不登校になったきっかけ

 

杉本:なるほどわかりました。不登校新聞のありように関しては。で、ここから少し石井さんの不登校に至るあたりのことをお聞きできればと。『心配しないで不登校』(講談社)という本を見つけてアマゾンで購入しましてですね。ここで非常に詳しくいろいろと書かれていて。いやあ~読みました。凄い、これ、ご自分で書かれた?

 

石井:もちろん。

 

杉本:文章も達意だなあと思って。で、やっぱり元々は進学校、進学中学校に入りたいってことで進学塾にも通われていたようですね。

 

石井:そうです。

 

杉本:やはり小学校の時から、優等生だったんだなあというのがありましてね。やっぱり、地頭はいいんだろうと思うんですよね。

 

石井:いや~。

 

杉本:で、いいだけに、気づいちゃうっていうか。色々納得いかないこととか。条理に合わない、道理に合わないこととかがあって。で、中学校の時に不登校に至るようなんですけど。

 

石井:そうですね。

 

杉本:どういうふうなことが不登校のきっかけになったという風に思われますか?

 

石井:そうですね。これ、自分でちゃんと本に書けているのかわからないんですが、私自身が進学塾に通い始めるのが一つポイントになってまして。私の母親は自分自身が大学へ行って人生が豊かになった、人生が救われたという感覚が強かった人です。

 

杉本:お母さん自身が。

 

石井:そうです。それまでは、つまらなかった生活だけれども、大学で救われたって思いがすごく強かった。なので、私にもよく大学は「いいよ」という話はしてくれていたんです。ですから私自身も大学には行くもんだな、と思っていたんです。で、何かぼんやりそう思っていたことが塾へ通うようになって勉強に対する取り組みは本格化します。つまり大学へ行くならそもそも私立中学校に行かなくてはいけない。そのために、小5から塾へ通い始めました。非常にスパルタなところで、そのストレスもあって、私は塾帰りに万引きを始める、というのが起きてきました。

 

杉本:小学校の時から?

 

石井:ええ小学校の時ですね。

 

杉本:万引き?

 

石井:そうです、小学5年生。塾へ通い始めてからすぐではありませんが、6年生になったころは、かなりひどかったと思うんです。ほぼ毎日、ひたすら万引きし続けた記憶があります。

 

杉本:石井さん自身が万引きを?

 

石井:そうです。

 

杉本:へえ~。

 

石井:で、あの~、何とかという、窃盗癖に近い感じだったんでしょうか。

 

杉本:そういうのがあるんですか。

 

石井:これが欲しいとか、取ったらすっきりするとか、そういう願望で万引きしていたわけではないんです。万引きに対する感情は何もなく、ただただ習慣化していました。当時の写真を見ると、本当にただの子どもには見えるんですが…。

 

杉本:ええ。

 

石井:当時のことでよく覚えているのは、お店に入ってからのチェックです。このお店は、防犯カメラがついているのか、防犯鏡だけがついているのか。防犯体制をチェックして、盗れる状態であれば盗る。これをずっとくり返していた状態でした。。

 

杉本:ふ~む。

 

石井:そんな万引き癖には、親も教師も、当然、塾の教員も気がつかず、私はずっと塾でスパルタ教育を受けてきました。塾は週に4回。3回は授業で、土曜日がテスト。テスト結果によってクラスの席順が決まります。ある日、先生が、クラスの中央ぐらいに立って「ここから下の成績の人間には人生はない」って言ったんですね。

 

杉本:(笑)ひどいね。

 

石井:中央値あたりから下の成績をとった人には人生がないと言われたのは、私もすごく恐怖心を覚えました。恐怖心はあったのですが、その一方で気がついたのは、授業のわかりやすさです。こんなにも公立小学校と、進学塾のあいだに授業スキルのちがいがあるのかと子ども心に思ったのを覚えています。もちろん、そのころに通っていた、つまり小学校5年生から6年生ぐらいの小学校の担任は、すごくいい先生だったんですね。唯一、学校が楽しかった時代かもしれません。やや複雑なので、まとめますと、塾や学校では楽しさや勉強への手ごたえを感じていました。その一方で、恐怖心を煽られ、ストレスを感じ、万引きなど自分自身をコントロールできない状態に入っていました。勉強をすることや学校が楽しいなど、「いいことずくめ」の状況に自分がいるのに、ストレスを感じている。なにが自分に起きているか、わかっていなかったんでしょうね。結果的には、言葉にできない心の闇を抱えるようになっていったんだと思います。ですので、中学校受験をめぐる一連の流れが、不登校に至る前の大きな爆弾というか、大きなネックになりました。その後、中学校受験に失敗し、公立の中学校に通うことが決まりました。もうそのときは額に負け犬とレッテルを貼られたような・・・

 

 

 

強かった負け犬感覚

 

石井:人生を失ってしまったという感覚でした。校則や年功序列など不条理なことに対して非常に腹が立ったんですが、それよりも、その腹が立つ原因は自分が負け犬だからだと。受験に失敗したからなんだっていう思いを強くさせたんだと思います。ただ、それを言葉にすることはできませんでした。言葉にできず、色んな感情が自分の中で渦巻いてしまうんですね。自分は負けたとか、こんな中学校はおかしいとか、一貫性のない感情や思いがあふれかえって入り乱れていく。その後、不登校をしましたが、感情が入り乱れていることを収拾することに10代を、丸ごと使ったんじゃないかなと思いますね。

 

杉本:なるほどねぇ~。

 

石井:不登校したのは、あの~、入り乱れた気持ちがバツンと折れたってのが。友人と大阪に行こうなんて話も言ってましたけど、不登校でどうしても学校に行けなくなって、学校に行かなくなるんですが、通いはじめた東京シューレでは、何ていいますか。自分の混乱した感情というのを「鎮める」じゃないですけども。

 

杉本:うん。

 

石井:そこにほとんど10代をぜんぶ使っていたのかなと思います。

 

杉本:そうですか。そうするとどっちかというと石井さんは自分自身の問題を抱えている感じが本当のところとしてあったんですね。

 

石井:そうですね。10代の際に言葉にしていたのは、やっぱり表面上ぶつかっていた学校とかですけどね。

 

杉本:そうですね。

 

石井:本当に酷かったと思うんです。あの学校も。

 

杉本:中学校ですね?

 

石井:中学校ですね。先生が友人を殴ったり、いじめも流行っていたり。

 

杉本:う~ん。

 

石井:私自身、いじめられることもいじめに参加することもありましたし、気のいい友人が身体障がい者の子を階段から蹴り飛ばしたのを目撃したこともありました。

 

杉本:あら!まあ~。

 

石井:何が起きているのか、わからなかったですね。

 

杉本:うんうん。

 

石井:学校にはいろんな思いがあるんですが、そもそも受験からスタートしてきた心理が…。

 

杉本:小学校の時から感じていた…。

 

石井:受験失敗と中学校内の不条理が、自分の心の二重構造をつくっていましたね。

 

杉本:そうですか。う~ん。いや、すみません。ありがとうございます。そういう背景があったということを初めてお聞きしました。

 

石井:いえいえ。

 

杉本:う~ん。プレッシャーだったんでしょうね?やっぱり。

 

石井:うん。そうだと思いますね。

 

杉本:私は札幌在住ですが、おそらくまだ札幌は私立中学もほとんどないですしね。かつ、公立高校がやはり強くて。私立の中学校も増えているとは思うので、事情はよくわかんないんですけど、ただ東西南北高校っていうのがあるんですね。この4つの高校が進学校として公立では有名で。まあ、戦前からの歴史もある。昔の旧制中学からの歴史もあるのでそこを優秀な子は目指すというのがあって。もちろんそのための進学塾もたくさんあるわけですけど。やっぱり、東京の子どもたちは中学からだから、「早いなあ」と思いますね。学力がある進学する子どもたちも大変だよなあって。

 

石井:クラスの3分の1ぐらいのこは、受験で私立中学校へ行ってました。

 

杉本:3分の1!

 

石井:はい、確かそうだった気がしますね。で、これは小学校6年生の時じゃなかったですけど、その前にゼミナールとか、短期に塾で勉強する人はもっと多かったと思います。

 

杉本:ええ。

 

石井:小学3、4年生の時の担任の先生はは、名指しで塾へ行く人を嫌がっていましたね。「なんで塾に行った、そんなの行く必要ない」みたいなことを言うような先生でしたが、実際は結構な人数が行ってました。ああ、あの子も、この子も行ってるのかっていう感じで(笑)。

 

杉本:ただどうでしょう?そうは言いつつ今のお話伺うと石井さん自身はやっぱり…。

 

石井:いやあ。かなりきつかったと思いますね。

 

杉本:きつかったんだろうなぁ。

 

石井:なので、塾の競争煽るようなやり方に親子ともどもはまってしまったっていうのが、大きなポイントだったと思います。客観的に見てみて、「あの塾、ちょっとおかしいんじゃ?」という人がいなかったんでしょうね。

 

杉本:だから大きくなってくれば、同時に学校に対する神話が大きくなっていくんでしょうね。

 

石井:そうですね

 

杉本:そういう風に勉強をする、まあ勉強する王道はやっぱり学校であり進学校でありということで、最終的には一流の国立大出、東大出みたいな。そういうエリートコース、上昇志向みたいな。

 

石井:そうですね。

 

杉本:線路でこう、ダーっと走っている。新幹線で走るんだ、みたいな。そこにやっぱり相当手痛くやられたなあという感じですかねえ。

 

 

 

あぶり出された少年の心の闇

 

石井:そうですね。当時を振り返ると私と同じ82年生まれに、少年Aの酒鬼薔薇事件の元被告がいます。

 

杉本:あ、同い年なんですか。

 

石井:はい。で、彼だけではなくて、じつはその後に続く17歳で西鉄バスジャック事件を起こした子も実は同い年で。

 

杉本:う~ん、そうなのか。

 

石井:秋葉原事件の加藤被告も同い年。

 

杉本:そうですか(笑)。

 

石井:82年生まれってなぜかエポックメイキングなんですよ。で、そもそもの話のテーマとしては酒鬼薔薇事件の彼です。事件直後から、なぜ子どもたちは「心の闇を持ったのか」というような報道が相次ぎました。

 

杉本:言われてましたね。

 

石井:裏を返すと「ふつうの子は心の闇を持っていない」という感覚の表れだと思うんです。あえて、「いつ心の闇を持ったのか」に注目したということは、「ふつうは心の闇を持ってない」という意識があるからですよね。子どもの心に「闇なんかない」という意識でつくりあげられてきた教育や学校の対応に、私はとっても苦しめられてきたんじゃないかなと思うんです。

 

杉本:う~ん、いや本当ね。思春期は闇なんですよ。

 

石井:(笑)そうなんですよ。思春期って、揺らぎとか苦悩とか、そんなんばっかりでしょ。

 

杉本:毒がね、あの~、どうしたって吹き出ててくるから。それに対して、一生懸命自分の中でそのエネルギーを閉じ込めよう、閉じ込めようとしちゃうと俺みたいになっちゃって(苦笑)。かつ、高校辞めるなんて。で、大学しかないんです。これも林(恭子)さんと共通項の話なんですけども。

 

石井:うん、うん、うん。

 

杉本:サラリーマンの家で育ったし、私の家の周りは国鉄。当時JRになる前の国鉄の出身の子が非常に多かったんだけど、あまり接点ないし、こちらははサラリーマンだったから両親とも。だからそれしかないんですよね。友人関係も付き合いも狭かったから。だから目の前本当に「バターン」とシャッターもおりて。でもね。私も色んなこともう忘れちゃってるっていうか記憶から消去しようとしちゃったのかもしれないんだけど、ただいずれにしても、それを挽回したいと思って20歳に大学に行った時に人間関係の再構築ってことをしたかったんですねえ。だから再構築する相手を間違えて宗教団体だったということで(苦笑)。

 

石井:(笑)。

 

杉本:そこで二度目のドロップアウトが始まるんですけど。でも今日横浜で会うメンバーさんもそうですけど、一回こう、立ち直るんだけど、またもう一回落ちるっていう…。

 

石井:うん、うん。

 

杉本:不登校から戻って学校へ進学したけど、やっぱりひきこもったって人が多いから。

 

石井:う~ん。     

 

杉本:あの~なかなか簡単じゃねぇなぁ、この10代、20代っていう時期は、っていう。そこがね。スムーズに行けてる多くの同世代の人間は何だか凄いなって話だけども。でもね、まあ僕も50代だから。けっこう同級生とか、うまく世渡りできた子どもがね。その後どうなっているかはわからないですけどね。

 

 

 

取材というカウンセリング

 

石井:ふり返ってみれば僕はずっと働いてきました。ただ働いているという感覚よりも取材で救われたという感覚が大きいです。

 

杉本:あ~!はい。

 

石井:しかも業績を上げろとかそんなことは求められずに自分が取材したい人にばかり会いに行ってたので、いいカウンセリングをずっと受けてきたような気がするんです。

 

杉本:それはとてもよくわかります。僕も同意ですね。そも石井さんも仰っていたと思うんだけど、やはりインタビューって非日常的なセッティングじゃないですか。やっぱり日常の雑談モードとか、人がたくさん集まっているところで仕事をやりながら、雑談して一日を終わるということは今でもちょっと僕はなかなか難しいところがあるから、こういう非日常的なセッティングで、お相手のかたの内実みたいな話を聞いたりするっていうのが凄くいいんですよね。自分自身の精神衛生にとって。

 

石井:本当ですよね。

 

杉本:僕は一貫して死にたいと思ったことはないんですけど、ただやっぱり落ち込むときは落ち込むので、ネガティブ思考みたいなのがどうしてもついてまわるんですけど。今でもやっぱりあると思うんですけどね。自虐的な精神みたいなものが。でも、随分人って信頼できるもんだなあって思えるようになりましたね。そうとう遅いですけど。

 

石井:そうですね。

 

杉本:吉本隆明さんが言う、みんな精神的な障がい持っているっていうのは、ぼくは非常に違和感がないっていうか。本当言うと僕のカウンセラーも、「みんな神経症なんだ」って随分前から言い切っていたのでね。特別視はないんですよね。

 

石井:そうですね。今になってみると本当にその通りだなって思います。

 

杉本:そうだよね~(笑)。

 

石井:ただ当時の2001年に聞いた時は本当にびっくりしたんですね。

 

杉本:ええ、ええ。まだ若いですしね。

 

石井:これほど精神薬の話をする15年後になったのは、ちょっと想像できないですよね。

 

杉本:ああ~。

 

石井:「メンヘラ」や「コミュ障」という言葉が、若い世代を中心に広がっていますが、私が10代だった90年代よりは社会が持つ「精神」への感性は多少まっとうなものになったと思うんです。さきほどの酒鬼薔薇事件では「なぜ子どもは心の闇を持ったのか」と議論していましたが、「そんなの誰にでもあるよ」という感じで、言葉が流布されていってますからね。

 

杉本:そうですよね。70年代、80年代の頃っておそらくそういうものが社会全体で覆い隠されていたし、また覆い隠すこともバブルまで覆い隠せていけたっていうところがあったと思いますね。物質的な面で充実が得られればごまかしがきくっていいますかね。そういう自分の中に抱えてる闇。闇って言葉もちょっと陳腐かもしれないんだけど、内面にあるモヤモヤしているものとか、自分ってどうなの?社会ってどうなんだ?みたいなことを。きっとあるはずなんだけど、ないことにしてしまうっていうことはね。とはいえ、今でもあんまりそういう話は普通には流通していないようですけどね。

 

石井:そうです。当時、けっこうひどかった気もします。ちょっとうろ覚えなんですが、当時、映画で『刑法第三十九条』(99年作)という映画がありまた。ストーリーは罪を犯した人が、心神喪失者を装って減刑を求めていく、というのが主な内容です。「心神喪失者ならば減刑していいのか?」というメッセージをはらむ映画でした。厳罰化が騒がれていた時代ですから、いまでも政治的なメッセージを感じざるをえません。精神障がいなどに理解の薄い方がつくられたのではないかという思いもぬぐえません。ただし、一方で、「人の心のなかはわからない」というある種の美徳が底辺に流れている映画だと思うんですね。

 

杉本:そうねぇ。

 

石井:いまだと「心のケア」や「メンタルヘルス」という言葉が一般化していますが、そこには「精神だってコントロールできるよ」というメッセージを感じます。科学的に「精神は解明できる」というメッセージも感じる。「心のケア」や「精神衛生上」なんていう言葉がなければ、心の問題にも気がつけないのですが、なんだか「コントロールできる」とか「解明できる」みたいな姿勢は、やや違和感を感じるんですね。

 

杉本:それもどうなのかな?ていう感じですね。

 

石井:そうですね。

 

杉本:僕も最近ちょっと思い始めています。確かに統合失調症の人っていうのは一定程度出るっていうふうに言われていて、基本的に僕もそれは信じているというか、まあ実際見てきてもいるので。それはあるだろうなと思うんです。

 

石井:実際薬が効くというのもありますしね。

 

杉本:うちのお袋もだんだん認知症じみてきたので、やっぱり高齢とともにどんどん劣化も始まるっていうこと。それは確かに正常性ってことからの逸脱はあるんだろうと思うんですけど、ただその、「ココロ系」みたいな話とか「メンタル系」の話になると果たして?っていう。凄いそこのボーダーは広いなあていう感じですよね。ひきこもりの話しかり、不登校もそうだし、この人たちを病気っていう風にはちょっと言えないのではないかと。

 

石井:う~ん。

 

杉本:とりあえず行くところがないので僕もね、十代の行くところないから行ける場所ったら精神障がいの人と一緒にデイケアをみたいな形ではありました。さすがに今はそれはないとは思うけど。でね、まあ話が飛んで申し訳ないんですけど、そうは言いつつ、今不登校の子も。

 

石井:あっそうですね。

 

杉本:、フリースクールとかに通ってる子は少ないんですよね?全体の?

 

石井:不登校全体の3%

 

杉本:3%!じゃあ97%の子は、これは丸山康彦さんにも聞いたことなんですけど、基本あれなんですよね、自宅が拠点?

 

石井:たぶん、そうですね。

 

次のページへ

 

    5