哲学とアナキズムの応答が世界中にある

 

杉本 ところで森さんはご自分としてはアナキストと自己定義されてるんですか。

 

 どうなんでしょうね。人によってはアナキストと言うときもあるし、まあそうじゃないと言われたらそれまでなんで、そうじゃないと言うしかないし。

 

杉本 僕は「そうじゃないだろう」と言える立場じゃないんですけど。アナキストですか?といわれたら「そうです」とやっぱり答えます?

 

 そうだと思ってます。まあ何でも自称すればそうなりますから。

 

杉本 やっぱりアナキズムの人なんかが考えていることなどを日常的に思ったりしますか?

 

 自分なりにですけどね。

 

杉本 もともと哲学、最初に出された本『具体性の哲学』ですか。その学者さんは別にアナキストではない?

 

 ホワイトヘッドはアナキストではないです。日本に導入した人のひとりがそれこそ鶴見俊輔さんで、鶴見俊輔がホワイトヘッドと一緒に金子文子を論じて、ホワイトヘッドをアナキスト的な感じで語っているので、まあそういった語りかたもあるかなというのと、同時に、同時代のアナキズムやコミュニズム、コミューンとかアートとか、「アクティビズム(現状改革主義)」を論じている人たちはホワイトヘッドやドゥルーズ、あとは元々アナキストの流れとかの中で哲学的に肉付けするのにドゥルーズやホワイトヘッドを使っていることがあるので、ある種自分で言っててあながち間違いでもなかったかしら(笑)と思うと同時に、けっこうみんな似たようなことを考えてるんじゃないかなって気がしますね。

 

杉本 その哲学者、ホワイトヘッドとという人に関心を持つ前からアナキズムには関心があったんですか?

 

 う~ん。前からってわけではないですけれども。要するに大学に入ってからですね。アナキズムとか、マルクスにしても。いろいろ学ぶじゃないですか。その中でアナキズムいいな、みたいなのがあって。その上で、哲学科だったので、ちゃんと勉強するのはホワイトヘッドだと決めてやって、それはずっと平行していました。ある時期はホワイトヘッド中心みたいな感じではあったんですけど、アナキズム、またやりたいなみたいな感じで(笑)。両方やるようになって合わせたときに結構世界を見回してみたら似たようなことをやってる人がいた。で、日本だったらちょっと前に遡れば鶴見俊輔さんみたいな人もいたという感じです。

 

杉本 本の前書きのほうとか、やっぱり高校時代に、まあ(笑)ピストルズ聞いて格好いいと思ったり、ハキム・ベイさんですか……。

 

 はい。

 

杉本 すごいですけど。人相が(笑)

 

 まだ生きてるんですけどね。

 

杉本 『図書新聞』の鼎談でも話をされてましたけど、その頃カルチャル・スタディーズとかが流行っていた?

 

 ああ。時代的に流行ってました。

 

杉本 そういうようなものにも関心を払いつつ?

 

 そうですね。音楽とか映画がずっと好きだったというのもあって。

 

杉本 どういう音楽が?

 

 もう高校の頃は全般聞いてましたけど。いまもずっと好きなのはノイズとか。その一方でブラックミュージックとかですね。

 

杉本 ああ、ノイズ・ミュージック?なるほど。

 

 ノイズと、あとソウルとかヒップホップとか。

 

杉本 はい、はい。

 

 ずっと好きで。で、例えば当時雑誌とか沢山あったので。いまだんだん無くなってますけど、ちょっと自分が手にとりやすいような雑誌とか、あとそこで語られる言説とか読んでいって、そこからカルチャル・スタディーズ的なことを知っていくというのがありました。酒井隆史さんとかは会う前から読者でした。

 

杉本 ああ、けっこう昔から書かれてる人なんですね。

 

 そうですね。当時彼は僕くらいの年だったんじゃないですかね。上野俊也さんとか。この前初めてお会いしたんですけど。だから彼らが僕くらいの時に書いていた文章を見て影響を受けて。ですからそこから「音楽と社会」だったり、政治みたいなものとつなげて論じられてる言説みたいなのがあるんだと知って、そういうものにどんどんのめり込んでいったというのはありますね。

 

杉本 『スタジオ・ボイス』とか?

 

 そうですね。当時の「スタジオ・ボイス」だったり。影響受けましたね。ある時期からだんだん追わなくなった時期もあったんですけど、ただそういうのはやっぱり根っ子にある気はしますね。いまだに。自分自身今では売文業の仕事で多いのは音楽と映画について書く仕事なんです。

 

杉本 あ、そうなんですね。へえ~。どういう雑誌に書かれてるんですか?あるいはネットですか?

 

 いや。『別冊文藝』や新聞とかでミュージシャンとか映画だったりについて書いてます。たまに『ユリイカ』とか『現代思想』なんかでも哲学的なことを書くだけじゃなく、映画とか音楽の原稿依頼も来るので、そういう所で書いたりとか。あと今ずっと毎月新聞で連載してて。

 

杉本 どこの新聞ですか?

 

 西日本新聞です。こちらの地元紙ですね。映画評とか毎月やってるのと、あと書評をやったりとか。それはけっこう音楽とか映画のやつです。

 

杉本 うん。いまちょっとカッコイイなあと思ったんですけど。いまって洋モノカルチャーとか、ちょっと停滞気味じゃないですか?

 

 まあそうですね。

 

杉本 日本だけの話ですかね?

 

 う~ん。いまその辺の語られかたとかはちゃんと意識したことがないので何とも言えないです。もう来る仕事、来る仕事、パンパン千本ノック状態で打ってるだけかもしれません。どうなんでしょうね。昔よりももちろんCDは売れてないということはあるけれど、ただライブに行く人数自体は増えてるんですよね。

 

杉本 何かそうらしいですね。

 

 だから音楽を観念的に聴くんじゃなくて、身体化して聴いている人が増えているという意味では実はそんなに変わってないかなあという気はします。だから洋モノカルチャーに関してもやっぱ、「誰々が来た」となると東京ドームが満杯ですみたいな話をたまに聞くので、まあそういうものなのかなぁという気も。もちろんそれだけのカネを払える人というのももう僕らより上の世代になっちゃうんでしょうけど。

 

杉本 そうですね。ロックはキツイですね。本当にベテランもベテランというか、昔の大物にバカみたいな高額でお金を払って来る層がいるけど、中堅とか新人は本当にキツイですよね。だからロックフェスとか、要するにフェステバルでやっと、という感じゃないですかね?いまは。

 

 ああ、そうですか。

 

杉本 そんな印象しますね。まあ正直いまイギリスではロックが停滞してる気がしますし、ブレイディみかこさんも書いてましたけど、ワーキングクラスからミュージシャンが出てこなくなっているというのと、本当のワーキングクラスの人たちは最近ヒップホップと何だったかなあ?とにかくロックを聴かないという話らしいので。なるほどメッセージロッカーが出てこないわけだなという印象ですよね。

 

 まあでも、これも善し悪しですけど、アメリカのヒップホップを見るとムキムキのマッチョな男性がブリンブリンつけて女子を横にして踊っているような、「メイク・マネー」じゃないけど、お金を稼げてモテるんだという状況とかを示していて、それが日本に入ってきて、20年以上経って、全然お金も稼ぐこともできなければ、ビッチにもてるわけでもない、ということが良く分かってきたというのはあります(笑)。要はヒップホップやってもカネは儲からない。もちろんメジャー行った人はいるんですけどね。でもやったところで金にならないと。それはロックだろうがパンクだろうがずっとあったことで、ただそれでもやっているという人がいたときにそれは音楽を本当にちゃんとやってると言えるのではないだろうか、という気がしますね。

 

杉本 本気だ、ということですね。

 

 

 

留保がつくけれど、本が読めて、書ければいい

 

 ですから、それ自身は悪い事じゃないなと思います。別に音楽でメシ食いたいからとか。食いたいからやってもいいけど、「それだけじゃないじゃん」というのはすごいあるし。僕もある意味では哲学というか、本が読めればいいみたいなところがあって、本当はその時間が取れればいいというのがあるので。もちろんカネはある程度欲しいですけど(笑)。でも、本が読める時間が最低限担保されればいいというのはあります。ただここで語りかたで気をつけなけりゃいけないのは、ちゃんとそこはもっといろんな留保がつけなきゃいけないけどね、ということです。要はこの状況に対して諦めてるからこういう方向、要するに『絶望の国の幸福な若者たち』じゃないけど、そういったくだらない言葉のひとことで言い表せるものではないということです。要するに絶望していて自分がやりたいことをやればいいという意味は「ある」んだけれども、そういったくだらない物言いでは「ない」ということです。つまりいろんな留保がつきます。まあでも、本が読めて文章が書ければそれでいいんですよね。ある意味それだけで幸せです。あとは子どもと遊んでみたり(笑)。

 

杉本 だから「表現」というか。それを吸収してアウトプットができて。諦めてるからそうしているわけではないということですよね。

 

 うん、うん。

 

杉本 「いざ鎌倉」じゃないけど(笑)。何かあった折にはその養分はちゃんとカウンターとしてやれる。力として残していきたいということなんでしょうね。

 

 そうですね。

 

杉本 その辺は栗原さんなんかも同じなんだろうな。

 

 いつか文体は発見してみたいですね。

 

杉本 確かに栗原さんは文体を作っちゃいましたね。

 

 まあでも、ある程度人に伝わるように書ければ僕は今のところはいいかなと思います。ちゃんと人に伝わるように書きたいというのはありますね。どうしても哲学とか思想というのはぐちゃぐちゃしてるところがありますから。かといって切り分けてしまうことによって見えなくなっちゃうものもあって、そのあたりがすごく難しいんですけど。それが最低限損なわれない仕方でやっていきたいなというのはありますね。

 

杉本 一般庶民のパンクが好きだった人間として、何か批評全体が刺激がない印象というか、僕が言うべきじゃない話なんだけど、あくまでも個人的には刺激がないなあという中でやっぱり栗原さんの文章ってものすごく刺激的だったんですよね。「うわ~」という感じ。町田康さんの別バージョン現わる、みたいな。すごくこれは面白い人が出たなという感じがして、で、お会いしたらお会いしたで非常に腰の低い人でしたから。これもまたギャップがあって、ちょっと勇気をもらったのは筆者が腰の低い気配りのするいい人でも文章を乱暴に書いても全然かまわないんだと(笑)。

 

 ははは(笑)。

 

杉本 ひとつ勇気もらえたなと。

 

 なるほど。

 

杉本 と、思えたのと。やっぱり自分こういうものが「欲しかったんだな」と思ったんですよ。で、そのあと森さんのこの本を読んで、アナキズムいいなあ、ってやっぱり自分として改めて思った。だから批評や思想界も「元気なんだな」と思ったというか。時代的に再評価されてきているのかなと思うんですけど。

 

 どうなんですかね。

 

杉本 売れてるんじゃないですか。僕はともかく平積みで置いてあるのを買いましたよ。ジュンク堂で。

 

 全然売れてるかどうかなんてことはもう怖くて編集者に聞けません(笑)。まあ、栗原さんの本は売れるでしょうけど、僕の本は売れないでしょう(笑)。中身を読んでもらえばいいかなと思います。

 

 

 

生活のすべての部面において政治的にならないと勝てない

 

杉本 あとやっぱり外国のデビッド・グレーバーさんの『負債論』とか。

 

 やはりアナキズム自体は死なない気がするので。必要とあらばまた盛り上がってみたり、また停滞する時期もあるんでしょうけど、いまはもしかしたらそういう時期なのかもしれないですね。

 

杉本 資本主義が全世界を席巻しちゃったら今度は「資本主義独裁」みたいな。まあ簡単に言っちゃうと人間管理みたいな話になっちゃうんですけど、昔は不況とか恐慌で潰れる不安でしたけど、むしろ今は何かどんどん資本主義的な管理社会が来てるみたいな感じ。人間の感情も含めてね。そういうことに対する不安とか、抵抗感みたいなものがもう1回アナキズムの振り返りみたいなこととして出てるんじゃないか。

 

 うん。

 

杉本 あとはやっぱり「高学歴ワーキングプア」みたいな人たちが増えてきているということが『負債論』みたいなものが読まれる背景としてあったりするのかなあと思ったりするんですけどね。

 

 そうですね。『負債論』を書く過程でグレーバーさん自体はオキュパイ・ウォールストリートに出入りしながらそこで若い学生とか奨学金の問題について取り組むようになっていって、そこでもある種高学歴ワーキングプアというのはアメリカでも問題にはなっているので、そこの現場のある種切迫した問題というのをすごく取り入れながら彼なりに歴史をDIGって、掘り下げていって。彼は人類学ですから、人類学の観点から書けることを書いた。そこである種可能性を広げたというのがあって、まあどんな学者でも、ある種僕だって人類何万年とか、何千年の単位で考えていきましょうやと言いながらも(笑)「時代の子」ではあるので。

 

杉本 うんうん。

 

 何かしらモチーフみたいなものはありますね。それなりに自分で引き受けたらどうなるかと言ったらまだわからないですけど。やっぱりやり方というのはある気がするし。いまやってることがそうなのかもしれないし。その辺はちょっとまだわかんないですけど。何か出てるんでしょうね。いろんな各研究者ごとに。

 

 最初のほうに言った話でいろんな層で政治ってあるべきだというか、あるわけですよね。それは議会だけじゃないし、街頭だけじゃないし、ある種の日常だけのスタイルの問題だけでもない。いっぱいあるわけで。たぶん野党共闘して団結でとか、そんな小さいレベルじゃなく、全てのレベルにおいて政治的にならないと勝てないと思います。それこそ政権すら転覆はできないし。我々の生そのものを変えることはできない。何かもっと本当に包括的にいろいろ「政治がある」ということを言っていって、それら全てで革命だという風にしたいなというのはあります(笑)。これは個人の生のレベルでもそうだし、まあ社会的にも本当はそうなったらいいなというのはあります。

 

 最近それをもう少しわかりやすくおっしゃっているかたが二人いらっしゃいます。ひとりは日本だと池田浩士さんという、最近『ナチスのキッチン』とかで有名な藤原達史さんの師匠です。天皇制の問題とか、ワイマール憲法の研究とかヒトラーの研究とかをずっとやっているかたですけれども、池田浩士さんは運動には幾つかの側面があると言うんですね。ひとつに合法的な運動がある。で、それに加えて半合法の運動がある。半分の合法の運動がある。それに加えて非合法な運動があると。で、どれか一個だけだったら勝てないと。全部必要なんだと。ということを言っていて。それはその通りだなと思う。で、あとニューヨークに少し前に行ったときにベン・モレア(Ben Morea)さんというアナキストのご先祖さまみたいなお爺ちゃまがおって、ニューヨークのイーストビレッジで「ブラックマスク」という運動をやってた人です。ベンさんは当時はアートとかと、普通の炊き出しとかそれらを同じレベルでやってたんですよね。それでそこからアートのレベルでも、ブルジョアによるアートの弾圧とかに反対してMOMA(近代美術館)攻撃を仕掛けたりとか、あと、戦後はやっぱり孤児が多かったので、その孤児に炊き出しをどんどんやってて、その子たちのためのスペースを作ったりとか。寝泊りできる場所を作ったりとか。それをみんなで本当に共闘してやっていたんですよ。で、そういうものも非合法なレベルだとやっぱりマフィアとくっついたりしなけりゃいけない。ドラックのバイヤーともくっついたりもしながら、そこからお金をもらったりしていろいろやっていたと。

 

杉本 へえ~……。

 

 それはもう、全部がくっつかないとできないと。イーストビレッジのようなニューヨークのど真ん中でともすれば簡単に弾圧もされてしまうんだけれども、そういった全部いろんなものをひっくるめてやっていかないと、そういった場所は確保できないし、強力な運動体にもならないということを言っていた。池田さんはすごく学術的にクリアに言ってくれていたし、ベンさんはそれを地で行くようなことをドンと言っていた。まあいろんな層があって、いろんな層で包括的にガアッとテンション込めてやっていかないとやっぱり変わらないだろうし、それを目指して行くべきなんじゃないかなってこの間、すごい何か「思い」としてはあるところです。

 

杉本 なるほどわかりました。非常に刺激的なお話をたくさんありがとうございました。

2017.10.29

森元斎さんの自宅にて

 

 

森元斎(もり・もとなお)さん

1983年東京生まれ

中央大学文学部卒業

大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了

現職:

九州産業大学・福岡大学・西南学院大学・河合塾などで非常勤講師

著書:

『具体性の哲学ーホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社 2015)

『アナキズム入門』(ちくま新書 2017)

 

*『絶望の国の幸福な若者たち』―社会学者、古市憲寿氏が東京大学大学院時代に書いた著書。格差社会のもと、その「不幸」が報じられる若者たち。しかし、統計によれば8割の若者が現在の生活に「満足」しているという指摘をもって若者論を一新した著者の代表作。

 

*オキュパイ・ウォールストリートー2011917日からアメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区のウォール街において発生した、アメリカ経済界、政界に対する一連の抗議運動を主催する団体名、またはその合言葉である。運動自体は半年以上続いたが、大規模なものは開始後約2ヶ月ほどで沈静化している。08915日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破産申請し、リーマン・ショックが発生して以来、アメリカ合衆国だけでなく、世界中が世界金融危機の不景気に喘いできた。特にアメリカの19歳~20代前半の若者(ハイスクール卒、大学卒)の4割は職業がなく、それに対し有効な対策を打てないアメリカ合衆国連邦政府に対する(主に中流層が抱く)不満が、このデモ呼びかけに賛同させたとされる。(ウィキペデアより)

 

*池田浩士―(1940~ )はドイツ文学者、評論家、京都大学名誉教授専門のドイツ文学ではルカーチ・ジェルジやナチズムに関する研究、翻訳を精力的に行っているが、ドイツ文学者としての枠を超えて大衆小説や死刑廃止問題、天皇制問題、憲法九条問題、寄せ場研究などについての幅広い著作や発言をおこなっている。(ウィキペデアより)

 

*藤原達史―1976(昭和51)年北海道生まれ。99年京都大学総合人間学部卒業。2002年京都大学人間・環境学研究科中途退学、京都大学人文科学研究所助手、東京大学農学生命科学研究科講師を経て、134月より、京都大学人文科学研究所准教授。専攻・農業史。

 

 

インタビュー後記

 

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