米騒動に学ぶ

 

――栗原さんの実質的な初の著書『永遠のアナキズムー大杉栄伝』(夜光社)では一番最初に米騒動のシーンから始まります。これを見て大杉はテンションをあげまくって、「これだ!」って思います。僕はこの描写の背景を読んでて、「ああ~なるほど。そうだったんだ」と思ったんですけれども。明治くらいまではお米を食べるのは当たり前のことではなかったのだと。むしろ大正に入ってからお米を主にしておかずに食べ物をいろいろ、カレーライスとか。みんなが白米がおいしいというふうになって。実はだんだん資本主義が大衆化してくる中で白米を食べることがすごく普及し始めた時代に起きた騒動だったんですね。

 

栗原 洋食とセットなんですよね、実は。僕らからすると白米は米文化でずっとあったのかなって思いがちですけれども。でもよく考えてみるとそうですよね。農民は年貢として米を出してるわけだし、もちろん食べたりしてたんでしょうけど、メインはヒエとかアワで、そこにお米を混ぜるとか。江戸や大阪の町民とか武士とかはたぶん食べてたんでしょうが、8割が農民ですからね。だから江戸の一揆とかだと、米倉に討ち入ってお米をぶちまけるというのは、お金をバーッとぶちまけるような形でしょうね。

 

――なるほど、意味合いとしては同じこと。一揆とはそういうものなんですね。それもひとつのアナーキーな行動ですか。

 

栗原 そうですね。

 

――この大正の米騒動ですが、何でこんなにコメが急騰したのでしょうか?

 

栗原 直近では当時ロシア革命とか起きたあとにシベリア出兵とかに日本で出ていって、米を兵隊に送るということで、米不足になったというのがあって、もちろんそれも原因ではあるんですけど、もう一つは社会の構造が変化した。工業化が進んで工業化が進めば都市の人口が増えるわけで、農民が都市に出てきた。農民が減っていくなかで米をみんな食べるようになった。そんななかシベリア出兵で米を外に持っていく。ですから米価が急騰してしまったわけです。だから工業化がダーッと進んだ時期だからということも言えるかもしれない。かつ、お金を払ってお米を買うというのがだんだん習慣になってきたものですから、それで米価急騰してしまったら。

 

――お金がない人はお米を食べられない。かといってアワとかムギを食べるわけにもいかず…。

 

栗原 ええ。だんだん自給自足の感覚とかが消えていく頃ですから。もちろん今よりはあったとは思いますけど。

 

――それで大杉は大阪で米騒動の状況を目の当たりにして「これはいい」「楽しいなあ」と(笑)

 

栗原 (笑)そうですね。あおりまくる、みたいな。

 

――「生の拡充」。これぞ生の拡充だ、みたいな。

 

栗原 それこそ物を買わないと生きていけないと言われていた、あるいは今よりも家父長制が厳しくて、家にいるのが当たり前だと言われていた女性たちが自分たちが立ち上がって米屋を襲って米を奪い取ったりとか、その場で安くさせる「廉売(れんばい)所」というものを設置させたりします。「これが直接行動だ」と思ったはずですよ。

 

――人々の力が発揮されたということですね。

 

栗原 だから「稼がないとダメな人間だ」と言われ始めた頃に労働者とか、消費者とか、主婦とかというカラを飛び抜けちゃう人たちが一揆みたいに動いた。そこに何かを見たんじゃないかな。

 

――これはいわゆる「民衆蜂起」というんでしょうかね。そういうことが可能だと思ったというふうに考えていいでしょうか。

 

栗原 そうだと思います。実際、日本の歴史のなかでも、それ以降もそれ以前も含めて最大規模だったでしょう。あくまで一番多く見積もっている人で、本当のところは分からないんですけれども(多すぎて)、1千万人くらい。当時人口6千万人くらいでしたから。

 

――6人に1人が?騒動に参加した?

 

栗原 だから大杉だけが思ったんじゃなくて、たいていの人がたぶん肉体的な感覚としてイザとなったらこれで行けるぞ、と感じたと思います。

 

――これはもう大逆事件後から…。

 

栗原 8年です。

 

――8年経っているわけですね。僕の印象では大逆事件があり、関東大震災の時には大杉栄が殺され、ずっと反体制思想というのかな?表現の自由というものがやはり大逆事件の頃を契機として、第二次世界大戦が終わるまで、治安維持法などともつながって抑圧されていたイメージを持っていたんですけれども、そういうわけでもないのでしょうか。

 

栗原 そうですね。もちろん国家の側はどんどん高めていきますけど。管理の治安維持法も作っていきますし。ただ民衆側の動きとしては爆発的に動く瞬間というのはあります。何か大正デモクラシーとかひとくくりにしてしまうとアレですけど、その時期というのはもう少し民衆が爆発的に動くかたちでやっていますね。

 

――都会は都会でもモダン・ボーイとか、モダン・ガールとかいう消費文化があって、米騒動もあって、インテリの人たちは文筆活動とか、大正デモクラシーでいろいろ物を書く人たち。いろいろと多様に、一度にいろんなマインドで動く時代だった。

 

栗原 都市は都市でストライキとか。労働者が米騒動みたいのを経てやりはじめるし。

 

――ストライキもあった。はるかに今よりも行動していますね。

 

栗原 そうですね。やってます。というか、やれてますよね。

 

――やれてますね。相当怖いじゃないですか?だって直接行動へダイレクトにコミットして。

 

栗原 やろうといっただけで、幸徳なんかは殺されているわけですからね。

 

 

 

表現の抑圧

 

――ええ。で、当時はまた何でしょう?「新聞紙法」とか、すごいですね。やはり昔は表現といえば新聞なんですか?

 

栗原 当時は新聞です。あとは雑誌もそうですね。

 

――いまは新聞に迫力がないから想像がつかないんですけど、やはり大杉も幸徳秋水も似てるのは新聞とか出したりしても、あっという間に発行発禁になったり。大杉も新聞を作っては、発禁の嵐ですね。

 

栗原 昔がすごいのは、権力はひどいもので、刷り上がった直後に持っていくわけですよ。ですから金をかけたあとに持っていっちゃうから借金になっちゃうんです。だからそこで奪い合いがあって、ダミーとかを使って風呂敷を持たせていろんな奴を走らせたりして、それを特高とかダーッと追って走っていったりするんですけど。「よ~し行ったぞ」と。大杉とかが違うところに行ったりとか。

 

――幸徳秋水の時代から警察とか、常に尾行している人がついていますね。

 

栗原 そうですね。ずっと警察がついている。大杉はよくタバコを買いに行かせていたらしい。で、タバコ買いに行かせてる間に警察をまいて逃げらせる同志とかもいたりして。日常生活が予防拘禁みたいな感じかもしれませんね。

 

――ですから幸徳秋水も、また大杉栄も伊藤野枝さんと住み始めたころ何をやっても発禁発禁で。お金には苦労したみたいですね。

 

栗原 本当に筒抜けだったんですよ。こういう風に評伝書けるのも何でかというと、特高とかが作っている「要特別要人視察」みたいなものがあって、いまそれを見ていると完全にスパイとか入りこんでいて、勉強会とか、家の中で大杉が何を喋ったかがこと細かにノート取られてるんですよ。そのおかげで評伝が書けるっちゃ、書けるんですよね。

 

――なるほどね。

 

栗原 だから大杉が20年代に一回スパイを発見して追い出したことがあって。その後数年間、その資料がなかったりするんで。何かまあ残念とか言ったらダメなんですけど。その期間の具体的なことは分からないんです。

 

――何か時代劇みたいですね。「忍びの者が隠れておるぞ」みたいな。

 

栗原 ははは。いやでも、いまでも公安とかやっていると思います。

 

 

 

共謀大事!

 

――いやあの、これは話がずれちゃいますけど。栗原さんはいろいろ書かれてますから…。

 

栗原 いまはそんな運動バリバリやってないんで。もうちょっと何かコミットしてると狙われるかもしれないですけど。

 

――いやあ、「共謀罪」とかね(笑)。

 

栗原 共謀罪、やられるかもしれないですね。

 

――ねえ?(苦笑)。内心の自由まで。憲法で内心の自由と表現の自由が保障されてるはずなのにそこまで踏み込まれ始めたら、こういう本を書いている人間は怪しい、みたいなかたちで公安が…。

 

栗原 そうですねえ。これは難しいもので、一回制度が出来上がっちゃうとみんなそれが当たり前になってきちゃいますから。

 

――そうですよね。何か自動回転みたいな感じもしますね。

 

栗原 一回できちゃうともう。

 

――誰もそんな気はなかったんだけどいつの間にやら、みたいな。

 

栗原 うん。何かできてみたらそれを守らないのはおかしい、みたいな。

 

――幸徳秋水が捕縛され、「おかしい、おかしい」っていうどころか、熊野の大石誠之助さん?あのかたなど完全にそうだと思うんですけど。どう考えたってありえないだろう、と思うんだけど、何となくそういう流れが出来ちゃったらずるずるっと。まあ国家権力って強いから、上から決められたらちょっと下っ端の人間がおかしいと思ってもくびき殺してしまう、みたいな(苦笑)。そういう所まで行ってしまうという。

 

栗原 いまのうちに「共謀大事!」って書きまくらなくちゃ。

 

――反対の論陣で書きますか。

 

栗原 いや、ふつうにだれだって共謀していいんだと書くだけです。

 

――だれだって共謀していいぞ、と(笑)。

 

栗原 本当のところ、共謀って米騒動みたいな感じで、人の力が伝染していく感じで。

 

――ああ~!「共鳴」ですね。なるほど。共鳴する力を忘れるな、という感じですか。

 

栗原 秘密裏に共謀して、悪さしているのは自民党、という気もします。

 

――本当にそうですよね。逆に見えないところで何か企んでいるのは向こうのほうだなという。でまあ、大逆事件があって、大杉はますますアンチ・ナショナリズムになって?

 

栗原 大杉が面白いのは、権力に打ちのめされれば打ちのめされるほど、敗北すれば敗北するほど、そのたびに大杉っぽくなっていくことです。

 

――ええ。

 

栗原 表現が封殺されたら、逆にもっと逆張りになってもっと自由な表現を求めちゃうんですよ。大杉は2年半、「赤旗事件」で大逆事件のあいだに捕まっていて、監獄で人の自由が完全に奪われている状態なんですけど。それこそ僕、ひきこもりになったときに見習おうと思ったんですけど。大杉は普段外にいる時って活動ばっかりしているから好きな本とかをあまり読めないんですよ。政府に反対するためにアナキズムの文献を読む。必要に応じた役に立つものばっかり読むんですけど、逆に「こんなに暇な時間はないぞ」みたいに思い出してひたすら本を読みまくるんです。アナキズムだけじゃなくて、文学、哲学、人類学、社会学とか。メッタメタに読みまくっていて。

 

――そうですね。この赤旗事件で獄中にいた2年半の間に自然科学から社会科学からいろんな本を読んでいて。で、おそらく日本語に翻訳されていない本があったんですね。それを奥さんに「持ってきてくれ」と。

 

栗原 そう。カタカナ書いてあったりするから「何だこれは?」みたいな感じで。

 

――どうやって手に入れたんでしょうか?それとも借りて持ち込んだんでしょうか。

 

栗原 全部は買えないと思うんで、知り合いに頼んでたぶん借りて持ち込んだんだと思います。

 

――輸入された本などは原著で読んだんでしょうか。

 

栗原 そうですね。だから僕の大学の師匠はけっこう実証的な研究をやっていて、大杉がこの頃読んでいた文献を全部調べあげるみたいなことを20代の頃から手がけていて、でもいまだに全部は調べきれてないんですね。

 

――獄中の中で本を読むのは自由なんですか?

 

栗原 もちろん発禁本とかはダメですけど、読めますね。

 

――で、それこそファーブルとかダーウィンの本を翻訳されてたりしてるんですよね。

 

栗原 そうですね。ファーブルは獄中で読んだんじゃないと思いますけど。

 

――びっくりしました。「え?大杉栄さんって、ファーブル昆虫記とか訳してる人だったんだ」って。

 

栗原 「生の拡充」とか、「生の飛躍」とか言って、ダーウィンを訳したり、ベルクソンの「創造的進化」を読んでいたから進化論は分かるんですけど、ファーブルとかだと「反進化論」だったりしますからね。ファーブルなんかはむしろ虫の中にすべてが詰まってるぞ、と。もちろん、それをアナキズムの思想として読もうともしてたんでしょうし、あるいは単純に面白くて読んでたかもしれないですね。

 

――この人のアナキズムは絶対的自由でしょうから、おそらくイデオロギッシュな本だけ読んで満足する人じゃないでしょうね。

 

 

 

開き直って生きる

 

栗原 そうですね。だからたぶん監獄時代に読んだ読書体験でイデオロギーとしてのアナキズムからも抜けたのかなあという気もします。必要に応じて役に立つアナキズムとかではなくて、もっとそうじゃない、自分の嗜好とか、もっと豊かにばんばんばんばん、自分でも気づかなかったような気づきをさせてくれるような読書体験とかというところで。たぶん自由とか、本当の意味でのアナキズムを身につけたと思います。

 

――この労力もあるし、ひとりになったら読めるだけもう万巻の書物を読んでやろう、みたいな。すごくエネルギッシュな人ですね。

 

栗原 そのころの開き直りがすごいんだと思うんですよね。どうせ閉じ込められるんだったらこの環境を生かしてしまえ、みたいな。

 

――はい。それは僕らも学ばなくちゃいけないことですよね。

 

栗原 そうですね。

 

――奴隷根性の者としては(笑)。これは書きにくいんだけど、奴隷根性でがんじがらめのひきこもりの我らはなかなかこれができない(苦笑)。

 

栗原 なかなかね(苦笑)。で、「お前、奴隷根性だよ」というのは逆に伝わらないです。だから大杉栄自身もたぶんそういう人で、人にお前奴隷根性だよと言っても、何かそれを変えないと、と考えたら組織作っていかなくちゃいけなくなってしまう。そうじゃなくて、どちらかといえばそれを超えようとして自分たちが動いていく。こうやって動いてもいいんだよ、と見せていく。そういう意味での扇動なんですけど。

 

――あくまでも表現としての、比喩的な表明なんでしょうか。タダでは伝わらないというか、覚醒しながらの少し乱暴な言い方になってしまうので、気づくキッカケが持てそうな人には伝わるだろうという思いで、「征服された奴隷根性」の持ち主なんだという言い方をするんでしょうね。そういう意味ではアナキストの人たちって割と挑発的な言い方をしますよね。基本的に。

 

栗原 します、します。

 

――そこは何なんでしょうね。伝わらない人には伝わらないと思うんです。もうそういう言葉を聞いただけで反発感じる人は絶対反発感じると思うし。だからこそやっぱり国家に狙われて、殺されちゃったと思うんですけど。でも、そう言ってしまわないといけないような。それが使命になっちゃうとまた違うんでしょうけどね。「覚醒させなくちゃいけない」みたいな義務感になると。

 

栗原 もちろん、困っている人がいたら助けるくらいの義務感はあったと思いますけど、でもあの、覚醒させなければ「いけない」ではなくて。

 

――やっぱり湧きたつような思いなんでしょうか?

 

栗原 自分がそこで「行くぞ」と思わなかったら行けないわけですからね。その人たち自身が。

 

 

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「新聞紙法」―日刊新聞・定期刊行雑誌の取り締まりを目的とする法律1909年(明治42年)制定。1949年出版法とともに廃止。

 

大石誠之助―1867-1911。和歌山県新宮市生まれ。同志社英学校で学び、1890年渡米。オレゴン州立大学で医学を学び、帰国。郷里で医院を開いた。貧しい人からは治療費を取らず、地域の人々からは親しまれていた。1904年頃から社会主義系雑誌に寄稿。1908年に幸徳が和歌山に大石を訪ねている。1910年大逆事件に連座して逮捕、死刑。(『大杉栄伝』栗原康・人物解説より)