「ひきこもりについて考える会」との出会い

 

林:それでちょうどこの同じ時期に実はこの本(『私がひきこもった理由』)があったり、「ひきこもりについて考える会」に出会うんですね。

 

 

 

杉本:2000年ですか?

 

 

 

林:99年ですね。99年の11月に「考える会」に初めて行きました。それでここでの出会いも私にとってすごく大きな転機。

 

 

 

杉本:なるほどねぇ。

 

 

 

林:なので、ここでの出会いが先生の不在も支えてくれました。

 

 

 

杉本:ああ~、「考える会」が。

 

 

 

林:はい。で、2000年のいつなのかなあ?2001年なのかしら。泉谷先生、帰ってこられて。で、先生は元の病院に戻られなくって。

 

 

 

杉本:自分で始められた?

 

 

 

林:はい。で、そうすると先生からはもう前のように薬を使わずにカウンセリング専門でやると。で、ついては自費診療になる。で、それは高額。

 

 

 

杉本:そうですか。保険が利かないんですね。

 

 

 

林:なので、それは私にとっては経済的な意味でももうしょっちゅう行くということはできなかったんですね。

 

 

 

杉本:ええ。

 

 

 

林:で、そのできないというどうしようもない理由と、もうひとつは先生がパリに行って帰ってきたら、バージョンアップして帰ってきちゃたんですよ、先生(笑)。

 

 

 

杉本:なるほど。

 

 

 

林:いまの先生がその先生なんですけど。

 

 

 

杉本:うん、うん。

 

 

 

林:何かそのバージョンアップして自信に満ちた先生を見てたら、何かこっちまで元気になっちゃって。不思議なんですけど。私その後結局先生とのカウンセリングが3ヶ月に1日とか、半年に1回となって。

 

 

 

杉本:それで構わないと。

 

 

 

林:はい。その後6回くらいで終了になったんですね。

 

 

 

杉本:うん。そうか。そうすると泉谷先生ももちろんバージョンアップしたということがあるんでしょうけど、林さん自身ももうだいぶその頃には成長というのでしょうかね?自分自身で自分のことをどうにかできるようになってきた。つまり依存というか、「先生サポートお願いします」というように、全面的に預けるという状況ではなくなったんでしょうね。もちろんそれはパリに行ってしまうということがひとつ。一回切られるということを引き受けなくちゃいけないということですよね。林さん自身それを引き受けなくちゃいけないということもあったんでしょうけど、でもそこは完全に切られるんじゃなくて、林さんの中でこころのやりとりは続くということがあって。で加えて、「ひきこもりについて考える会」。その場との新しい出会いもあった。

 

 

 

林:そうですね。

 

 

 

杉本:別の依存先も、もうひとつできたということで。

 

 

 

林:そうですね。ですから私のひきこもり、自分のひきこもりというのを考えたときにやっぱり両輪があったという風に思うんです。回復にはね。それはやっぱり泉谷先生とのカウンセリングと「考える会」だと思ってるんですね。

 

 

 

杉本:うん、うん。

 

 

 

林:で、この先生の一輪しかなかったところに「考える会」が来てくれることによって両輪になった。これは私にとっては非常に大きなことですね。

 

 

 

杉本:本当ですね。32歳くらいですか?考える会との出会いは。

 

 

 

林:33歳ですね。

 

 

 

杉本:なるほど。泉谷先生の話は本当によくわかりました。次に話を「考える会」に移行させたいと思うんですけど。これはもう、設立当初から林さん、かかわってたんですか?

 

 

 

林:ええっとですね。設立がたぶん6月くらいなんです。ですから、もう始まってたんですね。

 

 

 

杉本:とはいえ、そうとう初期メンバーですよねえ。

 

 

 

林:まあまあ確かにそうですね。それはどうしてそうなったかというと、先ほど話した不登校界隈。

 

 

 

杉本:あ、ご免なさいね。そこでね。「ひきこもりの自分だ」という風な自己規定はオーライトだったんですか?そのとき。

 

 

 

林:そこ、そこなんですよ。

 

 

 

杉本:うん。そこらあたり、その時期に98年か齋藤環さんが『社会的ひきこもり』(PHP新書)を書いて、石川良子さんの本なんかによるとひきこもり当事者会みたいなものを含めてブームのようなものがワッと起きたようなんですけど、その中で林さんは自分はひきこもりなんだと思ったんですか?

 

 

 

林:そうそう。そこがですね。先ほど言ったいわゆる不登校界隈というか。

 

 

 

杉本:ええ、界隈ね。

 

 

 

林:その界隈から抜けましたよね?で、その後に仰ったことが起きていくわけですよ。ちょうどその時期に朝日新聞で塩倉裕さんという記者のかたが。

 

 

 

杉本:ああ!はい。

 

 

 

林:連載をしたんですよ、ひきこもりの。それを読んで「あ、これは私だ」って。

 

 

 

杉本:(笑)なるほど、やっぱり。

 

 

 

林:で、私、手紙書いたんですよ。塩倉さんに。「私、自分のことだと思う」って。ようやくわかった、自分に何が起きているのかと。そしたら塩倉さんから電話がかかってきて、そのお話を記事にしてもいいですか、という話があって。で、結果的にそれは記事にはならなかったんですけども、塩倉さんという方を私は知ることができて、それから後に1999年に塩倉さんが連載をまとめた本を出されたんですよね。その本の出版記念会が青山で行われると。そう聞いてそれに私、行こうと思って行ったんですよ。そしたらそこで最後に塩倉さんがせっかくのこれだけのたくさんのね。当事者やご家族の皆さんが集まっているのだから、ぜひみなさん隣同士の人と話をしてつながってください、と仰ったんです。そのとき私、隣に座っていた私よりちょっと若いくらいの女性に声をかけたらたまたま同じ実家、私、東京の三多摩地区なんですけど、同じ市内の人だったんですよ。偶然にも。で彼女が「考える会」というのが実は東京に出来ているので、一緒に行ってみませんかと言ってくれたんです。

 

 

 

杉本:ああ、そういうことがあったんですね。

 

 

 

林:はい。だから塩倉さんの講演会が10月くらいだったのかな。そこでもう、すぐ行ってみようと思い、行ったんです。

 

 

 

杉本:その女性のかたも?

 

 

 

林:来られました。でもその彼女は数ヶ月来たまま来なくなって、ちょっといまはどうしてらっしゃるかわからないんですけど。そこで初めてOさんという「考える会」を立ち上げられた人に出会ったんです。

 

親御さんのかたなんですけど。

 

 

 

杉本:親御さんなんですね、はい。

 

 

 

林:子供さんがひきこもっていて、当時ひきこもりという情報はほとんどなかったので、じゃあひきこもりとは何なのか?と。それを考えたいということで「ひきこもりについて考える会」というのを立ち上げたんですね。そこは当事者、親、それからいわゆる支援者の三者が対等な立場で話し合いをする場であるというのが唯一のルールなんです。

 

 

 

杉本:ええ。

 

 

 

林:で、これがいま「新ひきこもりについて考える会」につながっている。

 

 

 

杉本:「新ひきこもりについて考える会」に変わったのは何年後くらいでしょうね?

 

 

 

林:2005年くらいかなあ?2004年くらい?

 

 

 

杉本:あ、じゃあ「ひきこもりについて考える会」は4~5年?

 

 

 

林:5年くらいですかね?もしかしたら。調べたらわかると思いますけど。

 

 

 

杉本:で、林さんとしては「ひきこもりについて考える会」はほぼ皆勤で?

 

 

 

林:ここからはそうです。ほぼ「新」になるまで。Oさんが辞めるまでは皆勤じゃないですかね。

 

 

 

杉本:ざっくりでいいんですけれども、こう「惹きつけられる」というか、ここが自分の居場所になると思えた理由は何でしょう?

 

 

 

林:そうですね。やっぱり一番大きいのは当事者と出会えたということですよね。同じ経験をした人で、意外と不登校界隈に至る当事者たちとひきこもり当事者の人たちとちょっと違うんですよ。で、すごく乱暴に言うとひきこもり当事者の方がいろんな意味でハード?

 

 

 

杉本:そうですね。ハードコアかもしれません。

 

 

 

林:ハードコアでした、非常に。少しびっくりもしたこともありますけど。でも、あんまりそこは気にならなかったですね。

 

 

 

杉本:そこは10代の時に出会った「青春期内科」のときのショックとはもう大分質は変わってきていましたか?

 

 

 

林:そうですね。

 

 

 

杉本:そこら辺に関するナイーヴさは(苦笑)。もうだいぶ払拭されてる感じ?

 

 

 

林:そうですね。はい。

 

 

 

杉本:10代の頃はおそらく拒絶反応はあったでしょうけどね。

 

 

 

塩倉裕―朝日新聞社記者。著書の『引きこもる若者たち』『引きこもり』は、ひきこもり当事者を取材した貴重な本として有名。

 

 

 

 

 

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