自分が持つとらわれから抜け出す

 

――「倫理」や「道徳」の起源がそこだとすると、そう理解することでニヒリズムにおちいりそうですね。でも僕はアナキズムはニヒリズムではないと思うのですよね。つまり根源的な批判で、社会の認識とか政治とか国家とかいうものに対してはとても鋭い批評とか、意識がある。だけどおそらく「厭世主義」ではない。ペシミズムとかニヒリズムではないんだろうなとは思うんですよ。そのあたりは栗原さんはどう考えていますか。

 

栗原 ニヒリズムまで行くのはいいかもしれないですね。いま自分がとらわれているものからバーンと抜け出しちゃって空っぽになってしまう。その意味ではたぶんいったんニヒルなところまで行くんだとは思うんです。

 

――やはり行くべきではあるのでしょうか?それは個々の心情問題ですから、なんともいえない部分もあると思うんですけど。やっぱり人間行っちゃうものですかね?

 

栗原 「行くべきだ」というと、それは支配の考えですから。国に言われて、おまえ空っぽになれ、ゼロになれっていったら、特攻隊みたいになっちゃいますからね(笑)。究極の支配というか。

 

――私もセラピーの過程でけっこうニヒリステックなところまで行っちゃったような気がするし、実は今もそれはあると思うんですよ。それはこういう話を全然仕様がない人たちとの場とかで、テレビとか、ニュース番組とか何か見てると「ケッ」っと思ってしまうわけ。ハナから「これはプロパガンダだろう」と(笑)。でももちろん言えないですよね、全然そんな意識もしない人との間と生きる時間の中で。「こんなもの全部政府のプロパガンダにすぎないかもしれない」なんて。でも僕のセラピストはけっこう言っちゃう人なんですよ。講演なんかでも。遙か先を見ている感じ。ですから昔はそういう話を聞くと「どうしたらいいんでしょうか?」という。でも「どうしたらいいんでしょう」と言ったところで答えはないですから、ひとりでニヒリステックな認識のほうに行ってしまった気がするんです。するとやっぱり孤立してしまうというか。孤独なところになお一層の孤独感と言いますか。すでにその時にもうひきこもっているわけですから、ひとりぼっちでそこからまたニヒリズム的なものを考え始めちゃうと、本当に行き場がなくなっていく。幸いいまはいろいろと話ができる人が増えてきたというのもあって、そういうものじゃなかったんだろうなあと。ですから、さっき言ったようにアナキズムはニヒリズムじゃないんだろうなと思ったんですよね。ただその過程というか、プロセスの孤独感ですよね。たぶんつらいのは。

 

栗原 そうですね。どこかで大杉なんかも孤独になっている瞬間とかある気がするんですけどね。

 

――それは大杉の場合、10代のときから吃音もあったり、軍人になろうと思ったけど吃音があるので、軍人の効率性から行くと上に立てないことで、喧嘩をして刺されて軍人になるのを辞めてしまったという経緯もあって?

 

栗原 はい。でもニヒリズムといっても、大杉の場合、どちらかというと吃音に開き直っていく。それをそのまま肯定してばんばん思う存分生きてしまおうと。ニヒリズムと言ったときに、それをどこまで徹底させていけるかどうかですよね。もちろん、「ああ、いまのこの世界はダメだな」と思った瞬間、何もできないから従っちゃえみたいな、そういうニヒリズムもあったりすると思うんですけど。それだけではないのかなと。この世界の一切合切がクソなんだったら、いっそのことひらきなおって、そこからとびだして好き勝手やっちまえと。

 

――そうですね。世の中で起きていることすべて「知ったことかよ」みたいな感じのニヒリズムの人っていますよね。ちょっとお近づきになりたくない人ですが。

 

栗原 すごく醒めた感じの人っていますよね。

 

――そういうものではないということなのでしょうね。

 

 

 

暴れてみることの感覚

 

栗原 だから大杉の場合は、奴隷根性とかというものにとらわれた時にやってみようと言ったのは、当時は工場労働者とかが増えてきた時期だったので、ひとつの手段として直接行動とかストライキなんじゃないかということで鼓舞していたんです。自分は誰かのおかげで生かされている、そのために働かなくちゃいけないと思わされている。だから経営者とか資本家がいなかったら生きていけない自分なんだという考えから脱するために、一回その会社で大暴れしてもいいんですよとか、それこそ大杉の頃だと荒っぽいので、機械をぶち壊してやれとか、会社に火をつけてやれとか。

 

それは当時、ただ乱暴なだけだとか批判受けたんですけど、でもそれはたぶんもう少し精神的な意味もこめて、そういうことを言っていたんだと思います。一回暴れることができたその感覚が大事だということを伝えたいわけですね。元々経営者がいなければ生きていけないと労働者は思わされているけれど、一回ぶん殴ってみたり、機械を壊してみたりして経営者が狼狽してる。そういうことを自分たちの力でできたんだという感覚を持つことで、ダメな自分と思っていた労働者の人たちが自信を取りもどすことができる。そういうひとつひとつの行動で自分たちを確かめていくというか。そういうことを言ったりしていました。

 

それが文字通りストライキとか、モノをぶち壊すということでもあれば、たぶんやり方はいろいろあっていいんでしょう。単に仕事を辞めるのでもいいでしょうし、たぶん一度ひきこもるというのもすごく有力な手段だと思うんです。

 

――「逃げる」ということですよね。逃げても良し、ということでしょうか。逃げるのは全然悪いことではないんですね。逃げるのは自分の心の弱さではなくて、やはり奴隷にさせられているということに気がつくために逃げたほうがいいと。

 

栗原 そうですね。農民が逃散したりとか、奴隷が支配から解放されるために囲いから逃げだすのと同じことですから。

 

――でも、なんとはなし「逃げる」ということが奴隷根性が身に染みこんでいるせいなのか、何か格好悪いなあと。それが「格好悪い」と思っている自分がいるという感じがあります。逆に闘って殺されたりすれば…。

 

栗原 バトルしてるのは格好いいですよね。

 

――そうそう。バトルをしているとヒーローだって話になるんだけれど。逃げると「卑怯者」とかと思われたり(苦笑)。結局そういうことではないはずなんですね。

 

栗原 そうですね。「三六計、逃げるが勝ち」という言葉がありますからね。敵がいなくなったときというのが本当の「無敵」ですから。

 

――なるほどね(笑)

 

栗原 そういう状態を作り出していくというのもすごく大事になる。ただ、いまの世の中って怖いのは、そうおもって、自分が逃げ出したとしても、僕だったらたとえば実家で5年間くらいほとんど働かずに家に閉じこもっていた時期とかあったんですけど、やっぱりひきこもったらひきこもったで「働いていない自分」みたいなレッテルを貼られますし、親にも言われますし、近所の人の目線とかもあるし、それをまた自分で内面化しはじめちゃったり。むしろ働いている以上に働かないでひきこもっているほうが「労働倫理の抑圧」みたいなものがかえって強まってしまう。やっぱりそこでもまた闘いになったりするんでしょうね。

 

――今度は自分の内面との闘いになるわけですよね。その内面化問題というのはよくひきこもりの場面での話し合いの中心テーマになるんですけどね。本当にやっかいな敵で、自分の中にあるものの中で最大級だなあって思ってるんです。いつからこんなのが培われたんだろう?って思うんですけど。まあ親もね。「奴隷根性」という言葉はなかなかキツイから(笑)申し訳ない感じもするけど、奴隷根性の子どもとして生きてきているから、奴隷根性で生きてきた人の年金で生活して(笑)。すごく自由を自分の中で培ってはいないんじゃないか?とか思ったりして。

 

栗原 僕の親も団塊の世代だったりするので、正社員で働くのはあたりまえだという認識はありますから。近所に住んでいる人たちもだいたいそうですからね。

 

――栗原さんのご両親もやっぱりそういう目線で見ていたときがあったんですか?

 

栗原 確かに昔は早稲田を出ました、大学院出て、末は教授だろうみたいな。そういうのがあったんですけど。それが30越えて働きもせず家にず~っといたときは母親とかは言ってましたね。バイトでもいいからしなさいとか。父親はたぶんそう思いつつも都庁で労働相談をやる人だったので、何となくいまの労働の感覚はわかっていた様子で、あまり言ってこなかったですね。その点ではちょっと救われたかもしれないです。

 

――なるほどそうですか。いまの奴隷は懐かしい言葉でいえば「労働搾取」される労働者として生きてしまっているわけですね。

 

栗原 ですから、働いていないときにもそれに縛られてしまうみたいなことがある。でも本当は働く環境もないところなんですね。

 

――とはいえ、栗原さんも最初は正規に大学の研究者としての主流に行きたいとは思っていたんですよね。

 

栗原 最初はそうでしたね。

 

――卒業は2001年くらいですか?

 

栗原 大学卒業が2001年で。そのあと大学院で修士、博士課程で全部出るのは8年。ですから博士課程を出たのは2009年です。

 

――そうですか。学部卒業から8年ですね。2001年に学部卒業したという人に去年の11月、貧困問題の研究をやっている先生でお会いしたのですが、それがたいへん就職難の時期で、就職が難しくてかつその頃に院生枠をすごく広げた時期とバッテングしたと言っていました。

 

栗原 いわゆる「大学院重点化政策」ですね。

 

――そう。その方もその夏にそういう話を聞いて、それで大学院に行って研究者になったそうです。だから栗原さんも厳しい、就職も一番氷河期の時代だったのかなあ?と思ったんですよ。

 

栗原 2001年の頃はITバブルとかで若干そういうところに行く人は多かったですけど、ただ大学院に行く人間としては大学院重点化政策って院生の人数がバアッて増えた時代で、仕事がない人たちが助手として増えた時代なんです。それがよく「高学歴ワーキングプア」とか言われたりして。それがドンピシャの人間なんですよね。

 

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