「労福会」の成り立ち

 

杉本 結局路上生活というのは本当に「ないない尽くし」の状況で寒風の中に出て行ってしまう人だから、本当に福祉でもあまりに手立てが少なすぎて大変だと言うことに加えて、かつ、現状で完全な路上生活ではなくて、いわば困窮者支援制度が本来やるようなレベルの問題も相談として入ってきていると。それを「やろう」という学生さんだといろいろレアな経験値とかキャパシティとかがあると思うんですけど。山内先生はいつくらいから関わりを?

 

山内 僕はもう完全にそういう流れとは違うんですね(笑)。立ち上げされた時は。

 

杉本 99年くらいですか?

 

山内 はい。その時に学生だったんです。立ち上がる前ですけど、教育学部の授業の中で社会調査の実習みたいな授業があって。椎名先生って労働問題専門の先生ですが。「産業教育」という講座があったんですけど、その椎名先生の授業でホームレスについて取り上げたんです。その先生がたまたま教員宿舎に住んでいて、その通勤途中に当時「エルムの里公園」といって、札幌駅の高架下の大原専門学校とかあるあたり。あの向かいあたりにテント村があったんですよ。

 

杉本 え?

 

山内 むかし。

 

杉本 そうだったんですか。それは知らなかったです。

 

山内 一時期定住しているホームレスがいた時代があったんです。椎名先生はそこが気になったみたいで。じゃあそこを調査してみようと。で、学生と一緒に授業で彼らの社会調査などをさせてもらった。僕はその時は関わっていなかったんですけれども。当時4年生の時だったかな?それは1年生の授業の中でやったんです。

 

杉本 1年生を対象に。

 

山内 その1年生の中にちょっとイキがいいのがたまたま何人か入っていて、面白がっちゃって。もうちょっとやりたいという話になった。そうすると椎名先生ひとりだとちょっと労働の話になっちゃうということで、福祉のほうの先生も必要だと。そのとき北大の教育学部にちょうど杉村先生という人がいて。

 

杉本 ああ~。杉村宏先生ですか。

 

山内 その杉村先生と一緒にやる、みたいな。僕はその時杉村ゼミだったんですよ。

 

杉本 ああ、なるほど。

 

山内 それで調査をするという話で。で、調査員として「山内、お前も来い」という話になって(笑)。

 

杉本 その時はゼミ生ですか。

 

山内 そうです。それで引っ張られて別にホームレスに興味があったわけではなくて、言われるままに行ったのがきっかけなんですよね。それで調査をしたあとにやっぱりイキのいい1年生たちがお礼をしたいみたいな話になって、ホームレスのおじちゃんたちにお礼をしたいと。じゃあ炊き出しをしよう、みたいな話になったんですよ。その炊き出しをしようという提案、じゃあやろうかみたいな話になってね。まあ、盛り上がったんです。それを道新の記者さんがかぎつけて、炊き出しをする前に記事にしたんです。北大生がホームレスの人たちに炊き出しをする。ちょうど12月だったので。「クリスマスプレゼント!」みたいな見出しでバーンとやった。そしたら反響がけっこうあって。それは右と左というか。「偉いな。頑張ってね」というのと、その逆ですね。「どういうつもりだ」と。「社会のゴミに」みたいな。それが手紙でバァ~ときて。それを僕らに全部見せて。もう引くに引けない、みたいになっちゃって(笑)。

 

杉本 やらざるをえなくなっちゃった。

 

山内 それでやったんですね。やって、それは当事者のおっちゃんたちが喜んでくれたんですけど、「これ、1回こっきりじゃないんだよね?」と言われて。

 

杉本 おおぅ。

 

山内 「おお」と。

 

杉本 (笑)。

 

山内 で、「労福会」ができた(笑)。

 

杉本 なるほど。それが会ができた経緯なんですか。

 

山内 で、僕がたまたまその時に4年生で。修士に行くつもりで大学院生になって、「仕切ってくれ」ということになって。もう腐れ縁みたいな。

 

杉本 すると学生時代の設立2年目からずっと?

 

山内 そうですね。その間、僕は帯広で仕事していた時代もありましたけども。大学院の途中で帯広の短大に就職が決まって。ちょっとそちらに行ってました。で、また戻ってきて、また関わったと。

 

杉本 そうですか。事務局長は学生自身がやり、トップは教員がやるというのはもう最初からそういう流れですか。

 

山内 そうです。1年通してやった最初は僕ですね。その立ち上げから年度替わりくらいまで事務局長さんという形でいま広島大学にいるんですけど佐々木さんというかたが。当時は僕の先輩の院生だったんですよね。その人がちょっと学生のトップをやってて。そのあとに僕がやりました。

 

杉本 じゃあ学生トップと教員が一緒に運営をするとい形態も最初から?

 

山内 そうですね。だから会が立ち上がって、会の名前をどうする?となって、産業教育という労働のゼミと、福祉のゼミだから、「労働と福祉を考える会」にしようと(笑)。

 

 

 

最初に関心があったのは障がい者の自立生活

 

杉本 なるほど。杉村先生というのは当時から、割と早い時期から貧困研究をされている先生ですよね?

 

山内 そうですね。

 

杉本 では、山内先生も最初から貧困問題には関心があって?

 

山内 いや。まあ関心はあったんですけども、卒論は僕、障害者問題だったんです。自立生活の研究をやっていて。これは教育学部なんですけど、変わったゼミといいますか、子どもではなくていわゆる重度障がいを持ってるんだけど、施設や家族と暮らさないで、ひとり暮らしをしたいという自立支援の活動で。そこのボランティア活動を僕はずっとやっていたんですね。それもあって何か障がい者の自立生活問題に関心がすごくあって、卒論もそっちの方をやって、という形だったんですけど。

 

杉本 そうすると、障がい者福祉ですか?

 

山内 はい。そっちのほうをやってたんですけど。もうこちらのほうに引っ張られて結局いまはホームレスのことやってしまうことになっちゃって(笑)。

 

杉本 いまもそうすると、障がいの自立支援のほうも仕事してされてらっしゃるんですか?

 

山内 いまはほとんどこちらの方だけになっているんですけどね(笑)。

 

杉本 ああ~。そうでしょうね。

 

山内 ははは(笑)。

 

杉本 相当時間を奪われるでしょうね。

 

山内 ええ、まあ。

 

杉本 教える仕事もあるでしょうし。

 

山内 そうですねえ。

 

杉本 そうするとボランティアの学生さんも、随時いろんな人を見ながら、という。

 

山内 そうですね。まあ、入れ替わり立ち替わり。

 

杉本 山内先生が労福会のトップになられたのはいつくらいなんでしょう?

 

山内 4年くらい前かな。

 

杉本 2013年くらいですか。

 

山内 2012年ですかね。直近は札幌学院大学の島田先生というかただったんですけど、サバティカルか何かで外国に1年行かなければならなくなったんですね。で、その時にはもうほとんど来れてなかったんですよ。労福会の代表だったけど、そろそろいいんじゃないですか?と(笑)。

 

杉本 なるほど。そうすると山内先生が今後も(笑)。

 

山内 そうですね。ただもう実際こういう状況だからいつまで続くかみたいな感じもあるかな、と。まあ僕はちょっと楽観視はしてるんですけど。

 

杉本 楽観視とはどういう?

 

山内 最終的に学生がいなくなってもまあ、細々とやっていけるかなと。

 

杉本 そうですか。

 

山内 まあ、「今後どうして行く?」みたいな議論もしなくてはいけないよね、とは思うんですけど。

 

杉本 じゃあ支援活動は今後もどうあれ続けていくと?

 

山内 そうですね。何かやめる理由ももうないなと(笑)。

 

杉本 (笑)。

 

山内 ははははは(爆笑)。

 

杉本 やる気満々ですか?

 

山内 やる気満々というか、腐れ縁かな(笑)。

 

杉本 腐れ縁ですか(笑)。

 

山内 はははははは(爆笑)。

 

杉本 ははは(笑)。ああ~。でも頼もしいですよねえ。

 

山内 そうですね。でも学生と一緒に過ごすのが好きなので、だいたい夜回りとか行ったあと飲みに行くんですよ。そこでああだこうだと話をしていて。そういうのを楽しみにやっている所も確かにあるかな。

 

 

 

学生たち

 

杉本 でも本当ね。さっきの話で思いましたけど、学生生活謳歌の落差にいろいろ思う所があったという学生さんの話ですけど。一般の学生さんに対して違和感が生まれる。問題意識が高いということはなかなか大変ですよね。いい意味での問題意識の高さということが、世間の空気感といまひとつピントが合わないという所。う~ん、何といったらいいんだろうなあ。ちょっと世間に対して残念感はありますよね。

 

山内 うん。そうですよね。いや、だから労福会の学生を見てると何か麻痺しちゃうんだけれども、これ、一般的な学生の感じじゃないんだよ、という。ははははは(笑)。

 

杉本 ははははは(笑)。でもこういった短大に教えに来ればそれはそれで、肌合いの違いを感じるでしょう?

 

山内 まあそうですね。女子短大なんてあんまり接点がないというか。

 

杉本 そうですよね。女性しかいらっしゃらないんでしょう?この短大には。

 

山内 はい。

 

杉本 ですから、女の子を教えているわけですよね。

 

山内 そうですね。

 

杉本 先生自身はその空気感の違いをなんとも思いませんか(笑)。

 

山内 なんでしょう。う~ん。短大生の屈託のなさというか。無邪気さというか。それはそれで微笑ましくも思うんですけど、こういう言い方をするとあんまりよろしくないかもしれないですけど、たぶん短大にいる子たちの感覚のほうが世間一般に近いだろうなと。同時に彼女たちの何と無自覚なことかと(笑)。やっぱり思うわけですよね。それは授業でこういう問題の話をしたりするんですけど、なかなかやはりウケは良くなかったりはするんです。保育園で働きたいとか、幼稚園の先生になりたいという子たちなので。やっぱり貧困とかはね。そういう問題に対する関心の低さみたいなものは僕の授業が面白くないだろうというのもあるんですけれども、でも、たぶん彼女たちみたいな子の何割かはしんどい生活になっちゃう子もいるんじゃないかなあ?と。何かそんな風にも見ちゃっていますね。

 

杉本 あとまあ、幼稚園の先生とかは経済的な余力がある家の子を見るということも多いでしょうけど、例えば保育士なんかになったりするような子の中には経済的にね。あるいは働きたいけどなかなか大変というご家庭もみる。まあそれがどれだけ、授業を受けて何かを感じた子たちのうち、のちのち構造的な問題みたいな所にまで気にかけてくれるような子が出てくるかも……。

 

山内 いやあ、ね。そういうことを期待しながら、いちおう一生懸命やってはいるんですけど(笑)。

 

杉本 卒業した人の子から連絡とかはありますか?

 

山内 そうですね。たま~にですけど。

 

杉本 先生の話で聞いたことが現実に、みたいな(苦笑)

 

山内 ああ。何か養護施設に働いている子もいるんで。そういう子たちは元々そういうことに関心があったと思うんですけど。

 

杉本 やっぱりある程度いるんでしょうね。そういう福祉マインドのある人。まあ元々そうですね。保育とかに生きたいと思ってる子であれば優しい子たち。

 

山内 うん。まあ優しくて子ども好きだから「親バッシング」に走りやすいのもありましてね。「可愛い子に何てことするの」みたいな風になっちゃうとそこはそういう風に捉えちゃったら親も子どもも救われんでしょうと言うわけですけれども。

 

杉本 うんうん。いや、本当にね。大人の世界的な授業だから、若い人、18から20くらいの期間にこれを聞いてすぐ納得するというのはないかもしれませんけど。のちのち、ふと思い出してということが。

 

山内 そうですね。思い出してくれればいいんですけど(笑)。

 

杉本 考えてみれば、僕も授業を思い出したことなんてあったかな?という(笑)

 

山内 僕の授業で思い出すことなんてあったっけ?みたいな(笑)。

 

杉本 いやでも、本当に無邪気なんだろうなあって。そういう気がしますよね。だから腹も立たないでしょう?

 

山内 たまには腹もたちますけどね(笑)。「ちゃんと聞け」とか思ったり。まあでも基本的には素直な子たちです。

 

 

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椎名先生―椎名恒(1947 2006)。元北海道大学大学院教育学研究科。専門は建設労働論など。

 

杉村宏―法政大学代福祉学部 現代福祉学科 教授。北海道大学名誉教授。全国公的扶助研究会会長。