林恭子さん

 

(新ひきこもりについて考える会、ヒッキーネット、ひきこもりUX会議)

 

 

 

 

 

 

この416日に約400人を集めて行われた「ひきこもりUXフェス」の運営主催者として、司会に、裏方にと縦横無尽にと駆け回っていたのが今回のインタビューの主役である林恭子さん。冒頭はまず彼女からUXフェスの印象を語っていただきました。

 

 

 

「普通になりたい」

 

林:ひきこもりの人たちって、けっこう、「普通になりたい」って思う人も多いんですよね.。普通に仕事をして、普通に結婚して、普通に子どもが欲しいのに、その普通が手に入らないから苦しいって。だからそこを特に今回出てくれたかたたちが普通なんてつまんないじゃない。あなた自身でいいんだよ、っていうと、「いや、そんなものはいらないんだ。ただただ普通でいたいんだ」と思う人には非常に反感を買う。だから竹村利通さん(『働く』がテーマのゲストスピーカー)に詰め寄った人がいたらしくて。武村さんが「そうかそうか」と。君の大事なこと、僕はしっかりうけとめましたよ、と。そのようにしっかりと受けとめてくださったから良かった。私、実は昔、『ひきこもりについて考える会』の旧の会ですね。そこに芹沢俊介さんがいらっしゃった時に芹沢さんが、「ひきこもれ」と。いいじゃないかひきこもり、って言ったら当事者側から総攻撃食らったんですよ。もう、「何を言うか」と。「どんなに苦しいのか分かっているのか」と。でも芹沢さんはそのとき、ひとつひとつ丁寧に答えてそのあとの打ち上げにも来てくださったんですよ。私、芹沢さんて何ていい人なんだと思って(笑)。

 

 

 

杉本:(笑)まあ勝山さんもね。芹沢さんは人柄がよろしいですよ、って。強調してましたけどね。「人柄勝負ですよ」みたいなことを言ってましたけど。

 

 

 

林:そうですね。ですからその辺ですね。例えばもしかしたら私だって、恩田(夏絵)さんにしたって、本流みたいなところから出られてまあ良かったな、みたいな。

 

 

 

杉本:ちょっとつきぬけた人。まあ僕もそっちの方に行っちゃってるのかも知れないけれども、そこら辺になると「OK、またひとりこちらに共感者がいるぞ」みたいになるんだけれど、やっぱりそういうわけには......。うん、それはそれでわかるんだよなぁ。

 

 

 

林:武田緑さんと遠藤まめたさんのトークの時も、武田さんはね。自分のやってることについてアニメーションで紹介したんですけど。それも「世の中こういうもんだ」というのから逃れていくと本当の新しい自分が生まれるよ、みたいなね。ざっくり言うとね。だけどこういうものだという、いわゆる普通の社会でしか生きていけない人もいたり、そっちの社会だってそんなに悪くないみたいなね。反論もちょっとあったんですよ。

 

 

 

杉本:うん。それはそれでわからないではないですけど。

 

 

 

林:うん、そこら辺ですよね。反感を持たれたとすると。

 

 

 

杉本:結局、勉強しちゃってるというのかな。そこはこのあとの話でお聞きしたいことでもあるんですけど、「読書会」とかも10年来やっておられるじゃないですか。で、いろいろそこで議論もされてるし、僕もいろいろ読んだりしてひきこもりを肯定的に考える。あるいは、もはやひきこもりの人に同情せざるを得ないような社会だという認識も少しずつ増えているこの2016年的な状況。あとはまあ、僕は年齢的なことを含めて"諦めざるを得ないな”と。これは僕が20代とか30代前半では持ち得ない意識で、もう別の境地であるわけで(笑)。そうですねえ。自分が20代だったら......。でもまあ元気もないから、そういう話を聞いても何となく「ああ、そうですか」と言って。詰め寄る元気はないでしょうね。

 

 

 

林:まあそうですね。確かに。

 

 

 

杉本:とりあえず聞いて帰っちゃう。詰め寄るのはエネルギーがいるかもしれません。

 

 

 

林:そうですね。だから私、いいんじゃない?って思って。彼のね。

 

 

 

杉本:そうそう。

 

 

 

林:そう動いた、っていうのはすごくいいなあって思って。

 

 

 

杉本:で、その芹沢さんの話は石川良子さんの『ひきこもりのゴール』(青弓社)にもおそらく書かれていることですよね(笑)。

 

 

 

悪くなっていった体調

 

林:まあそんな感じです。ところで私、不登校からの経験が長いので。たぶん時間がかかるな今日は、と思って。

 

 

 

杉本:まあでも、語ってくださっていいんですよね?

 

 

 

林:もちろんですよ。私、聞かれたくないことはあまりないので。何でも聞いてください。

 

 

 

杉本:はい。ぼく、林さんの過去のインタビューが載った本について勝山さんから聞いたんですね。これですね。『私がひきこもった理由』。

 

 

 

林:ああ、懐かしいですね。

 

 

 

杉本:これね。勝山さんが書籍で活字化された初めてのものということで、一部で評判だったんですけど、この本の一番最後のインタビューが「林さんだよ」と聞いて、「ああ、そうなんだ」と。で読んだら確かにいただいた資料とかね。見ていたので、「そうかそうか。確かに林さんだな」と。

 

 

 

林:それはもう、何年ですかね?

 

 

 

杉本:2000年ですよ。

 

 

 

林:15,6年前か。

 

 

 

杉本:勝山さんがインタビューで答えたデビューで、一部コアな評判が(笑)。

 

 

 

林:この本の出版記念のイベントで勝山さんとお会いしたのが初めて。ロフトプラスワンで。懐かしいですね。

 

 

 

杉本:勝山さんとも長いんですね。

 

 

 

林:そうですね。ただね、そのときにお会いした以降、ちょっと勝山さん地下に潜ってた時期があって。なのでね。親しくするようになったのはここ4~5年じゃないかな。

 

 

 

杉本:2006年から勝山さんは”ひきこもりからやり直そう”と思って「新ひきこもりについて考える会」の例会に参加するようになったと。

 

 

 

林:ああ。2006年から。

 

 

 

杉本:ええ。1年半なにも喋らず黙っていたと。で、1年半後くらいから自分の色を出し始めたということで。じゃあその頃林さんなどは横で頷いたりしてたんですか?と聞いたら「いや、そのときは林さんは来てなかったんですよ」と。

 

 

 

林:そうなんですよ。

 

 

 

杉本:あれ~?そうしたら林さん、どうされてたんですか?と聞いたら、いや、横浜の読書会にだけ林さん来てたんですよね、という話を聞いて。

 

 

 

林:そうなんです。ですからその後、読書会で勝山さんと再会したような感じかな。

 

 

 

杉本:ということなんですね。で。まず僕が最初に思ったのは、林さん、先ほど何も隠すようなことはないという話でしたが、林さんの場合そうとう早いじゃないですか?この、2000年くらいの頃からほかのメディアでもね。で、当時はまだ林さん自身、悩みが残っていた頃だと思うんですよね。それが今ではこの前のUXフェスでも堂々と運営の中心を担っている。とはいえ、林さんは本を出されているわけではないし、あまり一般にもひきこもりの人たちにも知られていないと思うので、改めて不登校時代のころからお話いただければと思うんですけれども。

 

 

 

林:はい。そうですね。最初が高二の春ですね。GW明けで不登校になったんです。で、当時理由はわからなくて、体調が私の場合はどんどん悪くなったんですね。

 

 

 

杉本:最初は体調ですか。

 

 

 

林:はい。それで行きたくても行かれない状況になって、そのまま休学をして。で、翌年の春に私はまた移動、転勤族の家族で育って全国を転々としていたんですよね。

 

 

 

杉本:何箇所くらい廻ったんですか?

 

 

 

林:8箇所ですね。北は石巻から南は福岡まで。

 

 

 

杉本:へえ~。

 

 

 

林:ちょうどその不登校のときは高松にいたんですね。で、休学した翌年の春に福岡に転勤することになって、私立の女子高に編入です。けれどもそこは一日で行かれなくなって中退するんです。その後当時は大検というものがあったので、大検を受けてそれから通信制の高校に入って。

 

 

 

杉本:大検受けたあとに通信制の高校に入ったんですか?

 

 

 

林:同時ですね。大検は1年目で全部受かったので、それで大学受験できたんですけど、通信制の高校がちょっと私は楽しかったんです。

 

 

 

杉本:なるほどね。

 

 

 

林:卒業までいようと思ってもう1年。3年次で編入したんですね。その高校を卒業してから大学に入ろうと。でもまあその間、身体の具合は本当に悪くて。

 

 

 

杉本:ずっと悪かったんですか?高2の春から。

 

 

 

林:はい。ずっと悪かったですね。16から4年間。その4年間はもうほぼ自宅にひきこもり。通信制高校は月に2回だけなのでね。それだけは何とか行けているけど、学校も一日出かけると5日は休まないと回復しない。非常にいま考えるとうつ状態だったと思いますし、体調もすごく悪かったんです。

 

 で、たまたま当時福岡で母がニュースで「青春期内科」という科がある病院が紹介されたのを見たんですよ。おそらく当時、全国でそこにしかなかった病院が私が偶然通えるところにあって、そこに通いながら医師に通信制や大検を勧められて。そこでは私、入院を勧められてて。「親とはなれなきゃ駄目だ」ということを言われまして。三ヶ月間ずっと言われてと言われてしぶしぶ入院したんです。でも私は何か入院って違うなあと思って。二週間で退院したんです。そこには70人ほど10代から20代の若者が入院していて、いま思うと摂食障害の人であったり、たぶんうつだったり、精神科系の病気の人だったり。まあでも思春期の問題を本当にいろいろ抱えた人たちですね。そういう人たちが入院してて。そこから通信制の学校に通う人もいましたね。でちょっと余談ですけど、ずっとあとになって天童荒太さんの『永遠の仔』という小説があるんですけれども。

 

 

 

杉本:けっこうベストセラーですよね。

 

 

 

林:そうですね。かなりのベストセラー。その冒頭に主人公たちが精神科の子どもの、児童精神科という設定なのかな?そこに入院している様子が出てくるんですよ。それが何か非常にその当時と似てて。すごくこう、同じだったなと後で思いましたね。

 

 

 

突然暗幕がおろされた

 

杉本:あの、個人的な話を割り込んじゃいますが。そこはいろいろ共感ポイントがあるんです。社会的な力量は全然違うんですけど(笑)。環境的には共感ポイントで。僕も高校1年のときに調子悪くなって中退してて。それから通信制高校に移行してるんですよね。その頃に公的機関の精神科のお医者さんにカウンセリングを受けたんですよ。対人恐怖の被害妄想がひどくなってて。それで先生に状況を話しながらその「つらさ」という部分にフォーカスして受診し始めたんです。だけど昼間学校に行ってないから時間があるじゃないですか?すると同じ敷地に併設されている精神科デイケアがあるんですよ。札幌は当時何も思春期の子の行き場所がないので。(19)70年代の終わりですからね。とりあえずデイケアのほうに行って少し人馴れしたり、身体をなまらせないようにと。だから外で体操やランニングしたり、作業で木工やらされたり。でもとりあえずそこにいた人たちがね。正直、全然ぼくと違う世界の人たちに思われて。この世界にぼく、居るというのは......

 

 そして学校に行けなくなるというのは、あたり前に親がサラリーマンで、まわりに自分で仕事をしている人というのは見たことがなかったので。大学に行ってサラリーマンになるという。実はそれもぼんやりとしてるんですよ。相当”ぼ~”としているタイプの子だったんで。とりあえず決められたコースを歩めば何となく大人として自分の親のようになれると思っていたクチでしたから。運命がもう、「ストーン」と暗幕がおろされた、そんな感じで(苦笑)。

 

 

 

林:まったく同じですね。

 

 

 

杉本:真っ暗になっちゃった(笑)。

 

 

 

林:奈落に落ちた、という感じですよね。

 

 

 

杉本:突然落ちた、という感じがして。ものすごいショックでしょ?で、まあカウンセラーは良い人だから何か話をして共感を得られた気がするんですけど、やっぱりデイケアの経験はね。「こちら側にいる人間になってしまったのか」みたいな。すごくショックはありました。まずこれが「青春期内科」での林さんが感じた部分にも共感できるかな、と思った部分です。

 

 

 

林:そうですね。当時ね。多分心療内科もなかったと思います。

 

 

 

杉本:ないですね。ないです、ないです。

 

 

 

林:で、あの~、本当にその高松の県立の高校だったんですけど、割とお勉強はできたほうだったので、当然よりいい大学に行き、良いところに就職する。それしか考えてなかったし、自分が高校を中退するなんてことが起きるなんて夢にも思っていないわけですよね。

 

 

 

杉本:いや本当。あの時代はね。そうですよねえ。上級に行こうと思っていた人たちはね。

 

 

 

林:そういう意味でも「もう人生終った」というか、絶望しかない。

 

 

 

杉本:ええ。そう思いましたか。

 

 

 

林:そうですね。

 

 

 

杉本:体調を崩して行きたくても行けなくなったという話しですけれども、何でそうなっちゃったのでしょうね?

 

 

 

管理されることへの疑問

 

林:いま思えば本当、ストレスですね。それも抱えきれないストレス。理由は幾つかあったんでしょうけど、私、どうも子どもの頃から「管理される」とか「制服」とか、そういうの、すごく疑問に思ってたんですね。特に地方を転々としてて、東京と地方って全然違いますよね?地方は本当に制服とかも厳しいし、たとえば最初の中学では靴下、白いソックスを伸ばして履きなさいと。で、別の県に転校したら今度は三つ折にしろと。「それ、何で?」と思うわけです。でも誰もそれに答えてはくれないし。で、前の学校では私はいつも髪が長くておさげ髪にしてたんですけど、行った学校ではおさげも駄目だと。女子は全部あごのラインで切れ、と。まあ、切るわけです。だから納得できないんです。

 

 

 

杉本:う~ん。なるほど。

 

 

 

林:だけど私は本当にいわゆる優等生だったんですよ。親とか先生が言うことは何でも「はい」と聞くし、だから何か「ん?」と思っても、それを誰に言っていいのか、どうしていいのか、そう思っている自分がおかしいのか?とも思ったし。全然それを出すことが出来なかったんです。でも高校くらいになって、自我が成長してくる中で自分の違和感と学校の関係。特に私の行った学校が新設の進学校で、高校なのにいろいろうるさかったんですよ。私は高校生になればもうちょっとね。自由になると。でも体育祭とか文化祭とか全部先生が決めちゃって。全然生徒たちに何も認めさせない。そして私が今でも忘れられないのが高校の入学式の日に校長先生が「大学の入試まであと何百何日」って言ったんですよ。

 

 

 

杉本:(苦笑)ええ?入学式の日にですか?

 

 

 

林:はい。

 

 

 

杉本:ははは(苦笑)。それは。

 

 

 

林:ほかの生徒は何とも思わなかったのかもしれないですけど、私はすごいショックで。せっかく高校というのは一生の友だちが出来るとか、その頃から聞いてて。

 

 

 

杉本:ええ。青春時代ですからね。

 

 

 

林:うん。青春時代すごすんだと思ったのに、「ええ?何を言ってるんだろう」と思っちゃったんですよね。で、その後も何かひっかかるような高校のエピソードがありまして。たぶんそれでね。どうしたらいいのかわからなくなったんだと思うんですよね。

 

 

 

杉本:じゃあ何だろう?意識化して、言語化して、問題化するいまの林さんじゃなくって、疑問は沢山あるけれど、どう対応したらいいのかわからなくて溜め込んで、とりあえず適応しようとがんばったということでしょうか。

 

 

 

林:はい。むしろ過剰適応してたかもしれませんね。

 

 

 

杉本:過剰適応を。うん。この新設の高校に来たほかの生徒さんたちってその辺の反応は?

 

 

 

林:それがですね。入学当初はほんの数人だけ、校則おかしいよねとか、ちょっとこれはね、とか話をする子は2人くらいはいたんですよ。女子の生徒でね。数人くらいかな?だけど数ヶ月くらいたつと「あと3年だから我慢すれば」「あと2,3年我慢すればもう大学生になって自由だから」と言って馴染んでいくんですね。ところがこれ、あとで知ったんですけど。不登校の子に共通してるらしいんですけど、1年が耐えられないんですよね。3年待つなんてこのいまの私の大切な日々を3年も「おかしい、おかしい」と思って過ごすのはとても耐えられないと私は感じちゃったんですよね。ほかの不登校の子の多くもそう思うらしいんですけど。

 

 

 

杉本:うん、なるほどねえ。

 

 

 

林:「割り切り」というんですかね。それはとても私には出来なかったですね。何でみんなそうやって大人になって行っちゃうだろう?みたいな(笑)。そのことはちょっとわかんなかったですね。

 

 

 

杉本:そうですね。何というのかなあ?わかりのいい、通じのいい大人に早い段階から、高校生からなってしまう、みたいな感じはあるのかもしれませんね。

 

 

 

林:それがあの、私にとっては大きなエピソードがあって。不登校になる少し前ですけど、まだ1年の終わりだったのかな。2年生の男子でふたりいつも一緒にいる男子生徒がいたんです。先輩なんですよ。そのうちのひとりが高校中退したという噂が全校にパッと広まったんですね。その男子生徒はどうやら自分はアフリカに行くからそのためのお金を稼ぐために学校を辞めるといって中退したらしい。そのときなぜか知らないですけど、学校中大騒ぎになって。まあ、中退という人がいなかったからだと思うんですけど。

 

 

 

杉本:新設校ですしね。

 

 

 

林:あるとき廊下に「なぜ僕たちは彼を止められなかったか」というタイトルで廊下にいっぱい貼り出してあるんですよ。

 

 

 

杉本:へえ~。壁新聞みたいな?

 

 

 

林:ええ。内容までちょっと覚えてないんですけど、そのとき私のクラスの回りも「バカだな」って。「3年卒業してから行けばいいのにね」って。周りは中退なんてバカだな、っていう意見だったんですね。

 

 

 

杉本:うん。

 

 

 

林:私なんかそれ見て「何で?」と思って。彼はアフリカに行くっていう目的があってそのために働くって言っていて、何もバカではないし、おかしくないし、むしろ目標があっていいんじゃないの、って思ったんですけど。

 

 

 

杉本:そうですね。

 

 

 

林:それを共感できる人が周りに誰もいなかったんですよ。彼はバカなことをしたと。

 

 

 

杉本:学校が正しいという価値観が圧倒的に強かったんですね。学校に残ってそのまま大学に進むということが正しいことだということが全般的に支配してた。

 

 

 

林:そうですね。

 

 

 

杉本:そこは林さんは違っていたわけですね。

 

 

 

林:違っていたわけですね。どうもそれを周りと共感できない自分がいる。

 

 

 

杉本:うん、うん。

 

 

 

林:そのことがちょっとした事件だったんですけど、そのことがあったすぐ後にもうひとり彼とよく一緒にいた男子生徒というのがちょっと長髪だったんです。長髪といってもたいしたことないんですよ。で、ある日全校集会があって、終ったあとにいつも指導の先生が「この中で校則違反をしている者は立ちなさい」と言ってたんですね。そうすると何人か人がぱらぱらと立ちあがったんですね。先生が「明日までに直せる奴は座りなさい」というとみんな座るわけですよ。ところがその時は全体がざわざわとして、ふと見たらそのサラサラ髪の長髪の男子が立ったままだったんです。先生がちょっと動揺して、そんなこといままでになかったし。「じゃ、君はちょっとあとで指導室来なさい」と言われて終ったんですね。その時も「あいつバカだな」って。何であいつわざわざ反抗して、髪ぐらい切ればいいのに、という話をしながら教室に帰っていったんですよ。でも私は、そんなボッサボサの頭を長くしてるわけじゃない。全然そんなおかしくもないのに、何でそんなこというのかわからなかったし、彼の勇気に私はすごくシンパシーを感じちゃったんですよ(笑)。

 

 

 

杉本:ああ、わかりますねぇ。

 

 

 

林:やったあ!みたいな。

 

 

 

杉本:アフリカを目指した子と同じですね。

 

 

 

林:そうですね。その子の友だち。それでみんなはそう言ってるけど、私はやっぱり気になっていて、それから数日「ああ先生に切らされちゃったかなあ」とずっと思ってたんですけど、一週間くらいたって廊下ですれ違ったら髪の毛そのままだったんですよ。

 

 

 

杉本:あ、なるほど。

 

 

 

林:そのときどうやって先生を説得したんだろう、と思いながらも、何かこうすごくガッツポーズを私は心の中で。どうもそういう気持ちを抱えたまま、「みんなと何か違う違う」と思っていたようで。もう本当にそれが膨らんでしまって。たぶんそこから1、2ヵ月後に不登校になったんだと思います。

 

 

 

杉本:とてもこの学校で続けていくのは難しいと。身体の声が。

 

 

 

林:反応した。

 

 

 

杉本:身体の声に引っ張られたということですね。

 

 

 

林:そうですね。ただ、いま話したようなことは当時は言語化も意識化もしてなくて。

 

 

 

杉本:そうですね。渦中ですものね。

 

 

 

林:渦中ですから。もう何が起きたのかがわからない。

 

 

 

杉本:うんうん。非常によく分かります、はい。

 

 

 

林:で、もうひとつはのちのちになって私、ちょっと母との間でだいぶ問題が。かなり高圧的で管理的なので。それも原因のひとつなのかな、と。

 

 

 

杉本:当時からそういう感じだったんですか?

 

 

 

林:母ですか?本当に物心ついたときからですよ。ただそういう母は私にはそれが普通だったので。どうも母は普通ではなく、ちょっと問題があるということに気がつきはじめたのが20才過ぎてからです。

 

 

 

竹村利道ー公益財団法人日本財団国内事業開発チーム。チームリーダー。

大学卒業後、医療機関、障害者施設にて障害のある人に関わる。障害のある人をだめにしているのは福祉だと気づいて「Not Charity But The Chance!(保護より機会を!)をテーマにこれまでにない障害者就労の形を創造する。高知での活動を経て、全国各地にモデルになる就労を創るため、2015年4月より現職。

 

武田緑ー一般社団法人ユアプラス代表理事。ピースボードGlobal Teachers Collageコーディネーター。教育視察ツアーイベント企画・コミュニティスペースの運営など、子どもや教育に関わる人多に向け学び・つながり・エンパワメントの<場作り>に取り組む。社会的マイノリティを含む様ざまな背景を持つ子どもたちが「自分でいられる」学校や社会をつくるために教育者にアプローチする活動をしている。

 

遠藤まめたー『やっぱ愛ダホ!dahonet.』代表。トランスジェンダー当事者としての自らの体験をもとに10代後半よりLGBT(セクシャルマイノリティ)の子ども・若者支援に関わる。共著に『思春期サバイバル10代のときって考えることが多くなる気がするわけ』(はるか書房)ほか。

 

石川良子ー社会学者。松山大学人文学部 社会学科准教授。著書に『ひきこもりの<ゴール>「就労」でもなく「対人関係」でもなく』

 

 

 

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