙一重だな」と思いつつも、自分はそこまで行くことも出来ないだろうなと思っているんです。

 

杉本 私はどうなんだろう?かなり私の場合、家が守ってくれた。まさにひきこもりって家がひとつの拠点になってますからね。やっぱり両親に守られてきた部分って非常に強くあったんだろうなあというのは思いますね。

 

 それからセラピストとの付き合いも長く、自分で伸展がないなあと思っていた時期に言われたことがあるんです。カウンセリング受けて数年後ですが。「何か俺にもいろいろ言われてるけど、でもあんた、毎月必ず来てるね」と。だからそこらあたりはけっこうポイントだと思っていて。ギリギリの所で誰かを求めてる。で、その時にもおそらく自分の中でもセンサーがあるというか。選択してるんですよね。「この人なら大丈夫」とか。場所に来て、時々はキツいこともいわれるわけだけど(苦笑)。この人は人間として信用できる。ちゃんとしてる人だとか。ある種常識的なセンスや人を見るときの感覚。逆に「この人はちょっとな…」とか。清掃とかやってるとちょっとね。なかなかアウトロー・チックな人とか、アウトサイダー・チックな人を見かけたことはあったので。「この人はちょっと……」とか。

 

山内 (笑)。

 

杉本 あまり近づかないようにしとこう、とかあるわけで。そういうのは冷静に考えるとどうか?とも思いますけど、そういう「人を見る」ということもするので。おそらく僕もきっと大丈夫だろうなと思います。ただ母親が亡くなったときはちょっとピンチかなとも思いますけど(笑)。連れ合いがいるわけでもないですからね。ただ、またひきこもって出なくなるということもないんじゃないかなと思ってるんですよね。まあ自分も本を書いてきれい事を言ってきたけれども遁走しちゃって、行方知らずになりました、という事もなかなかできないだろうなというのもあるんですよね(笑)。

 

山内 (笑)。

 

杉本 幸い一般流通本として出ましたけれども、それも社会とつながっていたいという欲望の発露なんですよ。そういうものが例えばけっこうな犯罪を犯してしまって行き場所がなくなった人に対しても「つながりを持てば」と安易には言いにくいとは思うんですけどね。

 

山内 でも少しずつではあれ、つながりを保つ努力は必要だろうと思うんですよ。何回か失敗を重ねながらも、徐々に違ってきているというか、例えばいままでは何かあるとすぐ「もう刑務所しかない」と思っていた人が、少しずつこちら側につながりを感じてくれるようになってくるということはありますからね。時間はかかりますけど。

 

杉本 もうひとつは世の中の側ですよね。まあちょっと大きな話になっちゃいますけど。受け入れる。まあそれも簡単ではないか(苦笑)。

 

山内 う~ん。何だろう。受け入れ……。社会ってやつですね(苦笑)

 

杉本 ええ。でかい話ですけど(苦笑)。

 

 

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「扶養照会」―生活保護法第四条では「保護の補足性の原理」に基づいて、民法に規定されている扶養義務者の扶養義務の履行を生活保護に優先させることとしている。しかしこれは不要能力のある扶養義務者の存在をただちに受給資格の欠格理由とするのではなく、扶養義務者の扶養が行われる限度において保護をなさないという優先順位の問題として解釈されている。

 

 

                      存在を多面的に見れるか